怒りやイライラなどの感情の裏側には、多くの場合、自分の考えがあります。そして自分は自分のその考えが「正しい」と思い込んでいるので、相手がその「正しさ」の規範から出たときに「それは間違っている」という考えが瞬時に立ち上がり、怒りやイライラを生み出したりします。
たとえば「家族は協力しあって当然だ」というような考えがあったとします。そもそもこれが自分の「考え」だということがしっくりこない場合もあるかもしれません。家族が協力しあうのは当たり前だし、自分の「考え」ではなくて、世の中の理でしょう、多くの人が同意するはず、というような「考え」も浮かんでくるかもしれません。そこには「家族は協力しあうべきだ」だけでなく、「多くの人がそうだといっていることは正しい」という考えもあるということですね。
さて、「家族は協力しあうべきだ」の考えがあった場合に、家族で出かける時間に夫がテレビを見ていたり、ゴロゴロしていたりしたとしたらどうでしょうか。きっと怒りやイライラがわいてくるでしょう。「なんで手伝ってくれないの!」「自分のことしか考えてない!」そんな言葉もでてくるかもしれません。夫がもっと協力的だったらもっと楽に暮らせるのに......。でも、人は変えられないっていうし......。
でも、その根っこにあるのは、夫の言動ではなく「家族は協力しあうべきだ」という考えです。もしも「家族はそれぞれ好きなことをすべきだ」という考えがあったとしたら、夫のその言動は喜ばしいものになるでしょう。感情が湧いてきたとき、その矛先が相手に向きがちですが、一度立ち止まって、その根っこを見てみる。それは自分とともにあること、自分にやさしくするということです。
今日の1枚:他者にやさしくあるための唯一の方法は、自分にやさしくあることなんだろうとおもいます。自分が持っていないものは誰かにあげることはできませんから。
>>後編に続く
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