いまヨーロッパ女性の間で大きな議論となっているのが、イギリス「デイリー・メール」に寄稿されたエッセイ。イギリス人女性ヒラリー・フリーマンさんのものです。自身の娘を預ける幼稚園には「太った」教員しかいなかったことから娘を預けるのをやめたと公表しました。 自分の意見を堂々と言える勇気には脱帽。でも?

幼稚園の先生たちはとてもやさしく、人間性には全く問題ないとしながらも、様々な疑念にかられてしまったと彼女は言います。

その理由とは、「20代半ばにもかかわらず病的なほどに太っている」先生を見て、もし子どもに危険なことがあったなら、素早く動いて適切な処置ができないであろうと推測されるから。

またランチなども子どもたちと一緒に取るのか疑問に思いつつ、子どもに「太っていることは普通である」という間違った認識・習慣を植え付ける危険性があるとも指摘。教師はお手本的な存在でなくてはならないと自論を述べたうえで、この幼稚園では自分の子どもの成長に弊害をきたす、と考えたそうです。

プロフェッショナリズムの限界はどこに

彼女がエッセイを書いた理由、それは「太っていることはじつは悪いこと」と言いたかったから。人の体形について真実を語るとき、それは差別的であるといわれてきました。様々な雑誌では「あるがままを愛する」や「太っていることは美しい」特集が組まれ、その背景にある健康などへの弊害などは口にできない雰囲気であることがおかしい、と彼女は感じていたようです。

実際オンラインマガジン「フォーカス」によると、64%の成人が肥満にあるイギリスではこの問題は特に深刻(そのうち27%は病的な肥満)。彼女自身も決して痩せてはいないとしながら、母親として心配である、と結論づけています。

しかしそこまで幼稚園の先生が責任を持つ必要があるのでしょうか? 「体格が大きい=動きが鈍い」は完璧な偏見であり、どんなに教師が目を配っていても、タイミングによっては子どもは怪我をするときだってあります。教師とはやはり人間性ありき。教育とは人を見た目で判断してはいけないと教えるものでもあるので、母親が率先して人を差別するならば、どこの幼稚園に行ってもこの子どものこころの成長は期待できそうにありません。

「(ヒラリーさんのコメント)背が大きいとか低いとか、若いとか歳をとっているとか、それは誰にもどうしようもできないこと。私たちの肌の色や文化の違いも判断の基準にはならない。それについては誰にも文句いってはいけないと思うの。でも肥満は違う。人間は(自分でそう望んで)太るからよ」

Brigitteより翻訳引用)

驚くことは、彼女に賛同する声もあること。「幼稚園の先生」がどこまでプロフェッショナルでなくてはならないのかの線引きをどのようにするのか、難しそうです。

Brigitte,FOCUS,DailyMailOnline

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