「どうして私がこんな目に遭わなければならないの?」と人生の意味を問うシーンは、誰でも一度は経験したことがあるはず。
でも逆に、人生の方から「あなたはこの人生をどう生きるのか?」と問われているのだとしたら? 自分ではなく、人生という目に見えない存在がそう聞いてきたら? その行動や態度が変わってくるのではないでしょうか。
ナチス強制収容所体験で気付いた生きる意味
そんな目から鱗の考え方を教えてくれるのが、「言語を絶する感動」と評され今尚人気の高いヴィクトール・E・フランクルが書いた「夜と霧」です。これは ユダヤ人精神分析学者のフランクルが、みずからのナチス強制収容所体験をつづったもの。
強制収容所で過ごすということは、数分後には死んでもおかしくないということを意味します。いつも死と隣り合わせの状況で浮かんでくるのは「生きていることに何の意味があるのか?」という問い。しかし、この問いは強制収容所にいる人だけではなく、衣食住の揃っている今を生きる人にも沸き起こる疑問です。そんな疑問に応えるかのような一節が、この著書にありました。
わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。
(「夜と霧」池香代子訳 みすず書房より引用)
そして、この一文にたどり着くのです。
われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。
(「夜と霧」池香代子訳 みすず書房より引用)
そう! 考えるべきは、今この瞬間この環境や状況の中で、自分は何を選択するのか、ということ。その一瞬一瞬の選択こそが、その人の人生を創り上げ、その人自身をも創り上げるということです。
人生が問うています。「あなたはこの人生で自分自身をどういった人間に創り上げるのか?」と。そしてそれに応えつづけることこそが、生きる意味なのかもしれません。
[夜と霧 新版]
著者:ヴィクトール・E・フランクル
翻訳:池田香代子
価格:1,575円(税込)
出版社: みすず書房
[参照元:夜と霧――ドイツ強制収容所の体験記録]
photo by Thinkstock/Getty Images
(杉本真奈美)
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