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「常識とは、●●のコレクション」。頭をシンプルにする先人達の教え

2013/08/19 08:00 投稿

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情報化社会と呼ばれる現代では、知識を身につけることが人生の向上につながると考えられています。ですが向上するどころか、逆にその情報や知識に振り回されることもあります。

たとえば、最近では情報の収集をするあまり、すべての情報を手に入れたいという衝動に駆られる「情報洪水症候群」という症状も。情報に溺れてしまい、かえって仕事や生活に支障をきたしてしまいそうになる。そんなときに心に響くのが、古代中国の哲学者、老子の言葉です。


欲望を捨て、あるがままでいるには"知識"は不要!

「学を為す者は日に益し、道を為す者は日に損す。之を損し又た損し、以て無為に至る。無為にして而も為さざる無し。」

(学問を修める者は日々にいろいろな知識が増えていくが、道を修める者は日々にいろいろな欲望が減っていく。欲望を減らし、さらに減らして、何事も為さないところまで行きつく。何事も為さないでいて、しかもすべてのことを為している。)

(『100分de名著 老子/蜂屋邦夫 著(NHK出版)』P.40より)

老子の理想としている無為自然(あるがままの状態)になるためには、学ぶべきではないと言っています。人為的に知識を身につけることは、財産や名誉などと同じく欲望につながるということです。

ひとくちに知識といってもさまざまあると思いますが、なかには、たとえば相手を陥れるための知識などもあります。知識があるからこそ悪知恵や悩みが生まれるのだから、知識なんていらないという極論が出る気持ちは理解できます。

もっと身近な日常の中でも、「本日限り」「新作」「残りあと1点のみ」などの文字が目に入るだけで購買意欲が高まるということも。その場合、この商品が必要かどうかが重要なのであって、「本日限り」や「新作」は余分な情報ともいえます。

また、かのアインシュタインはこういっています。


「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。」

(『アインシュタイン150の言葉(ディスカヴァー・トゥエンティワン)』P.26より)

たしかに親や世間から植え付けられてきた偏見という情報、不要な思い込みのせいで、悩んでいる人は少なくありません。

自分にとって必要なものと必要でないものを見極めて、必要でないものを捨てる断捨利のように、情報や知識も不要なものは捨てていく。できることからでも、そうしていけば、もっとラクな気持ちで生きられそうです。

[ストレス・ラボ]

photo by Thinkstock/Getty Images

(知恵子)

 

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