ブランディング&クリエイティブディレクターをしています行方久子(なめかた ひさこ)です。
連載をさせていただくのは初めてのことですが、連載相手(?)の久美ちゃんと普段飲みながら話しているような、自然な気持ちをお届けできたらいいな、と思っています。どうぞ、よろしくお願いいたします。
ブランディングディレクターってどんな仕事?さて、ブランディングディレクターって? ブランディングってよく聞く言葉だけれど、実際はなにをしてるの? と聞かれるので、少しだけご説明を。
物やブランド、サービスや人、様々な事柄の価値を最大限に高めるように、なにをしたらいいかを考え、計画を立て実行し、市場でのポジショニングを確立させ、他と差別化をし、さらに価値を高めていくこと。
とにかく、関わる人がみんなハッピーになりますように。と、そんなことを考えてお仕事をさせていただいています。
私がこの肩書きを名乗ろうと決めたとき、広告業界以外に、この肩書きの方はほぼいませんでした。聞きなれず、資格があるわけでもない、この仕事と肩書きになぜたどり着いたかというと...。
専業主婦からプレスになった20代そもそも、私は大学を卒業したあと、すぐに結婚して専業主婦をしていました。ひとり暮らしをしたことも、銀行で振込をしたこともなければ、電球すら替えたことがないほどの世間知らず。学生時代のお友だちには「絶対に働けるはずがない!」と言われていました。
そんな風に言われながらも、いくつか経験を積んでからの前職は、社長3人と私でブランドをスタート。右も左もわからないアパレルの世界で、見様見真似でひとつずつタスクをこなすしかなく、20代は常に満身創痍...。
表向きはプレスという肩書きでしたが、デザインや生産、MDや経理まで...。
さらにカフェやヨガ教室、海外出店、といま思うと願ってもできないような様々なジャンルの経験をさせていただいて、あっという間の20代の8年でした。ここまでが会社員時代。
31歳で独立。でも思うようにはいかず...31歳でいざ、独立してみると、「何ができるの?」「いろいろできます! あれもこれも...」と説明しても、良い返事はもらえません。
小さい会社と大きな会社は働き方が違う、組織を作り効率よく仕事を進める大手では、私のような人材は求められていなかったのです。好きな仕事ができる! と勘違いして独立を決めたのに、なかなか思うような仕事ができず...。
書ききれないほど色々なことがあり、心の行き場所がない! と感じて、一度リセットしようと思い立ちました。違う視点で見ないと、何も生まれないのかも、と。
そこからは、家賃分のクライアントひとつだけキープして、貯金が全てなくなるまでいつもと違うことをたくさんしよう! と決め、ゼロになるまで(なんだったらちょっとマイナスになったよねw)毎月様々な場所を訪れました。
旅先では、大きなノートに今までやってきたことや、読んだ本の好きなセンテンス、好きな言葉など、自分を構成していると思われるあらゆることを書き出して、俯瞰で眺めていました。自分SWOT分析も50回くらいやったかな。
そしてやっと、自分で自分が活かせるお仕事を作ればいいんだ! というところにたどり着きました。
俯瞰で見る時間を作る長くなりましたが、アラサー女子には意識的に俯瞰で見る時間を少しでも作ってほしいんです。
女子は、一生懸命なあまりに目先のことにとらわれすぎる傾向にある。そうすると、自然に呼吸も浅くなってしまう。
自分も周りも俯瞰で見えていないと、一生懸命なあまりに、その瞬間だけで、どちらがずるい、得している、なんて小さなことにこだわりすぎていたり、周りの人を無意識に蹴落としていたり、嫌な思いをさせていることに気付かない。結果、誰も得しない。そんなシチュエーションをたくさん見てきました。
前回のインタビューでは、「クールで知的」なんて書いていただきましたが、涙もろいし、困った人がいたら放っておけないお節介な性格。えらそうなことを言っても週1レベルで財布を忘れて家を飛び出す、かなり抜けた40代です。ね、久美ちゃん。
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