たとえば、お腹はすいているけれど、疲れていて料理をしたくないようなとき。自分を鼓舞して料理をするのではなく、まず自分が疲れている、ということに目を向けてみる。そうして、ああ今は休息が必要なんだな、と自分の内側にあるものをすくいあげる。その上で、空腹を満たすために、料理をするのか外食をするのかを決める。その注意深さはまさしくマインドフルです。
ところが「丁寧な暮らしをしなければ」「丁寧な暮らし=手料理」のような思い込みにしばられていると、自分の内側に起きていること、疲れているなあ、料理したくないなあ、休みたいなあ、ということに気づく暇もなく、あるいは気づいていてもその声を無視したりなかったことにしたりして「料理を作らなければ」と頑張ってしまいます。そこには注意深さはなく、思い込みに乗っ取られてただひたすら走っているような状態です。
体は、自分に起きていることを示す掲示板のようなもの。体の声はつまり、わたし自身の声です。その声に耳を澄ませ、自分の感覚を信じること。その上で行動を決めることが「丁寧な生き方」なのだろうとおもうのです。
現代社会では、思考ばかりを使って体感覚がおろそかになりがち。思考は過去と未来を行ったり来たりしますが、体で感じることは、今この瞬間に起きている現実です。マインドフルに生きる、つまり丁寧に生きるということは今この瞬間を生きること。体の感覚、とくに呼吸に注意深くあることはマインドフルネスのはじめの一歩であり、すべてです。
今日の1枚:
夏は夜、と清少納言は言っていますが、夏の早朝もなかなかです。空気が澄んでいて、静かで自分に注意深くある後押しをしてくれます。そして、たまにはこんな朝焼けに出会えたりもします。
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