古来より哲学者は愛の種類を説いてきました。なかでも、「われ思う、ゆえにわれあり」の言葉で有名な哲学者デカルトは、『情念論』のなかで、愛は「愛着」「友愛」「献身」の3種類あると言っています。
ざっくり区別すると、相手より自分をとるのが「愛着」。「友愛」は同等。「献身」は自分より相手をとるので、神への無償の愛に通ずるものがあります。では自分の身近な人たちへの愛はどれにあてはまるでしょうか。
その瞬間の愛のかたちはどれ?私たちは他人に対してずっと同じ感情を持っているかというと、そうばかりではないもの。いつもは「尽くしたい」と思える相手であっても、ときに期待していた反応がかえってこず、腹がたってしまう瞬間もあります。そのときは相手を見下している状態とも言えるのです。
相手を含め、他人は自分を満たすために生きている道具ではありません。それなのに親しい相手なら、してもらって当然という思いがわきあがることも。すると「ありがとうの言葉がない」というだけでも、なんだかモヤモヤします。感謝を前提とした行為は、相手にとって負担かもしれません。また褒めてもらわなければ、やる気になれないというのも問題です。
ムッとしたら方向転換理想を言えば、相手からの感謝がなくても「貢献できている」こと自体に満足できる状態でありたいもの。そんな「献身」の状態なら、きっと不満も感じませんが、それは難しいことです。しかも「献身」に限って言えば、相手を間違えると大変。
とはいえせめて自分のパートナーや家族、夫、友人に対してくらいは、ムカッとした瞬間は「今の感情は愛着だな」と反省し、そして「相手は私を満足するために生きているわけではない」ことを思いだすことで、「友愛」へと方向転換したいものです。
photo by Thinkstock/Getty Images
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