島全体が廃墟、超が付くほどの秘境の島、ブラジルに行くより時間がかかる島、とにかく絶景ばかりの島。島といっても空気も文化もルールも島民の人柄もそれぞれ。記憶を手繰り寄せてやっぱり思い浮かぶのは島根県隠岐諸島(おきしょとう)にある中ノ島の海士町。「最も感動した島」と伝える。しかも私にとって「最も記事を書きにくい島」。なぜなら1度には書ききれないほど、町長をはじめ島の人たちの熱い想いと苦労が詰まった島だから。
海士町を囲む海は驚くほど深い青。隠岐全体が国立公園に指定されるほどの大自然。2009年には日本ジオパークとして認定されています。隠岐諸島(おきしょとう)は、島根半島の北に位置する諸島。本州からフェリーで約3時間、高速船で約2時間かかる隠岐には大小180以上もの島があり、人が住んでいる島は海士町、隠岐の島町、西ノ島町、知夫村の4島。その中で海士町は3番目に大きい島で、人口は約2400人。車で約2時間もあれば一周できる大きさです。
貼れる場所という場所に貼られている「ないものはない」ポスター。「ないものはない」。船を降りると大きな文字でそう書かれたポスターがたくさん出迎えてくれました。どういう意味か島に住む友人に聞いてみると「なくてもよい」「大事なことはすべてここある」の2重の意味を持つそう。そんな風に自分達のスローガンのような言葉を港に掲げている島はあまり見たことがない。ほとんどの島が「ようこそ」の意味を持つ島の方言が大きく掲げられています。
時間と潮のタイミングで奇跡のような絶景が隠岐にはあります。空と海の境目がわからないくらい美しい光景。 宇受賀命神社の参道の田園風景が物語の中のようでとても神秘的。実は海士町は「まちづくり」と「教育」の先駆者。借金105億円という状態の中、財政破綻する可能性があった海士町は2005年に島の職員たちが自ら給与カットを申し出て「日本一給料の安い自治体」となったという。
生き残りをかけ、細胞を壊すことなく冷凍し鮮度を保ったまま魚介を出荷できる「CASシステム」という最新の技術を5億円をかけて導入。たちまち新鮮な魚介が本州で人気となりました。少子化が進んで廃校寸前だった高校もIターン移住者を巻き込んだ取り組みで、島内の子供も通えないくらい島外からの入学希望者が増えたそう。
ブランド牛の隠岐牛はインドの牛のようにのんびり。なんと車なんて気にせず道をゆっくり歩いています! 驚きました。 島なのに豊富な湧水があることに驚きました。この綺麗な水の恵みと島の人たちの努力により海士町ブランドのお米とお酒を作っています。農業も、漁業もここまで豊かな島はなかなかないのではないでしょうか。夏のお祭り「キンニャモニャ祭り」も忘れてはいけません。8月に毎年島民が港周辺に集まり、しゃもじを両手に持って海士町で最も親しまれている民謡の「キンニャモニャ節」を歌いながら子どもから大人までエンドレスに踊り続けます。
日本の各地から伝わったという説や、キン(金)もニャ(女)も大好きで、モニャ(文無し)なキンニャモニャ爺さんこと杉山松太郎さんが歌った民謡、などさまざまな説が言い継がれています。必死に踊りを覚えて、私もお祭りに参加させていただきました!
たくさんの島の人たちや友人の笑顔を見ながら踊ると、自分も「海士町」という映画のほんの一部になれたかのような気分に。心から楽しんで踊っている皆さんの笑顔の背景にある苦労と島への愛情が伝わってくるような気がして、胸が熱くなるものがあったのを昨日のことのように覚えています。
トラックにまで歌詞が書かれています。島民に愛されている民謡であることがわかります。 お祭りに必須なのがこのしゃもじ!ちゃんと一人2本ずついただけます。 踊りを踊る銅像が凛々しい! 日本芸能協会のみなさん。さすがのクオリティとキレです。 夜には真上に大きな花火が打ち上げられます。こんな贅沢な花火大会なかなか出会えません。いまでは行政改革や、特産品開発、高校の魅力化プロジェクトなど、海士町独自の取り組みが全国から注目を集め、キャリアを持つたくさんの現役世代が島外から移住しています。
海の幸、里の幸、いろいろといただきましたが、海士町で採れた海苔おむすびが最高でした。「ないものはない」。この言葉が帰りの船では重く感じました。ここまで自分たちで島のことを考え、自分たちの島の背景や魅力を熱く語ってくれる島民を私は他では見たことがありません。ひとりひとりが自国愛の強い島国のよう。どうしても定期船の物資に頼らざるを得ない島が多い中、ここまで自立した島は少ないのではないでしょうか。今年の夏のキンニャモニャ祭の開催は8月25日。都心からは少し時間がかかりますが、一言では伝えきれない熱いものが感じられることをお約束します。