東京は刺激的なところ。

ファッションもレストランもすべてが最先端。出身地や職業、生い立ちまでさまざまなバックグラウンドを持った人に会うことができる。仕事も大変だけど楽しい。

いま、自分の東京生活は、とても充実していると思う。でも、あまりにも目まぐるしく移り変わっていく東京に、ときどき疲れてしまうことがある。

そんな心をやさしく包んでくれたのは、初夏の京都だった。

東福寺で座禅。東京で窮屈になった心を空っぽにしてくれた

JR京都駅に降り立つ。天気は上々。

目指したのは、東福寺。鎌倉時代に建てられた臨済宗の大本山。

そこで体験するのは、人生で初めてとなる座禅。

威風堂々とそびえ立つ本堂(仏殿)の真向かいに位置する禅堂は、一歩踏み入れただけで、なんだかとても神聖で、張りつめた空気に包まれた。

窓からの光しか差し込まない禅堂のなかは、明るすぎず、暗すぎず、落ち着く。そして、風通しの良さ。さわやかな風が肌に心地よい。

さっそく、座禅するにあたって、東福寺 塔頭 天得院 住職である爾英晃(その・えいこう)さんからのレクチャーが始まる。

そこで驚いたのが、座禅ってあぐらをかいておこなうものだと思い込んでいたけど、じつはあぐらじゃない、ということ。

右足を左太ももに乗せ、左足を右太ももに乗せる「結跏趺坐(けっかふざ)」か、右足を左太ももに乗せる「半跏趺坐(はんかふざ)」という座りかたが正しい、と教わった。

また、座禅中の目は、半眼(はんがん)。これは、仏像の目と同じなのだそう。完全に目をつむると頭のなかで考えごとが浮かんできてしまうし、かといって目をしっかり開けていると余計なものまで目に入ってしまうらしい。

こういうのは、実際にやってみて初めてわかることだ。

今回は、10分を3セット。鐘の音とともに座禅が始まる。

とはいえ、すぐに無心になれるわけもなく。静寂のなか、いろいろなことが頭をよぎってくる。「あ、来週は友だちの誕生日だった」とか「あの仕事の締め切り、たしか明後日じゃなかったっけ?」とか。いろいろ。

そして、正直に言えば、修行者の肩、もしくは背中を打つために警策(けいさく)を持って歩いている爾さんが気になって仕方がない。いつ叩かれるやら、と緊張することこの上ない。

ちょっと不真面目な思いを抱きつつ、とにかくまずはぼーっとしてみようと試みる。ただただ目の前にある床を見つめよう。

それが効果的だったのか、いつの間にか余計な考えが頭から抜け落ちて、まさに「空っぽ」状態。それに気づいたのは、終了の鐘が鳴ったとき。「ああ、いま自分は無になっていたんだ」と感動した。

東京で生活していて、頭が空っぽになったことなんてあったかな。刺激的な生活を前にして、良くも悪くも、いつも感情を動かされていた。

だからこそ、その上がり下がりに自分がついていけなくなって、ときには外に出て誰かに会うのすら嫌になることも。きっと、いろいろな感情や情報で、心が窮屈になっていたんだろうと思う。

今回の座禅は、そんないっぱいいっぱいになった心をリセットしてくれた。

見渡す限りの青もみじ。生命力をぐんぐん感じた

禅堂を出て、方丈と開山堂を結んでいる通天橋を歩く。

京都を代表する紅葉の名所である通天橋からいま楽しめるのは、見わたす限りに広がる青もみじ。

青もみじの見ごろは6月まで。そこからは、だんだんと濃い緑へと色を変えていくのだそう。

桜の季節が終わり、やっと芽吹いてきたもみじたちの青さはとてもやわらか。太陽に透けると、折り重なった葉の姿すら見えてしまいそう。座禅で空っぽになった心の空間に、鮮やかな生命力がぐんぐん入り込んできた。

「もみじといえば紅葉」と思い込んでいたけど、青もみじがこんなにもパワーのあるものだったなんて、知らなかった。


[そうだ 京都、行こう, 東福寺

撮影/内山めぐみ 文/浦田昆

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