もう少し例をあげてみます。たとえば「Aさんは嘘つきだ」。これは観察でしょうか、あるいは評価でしょうか。あるがままに物事を見たときは、たとえばこんなふうになるとおもいます。「Aさんは3時に来ると言ったけれど、5時に来た」「私はAさんのことを嘘つきだと思った」。
さらに、「3時に来ると言ったAさんが3時を過ぎても来ていない」とき「私」はがっかりしたり、イライラしたりしたかもしれません。ある出来事があった、そして私にこんな感情が湧いた。晴れている空を見上げたとき、なんだかワクワクした、雨が降っているのを見て、残念におもった。
そんなふうに、良いとか悪いとかといった評価や判断ではなく、あるいは評価や判断を下している自分に気づくことも含めて、その出来事を前にして自分に起きたことをただ認知する。それは、二元性から抜け出すことであり、その出来事をきちんと体験し、その体験をその都度完了させていくことです。
私たちの思考は過去や未来に思いをはせては、恐れや不安を生み出します。過去の出来事を過去の出来事として認識することは、遭遇する出来事や感情に振り回されずに、歩いていくコツなんだろうとおもいます。
今日の1枚:
ハワイの山で出会った向こう側が透けて見える葉っぱです。あるがままを見ているようでいて、その実、このくらいのフィルターを通して物事を見ているなあと思います。向こう側にあるグリーンの美しさをそのままに見られたらどんなに素敵でしょう。
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