――秀島さんは子どものころからラジオが大好きだったそうですね。
小学6年生のとき、アメリカに引っ越して初めて自分の部屋をもらったんですが、一人になると「明日も英語わかんないんだろうなあ」「何もしゃべれないんだろうなあ」なんて、翌日学校に行ったときのことを考えると不安な気持ちでした。そんなときに勇気づけてくれたのがラジオです。スイッチを入れると同じ時間におなじみの人の声が聞こえてきて、DJのキャラクターがダイレクトに伝わってくるのが好きで。時間を共有しているような気分でした。
――そして大人になってラジオDJになるわけですが、本には小さいころからあがり症だったとありました。
そうなんです。じつは人前で話すのが苦手で。でも、「ラジオは人前じゃないかも。部屋の中でマイクに向かってしゃべればいいんじゃない?」と思ってしまったんです。リサーチ不足でしたね。番組にはゲストが来るし、しかも初対面の相手と話さなければならない。独り言のようにしゃべるわけにはいかず、想像とは全然違いました。
――そうでしたか。ところで、ラジオDJとしてのデビューは大阪だったそうですが。
大阪の人たちには「こう言われたらこう返す」という、いわゆるボケとツッコミが自然と身についていて、ここまで感覚が違うのかとカルチャーショックを受けました(笑)。
当時、まだ全国区ではなかった恵方巻について商店街でレポートする、という仕事があったんですが、「おねえちゃん、何も知らんなー」と言われたりして。でも、どんどん人が集まってきて、積極的に取材に応じてくれたのは本当にありがたかったです。大阪の人たちのノリは外国人と似てるかもしれませんね。
――そういえば、秀島さんは3月にベルギーから帰国されたんですよね。
ええ。約1年間、夫と5歳の娘の3人でゲントという街に住んでいたんですが、向こうでも電車のチケットの買い方が分からなくてきょろきょろしてると、いろんな人たちが集まってきて教えてくれました。ゲントは日本人があまりいなかったので珍しがられ、話しかけられることもありました。目が合うとニコッとしてくれるのもうれしかったです。
――大阪での経験が、時を経てベルギーにつながったと。
まさにそうです。大阪では思ったようにできない自分への悔しさはありましたが、街の中ではありがたいと思うことばかりで。それはベルギーでも同じでした。
たとえば、スパイスを探しにスーパーマーケットに行ったときには、料理の写真を見せるといろんな人が必要な材料を教えてくれました。
――人の温かさを感じます。
ベルギーは知らないことだらけでしたが、そのおかげでコミュニケーションをゼロから考え直すいい機会になりました。人との接し方って言葉だけじゃないんだと思って、心を開いてもらうためにいろいろやってみました。目があったら笑ってみるとか、とりあえずハローとあいさつしてみるとか。試す機会は毎日ありましたからね。
――ベルギーでの経験が、この本の執筆にも生かされている気がします。
そうですね。行ってみないとわからないことはたくさんあったし、黙っていたら何も生まれないことも身にしみてわかりました。
思い切って教えてほしいと頼んだり、こちらから話しかけたりするのは大事ですね。柴犬を連れたおばあちゃんに話しかけたときには、その人の娘さんが日本のグーグルに勤めてることがわかって意気投合しちゃって。毎日がそういうことの連続でした。
......憧れのラジオDJになり、それから20年を目前にして、ベルギーで新たな気づきと出会った秀島さん。次回は忙しい仕事とプライベートを両立する方法や、これからのことについて伺います。
>>秀島さんインタビュー後編へ続く
お話を伺った方:秀島史香さん神奈川県茅ヶ崎市出身。音楽的知識欲は言うまでもなく、ライブから映画までアーティストに関する情報収集に余念がない。FM局のDJ、TV・CMのナレーション、絵本の読み聞かせ、通訳や字幕翻訳、美術館の音声ガイド、機内放送、コラムや音楽レビューといった執筆活動などで活躍中。『SHONAN by the Sea』(日曜6:00~9:13/Fm yokohama)『Please テルミー!マニアックさん。いらっしゃ~い!』(JFN各局)など出演中。[ブログ][インスタグラム]