「社会的少数派」の意。「社会的弱者」として言い換えられることもある。
当連載では、自身もマイノリティの立場であるライター・おつねが、マイノリティを描く映画を通して、見解を語っていきます。
『アデル、ブルーは熱い色』
教師を夢見る女子高校生アデルは、ある日、運命的に青い髪の画家、エマと出会う。エマの知性や独特の雰囲気に魅了され、同性ながらもふたりは情熱的に愛し合うようになる。数年後、念願の教師になったアデルは自らをモデルに絵を描くエマと一緒に住み、しあわせに満ちあふれた毎日を過ごしていた。しかし、エマの作品披露パーティをきっかけに、ふたりの気持ちは徐々に擦れ違っていく──。
「もしかしたらいつか私も同性に恋するのかな」本作は、友人と一緒に劇場に観に行った。
観終わったあとに友人が言ったんだ。「もしかしたらいつか私も同性に恋するのかな」って。
その言葉を聞いたときに、私は「これはきっとすごい映画なんだな」と思ったことを覚えている。
従来の同性愛を描いた映画は、当事者たちの共感を呼び、第三者の感動を生む、というスタイルで作られていることが多い。その形がいちばん観ている人たちに同性愛者たちが置かれている状況をイメージさせやすいんじゃないかなと思うんだよね。
でも、本作は、その第三者たちに"共感"を呼んだ。
あなたはなんで異性が好きなの?私は、自分のセクシャリティを公言して普段生活しているけど、もう嫌!ってくらいに聞かれることが「なんで同性を好きになったの?」って質問。
素敵だなって恋した相手が、愛した相手がたまたま同性だった。たったそれだけのことなのに、凄くドラマティックな回答を期待されることが多い。
だから、決まってそういうときは「あなたはなんで異性が好きなの?」って意地悪な質問で返すようにしてる。
そしたらほとんどの人が「え?」って難しい顔をする。私は「それと同じだよ」ってまた意地悪な顔して答えちゃう(笑)。
多くの人がたまたま異性に恋をしたように、私たちもたまたま同性に恋をしただけのこと。
きっと本作もそういうこと。きっとこれは男女のストーリーでも素敵な作品になっていたはず。
でも、あえて社会的にまだ認知度の低い女性同士の恋愛を題材にしたからこそ、より儚くて、どうにもならない苦しみや葛藤が際立っているような気がした。
だからこそ、ストレートである私の友人が「もしかしたら私もいつか同性に恋をする可能性がある」という気になったんだと思う。
同性愛はよく特別視されてしまうけど、全然そんなことはない同性愛はよく特別視されてしまうけど、全然そんなことはないよ! って、この映画を観て多くの人が感じてくれるようになった。
それはきっと同性愛だけに限らなくって、みんなが特別視してる多くのことはよく見て、よく聞いて、よく話してみたらきっと「特別」なんてことはほとんどなくて、全員が理解できる範疇でのできごとに過ぎないってこと。
とっても長い映画だから、暖かい部屋で美味しい紅茶やワインでも飲みながら、ちょっと贅沢な休日に、肩の力を抜いて観てほしい。
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