「ああ、もうダメだ」と絶望的な気持ちになることってあります。あとで思い返せば大袈裟だったと思うかもしれないけれど、そのときはどん底の気分に陥るものです。
生きていれば誰しもいちどは経験する、この絶望感とはいったいどこから来るのでしょうか?
金子みすゞの不思議な詩もしかしたら「自分ひとりで乗り越えないといけない、でも無理だ」といった強いプレッシャーから生まれるものかもしれないと、そんな風に思える不思議な詩と出会いました。
それは没後80年以上経っても今なお愛され続ける童謡詩人・金子みすゞのこんな詩です。
蓮と鶏
泥のなかから 蓮が咲く。
それをするのは 蓮じゃない。
卵のなかから 鶏が出る。
それをするのは 鶏じゃない。
それに私は 気がついた。
それも私の せいじゃない。
(金子みすゞ童謡集P110~111より引用)
たしかに、蓮が咲くのは、泥のせいでも蓮のせいだけでもありません。ではなぜ蓮は咲くのでしょうか。きっと、風や土、水、微生物など、目に見えるものや見えないもの、いろいろなものの影響を受けて咲くのでしょう。
ひとりで頑張って生きてきた、と思う瞬間もあるけど自分も同じ。ひとりで頑張って生きてきた、と思う瞬間もあるけれど、じつはさまざまなものの影響を受けて、やっとここに存在できているのかもしれません。
そしてこの先もきっと、いろんなものやいろんな人に支えられて未来へ導かれていくのでしょう。それを実感するだけで、絶望的だった心にも希望の光がみえてくるのではないでしょうか。
[金子みすゞ童謡集]
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