子育て本を読むにつれ、子や親という立場に関係なく自分のためになる話が多いと気づきます。なかでも今回ご紹介したい『おとなのひとにいってほしかった24のこと』(祥伝社)は、子育てに役立つだけでなく、幼い頃の自分を癒してくれるような本でもあります。

頑張らずに途中でやめたら、望みは叶わない

「とにかく終わらせなさいといってほしかったです」と書かれたページでは、その理由として

頑張らずに途中でやめて、望みが叶ったひとなんていないのですから。

(『おとなのひとにいってほしかった24のこと』P25より)

と書かれています。たとえば本人がやりたいと言ってはじめたのに、すぐにやめると言い出した習い事を続けさせるかどうかという判断をつきつけられたとき。

やめさせてもらえなかった苦痛をいまだに覚えている自分としては、すぐにやめさせてあげたくなります。でも「○○ができたら、やめよう」と、なにか1つやり遂げてからやめるという提案もできそうです。

さらに「3年間くらいは捨ててしまいなさい」とも書かれたページでは、自分を磨くために強制的に3年間なにかをさせられると、そのときはイヤでも、のちのち「体験が実績となり、知識と技能は実力となって自信を生む」というのです。

「生きる意味があった」と思えるような生き方

また大人になった今、深く心にしみるのが「生きていることなんかには意味はない」というページです。

はじめから何もしないで意味を求め考えることは、自分が特別に選ばれて生まれてきたのだという思い上がりだったのでした。(中略)「生きる意味が何か」などと問うより「生きる意味があった」と思えるような生き方をすべきなのでした。

(『おとなのひとにいってほしかった24のこと』P33より)

「自分には生まれてきた意味があるはずだ」という考え方はたしかにモチベーションがあがります。でも行き過ぎると夢見がちにもなることも。そこで「生きる意味があったと思えるような生き方」にシフトすれば、地に足がつき、意欲も湧き上がってきます。

20世紀最大の哲学者ジャン=ポール・サルトルは、人は無意味だからこそ選択によって自分をつくりあげる(意味づけできる)自由があると説いています。自由に不安はつきものですが、それでも希望を生み出し行動すれば、その先に「生きる意味があった」と思える日が来るのかもしれません

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