外なる社会の日程表は守るが、内なる時間、心の時間に対する繊細な感覚を、わたしたちはとうの昔に抹殺してしまった。個々の現代人には選択の余地がない。逃れようがないのだ。わたしたちはひとつのシステムを作り上げてしまった。ようしゃない競争と殺人的な成績一辺倒の経済制度である。(中略)一緒になってやらない者は取り残される。昨日モダンだったものが今日は時代おくれと言われる。一人が駆ける速度を高めると、みんな速く走らなければならない。それを進歩とよんでいる。

『エンデのメモ箱』P.130より引用

効率や合理的であること、より早く確実に結果を出すこと。美徳とされているこれらを求めることで、失うものは思っているより大きいのだろうとおもいます。前へ、先へ、早く、もっとよく。行き着いたところで得られるものは、さらなる前へ、先へ、なのでしょう。

それはちょうど、景色を見ることもなく、一心不乱に頂上を目指して山を登り、頂上にたどりつくとさらに高い山が目に入って、ああこんどはあれに登らないと。そんなふうに高みを目指すようなもの。でも、どんなふうに山を登るかは自分で決められることです。山道で出会う草木や花々、自然の匂いや風、光を味わいながら頂上へ向かいながらも、ひょっとして途中で下山してもまあいいか、そんなふうに気楽に歩みを進めてもいいわけです。

スピードに乗っているときは、自分を見失いがちです。山道を転げ落ちるかのように、ただ足が前に出ていくようなときには、一旦停止して内省する時間を持つ必要があります。もしかしたらどんどん追い越されるかもしれません。時間がかかったり、そのことをけなす人もでてきたりするかもしれません。それでもいいから自分らしく歩くぞという意志も必要でしょう。

どんなふうに歩くのか、あるいは走るのかを外側の基準ではなく、自分の基準で選択することが、自分らしい人生を歩むということ。そのためには自分の「内なる時間」「心の時間」の感覚を取り戻す必要があります。マインドフルな時間を持つこと、マインドフルに生活をすることは、その大きな助けになります。

今日の1枚:

北岳に登頂し、山頂から朝日を富士山とご来光を臨んだときの1枚です。北岳は今まで登った中でいちばん好きな山。一心不乱に山頂を目指していた頃もありますが、今は登頂することよりもゆったり山道を楽しみたいなあとおもっています。

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