お腹の目立たない初期だからこそ
長女を妊娠していた当時、わたしは学校に通っていて、毎朝ラッシュ時に地下鉄に乗っていました。妊娠初期は体調が優れず、本当につらかったのを覚えています。吐き気、ふらつき、頭痛......。途中でいったん降り、ベンチで休んでからまた乗ったり、どうしても耐えられず最後の2駅は電車をあきらめトボトボと歩いてみたり。日本みたいにマタニティマークがあれば違ったのかなぁと、考えたこともしばしば。幸い、わたしは人の助けが必要な事態にまで発展することはありませんでしたが、電車で座れる、座れないの問題ではなく、マタニティマークがあれば、もし何かあったとしてもスムーズに助けてもらえる、そんな安心感を持って外出できたのではないかと思います。
人から妊婦だとわからない時がつらい
あるドイツ人に「日本にはマタニティマークっていうのがあってね......」という話をしたときのこと。すると、その人は「日本人はそのマークがないと親切にしないの? ドイツにはそんなもの必要ないよ。電車なら席も譲るし、思い荷物を持ってたら助けるし」と。いやいや、違う。そういう問題ではないんだな。
日本だろうとドイツだろうと、きっと世界のどこにいたって、妊婦さんに対する思いやりはいたるところにあって、見てすぐ妊婦だとわかるなら、きっといろんな場面で救いの手はさしのべられるはず。けれど問題は、「まだ誰も妊婦だとわからない時」のこと。妊娠初期からお腹が目立つなんてことはありえないし、妊娠中というのはえてして、お腹がふくらんでいない初期が一番つらく、気持ちも不安定なもの。でもそんな初期に、貧血で倒れたら? 急なめまいや動悸でその場から動けなくなってしまったら? そういう状況では、口をきくのもつらい、あるいはきけず「おなかに赤ちゃんがいます」のたったひとことも出ないと思うのです。
賛否両論あり、マタニティマークをつけた妊婦さんが狙われるなんていう悲しいニュースも耳にする昨今。けれど、わたしはそれが作られたこと自体には、日本人らしい配慮と優しさを感じています。そしてせっかく存在するからには、それが本来の目的通り機能するような優しい社会であってほしい、また、マタニティマークが妊婦さんの不安な気持ちにそっと寄り添ってくれる小さな味方であってほしいと切に願っています。
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