後輩が、怪訝な表情をして僕の顔をのぞきこんでいた。
新宿三丁目のルノアール。
手応えなく終わった新規取引先への提案を一度忘れるため、入社5年目となった後輩を連れて、潜りこんだのだった。
「いや、でもあれ、オリエンと求められてることが違いすぎますもん。私たちは、よくやったと思います」
「奢る」と言ったら容赦なく注文されたミルクレープを食べながら、後輩は僕の気持ちを代弁したかのように言う。
しかし、僕が考えていたのは、まったく別のことだった。
「うん、そうね」
一度相槌を打ってから、5つ下の後輩にたずねる。
「お前さ、もしも俺が、願いをひとつだけ叶えられるって言ったら、何してほしい?」
「いや、疲れすぎでしょ。ケーキ食べます?」
まったく相手にされなかった。
たしかにタイミングも内容も明らかにおかしい。だからプレゼンも上手くいかないのだ、と自分を戒める。
しかし、昨夜、夢を見たのだった。
二足歩行するネコが出てきて、僕に言ったのだ。「『他人の願いだけ叶えられる手帳』を渡す」と。
ずいぶん愉快な内容だったし、ネコとはいえ、ひさびさに真摯な対応をしてくれて、気分が良かった。
ここ最近は、コンビニや牛丼チェーン店ばかり行っていたせいで、「お客様」扱いしてくれる存在に逢うこと自体が久しぶりだったのだ。
それで、今朝起きたら握りしめていた小ぶりな手帳を、いまも持っていた。まだ一文字も書けていないその手帳を、誰のために試せばいいのかわからずにいたのだった。
――そんなことがあったとする。この世界に、ひとつだけ恋を手助けする未来のテクノロジーが存在したとする。それを貴方が手にしたら、どんな恋をするだろう。
この連載では、ライター・カツセマサヒコが、ひたすらありもしない「もしも」を考えていく。
Chapter1「願いなんてないんです」「もしもの話だってば」と冗談交じりに言うと、ようやく後輩は考え始めたが、「でも、先輩に叶えてもらえるお願いごとなんて、そんなにないんだよなあ」と、またしても落胆させることを言った。
僕という存在は、そんなにも頼りないものだろうか。
「『さっきのプレゼン結果が上手くいきますように』とかは?」
「いや、なんかもっとこう、仕事以外にないの? プライベートなこととか」
「ええ、なんで? 仕事以外で先輩に叶えてもらいたいこととか、ないもん」
「冷たいこと言うなあ。ホラ、なんかないの。もっと楽しいやつ」
どうせなら、もう5年の付き合いがある異性として、それなりの願いを受けたい。
そう思ってしまうのは、彼女のことを単なる後輩としてだけではなく、女性としても意識しているからだ。
そんな人からどうでもいいような願いをされると、こちらのプライドもズタズタになってしまうもので、いまになってようやく、ドラゴンボールに出てくる龍やランプの精の気持ちがわかり始める。
くだらないことのために、僕を使うんじゃない。
Chapter2「私の願いなんだから、私の勝手でしょ」「あ! じゃあ、これは?」
彼女が閃いた顔をする。
「おお、なになに?」
僕も少し前のめりになって聞く姿勢をつくった。
「先輩に、彼女ができますように」
少しニヤつき気味に、目の前の美人は言った。
またしても、失恋である。先ほどの取引先へのプレゼンに続き、二連敗は確定。
「あのな、俺のことはどうでもいいんだよ」
これ以上傷をえぐらないでほしい。僕はそう思いながら、できるだけ落ち込んでいることがバレないように、カフェラテが入ったグラスを回しながら言う。
「なんで? 先輩もう32でしょ? いい加減彼女くらいほしくないです?」
「うるさいな、お前だって、適齢期のクセに彼氏いないだろうが」
「あ、セクハラ。いまの完全にセクハラ。ほんとデリカシーない。だから彼女できないんだよ」
「うっせー、ほんとうっせー」
こういうやりとりこそが、彼女との楽しい時間の過ごしかただと僕は知っている。お互いに飾り合うことなく、素の自分がさらけ出せる。長く一緒にいるなら、絶対にこういう人がいい、と最近思ったのだった。
「いいから、願いはそれにしてくださいよ。私の願いなんだから、私の勝手でしょ?」
死刑宣告をされているようなものだった。でも、言われたら仕方がない。もはやヤケになって、僕は手帳を取り出した。
「なにそれ、デスノート?」
からかう彼女に少し腹を立てながら、手帳を開いて目の前に差し出す。
「その願い、ここに書いてみて」
Chapter 3「もしも、さっきの手帳で何も叶わなかったら...」「いや、先輩、本当に大丈夫?」
本気で心配している様子だった。無理もない。自分がこんな奇怪な行動をされたら戸惑うに決まっている。
でも、別に減るものでもない。僕にはこれっぽっちも興味がないだろう彼女にいまさらどう思われても、大したショックにはならないのだ。
後輩は渋々ペンを取りだすと、手帳に大きく願いを書き始めた。
「はい、書きました」
絵馬に書いたような、ていねいな字が綴られていた。白紙だった手帳に、「センパイに彼女ができますように」といういたたまれない文字列が並んだ。
「これでいいでしょ? 店、出ません?」
そう言うや否や、すでにコートを持ってカバンから財布を取り出そうとしている。
「ああ、奢るって。ここは」
「いや、先輩、ほんと疲れてるみたいだから。今日は出させてください」
「いいから。格好つけさせて」
強引にレシートを奪ってレジに向かう。手帳に書いた願いは、いまのところ叶う気配もない。
「あいつ、ウソつきじゃんか」
ボソっとレジ前でつぶやくと、店員が怪訝な顔をした。
気分が良かったのは夢のなかだけで、実際は散々。いくつかの恥をかいただけで、彼女が僕のことを異性としては何とも思っていないことがわかったし、厳しい現実ばかり直面した日となった。
(今日は早く帰ろう)
ルノアールを出て駅まで向かいながら、後輩の話を半ば無視して、自分に言い聞かす。全部面倒くさくなった日は、早く帰って熱い風呂にでも入るに限るのだ。
小さな覚悟をしたところで、また後輩の声が戻ってくる。
「先輩、聞いてます?」
「ああ、ごめん、なんだっけ?」
とぼけた顔をわざとつくって、異性として見られたかった女性に問いかける。
「だから、もしも、さっきの手帳で何も叶わなかったらですよ?」
「うん」
「私が、彼女になってあげますよ」
「え」
夢も、なかなか捨てたもんじゃない。
僕はできるだけ冗談を返すように軽い口調で言った。
「さんきゅ」
――学生から、「何をしたいかわからない」という相談を受けることが、たまにあります。最近は何でもすぐ満たしてくれるし、周りと足並みをそろえることばかり教育されるせいか、若い人は本気で夢を抱くことを忘れがちなのかもしれません。
そこで、もしも突然「俺が願いを叶えてあげるよ」と先輩が言ってきたら、僕ならどうするだろう? と思いながら書いてみました。
ちなみに、僕が最初に浮かんだのは、「クルマがほしい」でした(苦笑)。
撮影(トップ)/出川光 写真/Shutterstock、Visual Hunt 文/カツセマサヒコ
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