まず自分の口ぐせを確かめてみました。私の場合、日常的に使っていたのはこんな言葉。
・「めんどくさい」
ときとして、わずらわしいことは起きるもの。しかし頻繁に人をめんどくさがったり、物事をめんどくさがったりしていては、心の幅がせまくなってしまいます。
・「つまらない」
いま身をおいている状況に停滞感がただよっていると、そう言いたくなってきます。でも、それなら自分で物事を詰めていけばいいのでは。
・「疲れた」
疲れた、疲れた......とくりかえしているだけでは、奇妙な自己アピールにすぎません。どんな助けを必要としているのかをはっきりさせることで、疲れの訴えかたも変わってきます。
言っても何の解決にも結びつかない言葉たち。しかも、こうしたネガティブワードには、人との関係を断ってしまう性質があります。本書でそれがわかったときから、私は使うことをひかえるようになりました。
言葉にはかたちがないので、ものの片づけのように「捨てる」ことはできません。でも、無意識・無自覚・不用意に言葉を発してしまうという、だらしない習慣の断捨離はできます。
自分からのサインは受け取ろう言うべきではない言葉だとしても、感じてはいけないというわけではないのです。むしろ私の場合は、心のなかに自然に浮かんできた言葉を無視しないことが、口ぐせの断捨離につながっています。
「正直めんどくさい」と思ったなら、それはもっと手間のかからない方法を探してみようという、脳からの指令。「疲れたな」と思ったら、休んだほうがいいという、体からの大切なサイン。自分のなかでは結構役立つものだと認めてしまうことで、口にしなくても平気になります。浮かんできた言葉は否定せず、自分のなかで受け取る。ただし、発信するときは慎重に。
言葉の整理は、頭の大掃除こうして、余計な口ぐせを片づけてみると、頭のなかがすっきり。言葉の断捨離というのは、頭のなかの大掃除なのかもしれません。
日ごろ、私たちは言葉を介してさまざまなことを理解しています。ひとりで過ごす時間でさえ、言葉を使って考えごとをしているほどです。使う言葉を選びぬくことで、思考や感覚は磨かれる。これからは、単なるくせでものを言うのはやめ、使う言葉を意識的に整えようと思っています。
[『「めんどくさい」をやめました。/さあ、言葉も片づけてみようか! 』]
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