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石井ゆかり「手のひらの言葉」vol.6 時間

2014/11/20 19:30 投稿

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日常にあるなにげない「言葉」をひとつずつ手のひらにのせて眺めてみる......そんなエッセイを石井ゆかりさんにお願いしました。最終回の言葉は「時間」です。 

マイロハス編集部さんから「お題」を頂いて書くコラム企画、第6回目のテーマは、「時間」。

早くもこれが最終回だ。そして、月間占いの連載も、来月12月分で終わる。マイロハス編集部から初めてメールを頂いたのが2006年9月だったから、丸八年の時間が経ったことになる。8年間、まことにいろいろなことがあった。

何事も永遠には続かない。どんなことにでもいつかは終わりがくる。私たちは物語の渦中にいるときは「時間」に鈍感だし、ごく短いスケールでしか時間を扱わない。でも、物語の終わりが近づいてくると、突然、何年、何十年といった長い時間を体感する。卒業式とか、ある集団を離脱するとき、長く続けて来たことに終止符を打つとき、別れのとき。私たちは自分にとって大切な物語が終わろうとするとき、初めて目を上げて「時間」を見渡そうとする。

未来の時間は、決して見えない。だから、私たちが時間を実感するのは、いつも過去についてだ。

などと書いてみたが、先頃『3年の星占い』(WAVE出版)なる本を12冊も刊行しておきながら「未来の時間は見えない」なんて、我ながらいかにも無責任なことだ。古来、誰もが未来に広がる時間をあらかじめ、見たいと願った。否、「時間」というものがそもそも、目に見えるものではないため、それをどうしても、可視化する必要があった。

時間を可視化する道具として、私たちは現代、主に機械式の時計とカレンダーを用いている。機械式の時計は、くるくる回る。カレンダーも、一月から12月、日曜から日曜をぐるぐると繰り返していく。

どこかで読んだのだが、最初に表れた暦、つまりカレンダーの元型のようなものには、「年」の表記はまだなく、繰り返される季節を示す「月」のようなものだけが刻まれていたそうだ。つまり、一二ヶ月のようなぐるぐる回るサイクルを示す「時間の輪」の暦が先にできて、1年、2年と積み重ねられていって後戻りすることのない、直線的で不可逆な「時間の矢」のほうは、後からできたのである。

生き物は進化する。人間も、赤ん坊から子ども、青年、老年へと変化していく。効率よく生産し、ぐんぐん成長を遂げ、決して後戻りしないことを多くの人が希望している。同じところに踏み止まってあるパターンをくり返し続けたい、という望みは、消極的だと非難されることもある。現代的な価値観で行けば、「時間の矢」のほうがずっと支配的だし、好ましいと考えられている。ワンパターンのくり返しには、みんな飽きてしまう。目新しいもの、かつてないものが求められる。ゆえに私たちは、自分の人生に「繰り返されているもの」に、なかなか気がつかない。

星占いで用いる、星の位置を記した図である「ホロスコープ」は、「horo(hour:時間の語源)」と、「scope(見る)」が組み合わされた言葉だ。ホロスコープとは「時間を見るもの」なのである。暦も時計も、もとはといえば太陽や星など天体を観測し、そこから計算されてつくられている。何気なく時計を見、カレンダーを見る時にも、私たちはいつも、星の時間を見ているのである。夜と昼は、太陽と地球の位置関係で決まる。時間は空の星の位置、そのものなのだ。

星は空をぐるぐる回る。地球自体も、太陽の周りを回っている。これは「時間の輪」そのものだ。ホロスコープは機械時計と違い、ぐるぐるまわる、繰り返されているサイクルとしての時間の中に「意味」を読み取ろうとする。

「12宮(星占いで用いる12星座のこと)は、数学的・抽象的文字盤を持つ時計ではなく、意味をはらむ文字盤を持つ時計なのである。そこではいかなる1分も、他の1分と同じではない。」(エルンスト・ユンガー「砂時計の書」より)

人生は1枚のペルシャ絨毯だ、とS・モームは書いた。その真意は作中では、はっきりとは明かされなかった。ペルシャ絨毯を見ると、同じ文様が、小さく、または大きく、時に違った色で、くり返しくり返し織り込まれている。ひとつのモチーフを様々なバリエーションで演奏していくクラシック音楽のように、私たちの人生にもそれぞれ、「ちいさく、あるいは大きく、つねに繰り返されてゆくもの」があるのではないだろうか。繰り返されるモチーフやテーマは、人にとって全く違っているだろう。でも、そのモチーフは、たとえば歩き方や遊び方、物の食べ方、話し方から動き方、考え方、人生の選択や生き方に至るまで、随所に鳴り響いているだろう。

まっすぐに貫かれる時間ではなく、「繰り返される時間」を思うとき、私たちは新しい可能性に気づくことができるのではないか、と私は最近、夢想している。私たちは多分、様々に変化することができるが、それは、自分の人生に繰り返されているあるモチーフと無縁ではあり得ないのだ。

これは、決められたとおりの運命を繰り返すしかない、という意味ではない。そうではなく、そのモチーフを輝かせ、大きく美しく鳴り響かせるにはどうしたらいいかを考える、という意味だ。耳を澄まし、あるいは心の内奥を見つめると、そこに「繰り返される時間」が見えてくる。直線的に過ぎ去っていくばかりで決して帰ってこない時間ではなく、何度も試し、やり直し、また再生させることができる、ごく生産的な人生が、そこに見えてくるのではないか。そんなことを、このところ、考えているのだ。

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