「何かあったの?」
「何もなさすぎて」
「それはさぞ、悩むだろうねえ」
そんな皮肉いっぱいのやりとりを、同僚とした。
最近、仕事が充実していた。
ひとりで暮らすぶんには生計が立つようになったし、支えてもらう相手がいなくてもなんとかやっていけるほど、精神的にもたくましくなっていた。
恋愛というものから遠のいて数年。私には浮いた話が一切ない。
「なんか、イイ人いないの?」
同僚が、定型フォーマットに当てはめた質問を繰り出す。
「いたら苦労しないよ」
行きつけの焼き鳥屋を出ると、大きく伸びをして心地よい夜風を吸う。
「イイ男、いないかなあ...」
私のささやかで傲慢な悩みは、解消されないまま朝になった。ただ、翌日になって、ある夢を見ていたことに気付く。
二足歩行するネコが出てきて、「あなたが異性として好きな人は誰なのか、教えてあげましょう」と言い、私の手元に古そうな携帯電話を置く夢。
紳士的なネコは、真っ直ぐに私の目を見ながら言った。
「明日、この電話で適当な番号を押して、かけてみてください。どんな番号であっても、あなたが無意識のうちに好きだと思っている相手にかかります」と。
そして、その翌朝がいまで、私の手には、しっかりと古い携帯電話が乗っている。
──そんなことがあったとする。この世界に、ひとつだけ恋を手助けする未来のテクノロジーが存在したとする。それをあなたが手にしたら、どんな恋をするだろう。
この連載では、ライター・カツセマサヒコが、ひたすらありもしない「もしも」を考えていく。
Chapter 1 山手線6駅分の会話がなんだか心地よかった彼携帯電話の見た目は、明らかに壊れているように見える。
ストレートタイプのガラケーの画面には、何も映っていないし、試しにボタンを押しても反応しない。
「これ、適当に押してかかった番号が、本当に知らないおばあさんとかだったらどうすればいいの?」
質問したいけれど、相手は夢の住人なもので、回答は得られそうにない。「信じてみて」と目を細めて言うネコの姿だけが思い返された。
とりあえず仕事に行くため、古い携帯電話を鞄に放り込み、家を出た。
職場までは山手線で一本。都内に住んでもう10年近く経ち、満員電車も慣れきってしまった。人というよりはモノになりきり、心を殺して電車に揺られ、目的地へ向かう。
ふと、人の波に体を任せてホームに降りたところで、見たことのある人影に気付き、私はモノから人へと気持ちを戻した。
一昨日もたまたま再開した、大学時代の男友だち。
大きな会社名も、大きな肩書きもないけれど、山手線6駅分の会話がなんだか心地よかった彼と、今日も同じ駅で会ったのだった。
「おつかれ」
後ろから声をかけると、少し驚いた顔をしてから、「おう」とぶっきらぼうに彼は返す。
Chapter 2 「あれ、なんでオレの番号知ってんの?」彼を異性として好きかどうかを判断するには、材料が少なすぎた。
もう何年も恋をしていないせいか、柄にもなく「好きって、なんだっけ?」と悩んでしまっていたのが、一昨日のことだった。
別に容姿が整っているわけではない。
ファッションセンスもいいほうとは言えないし、たまに毒を吐くこともある。
それでも許せたのは、古くからの付き合いもあるからだし、それらが異性として魅力的かどうかは別として、彼との会話は、それほど苦痛じゃなかった。
会社の方向が別々なので、「じゃあね」と別れを告げてから、ふと振り返って彼の背中を見る。
「いま、電話をかけてみれば、彼が出るかどうか見えるんじゃない?」
もしも彼が出たら、この携帯電話は私の気持ちをはっきりさせてくれるし、彼が出ず、ほかにどこにも繋がらなければ、私に好きな人はいない。
もしもまったく知らない人に繋がれば、それはさすがに、ただの壊れた電話ってことなのだろう。
脳内を都合良く整理すると、鞄からあの携帯電話を取りだす。090から始まる適当な11ケタを入力。画面には映らないので、確認はできないまま通話ボタンを押した。
視線を彼に戻す。
こちらに背を向けてまっすぐに歩いていた彼が、おもむろに体を動かし、ジャケットからスマートフォンを取り出して耳に当てる姿が見えた。
「もしもし?」
その声はまさに、さっき別れたばかりの彼のものだった。
「あれ、なんでオレの番号知ってんの?」
好きだからだよ。
自分でもまだ認めきれずにいるその一言を、なんとか飲みこんで誤魔化した。
──「カツセさん、好きって何なんですか?」という、青春ド真ん中な質問をたまにされます。僕は「なんだろうねえ」と思いながら、「その場にいない相手のことを四六時中考えてるときの、そのなんとも言えない気持ちのことじゃない?」と返す。
正解はわからない。でも、「試着室で思い出したら恋」みたいなキャッチコピーがあったと思うし、きっと恋には、「その場にいないときに顔が浮かぶかどうか」という指標が合っているのではないかと思う。
「好きかどうかわからないけど、気になる人がいて」は、たぶんもう好き。「彼のこと、好きかどうかわからなくなってしまってて」は、たぶんもう嫌い。そのくらい、わかりやすいことばかりならいいのになと思いました。
撮影(トップ)/田所瑞穂 撮影(4枚目)/出川光 写真(2、3枚目)/Shutterstock 文/カツセマサヒコ
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