ニイクラファーム(東京都西東京市)
代表 新倉大次郎
江戸時代から続く畑でハーブを中心に年間150~200種の野菜を栽培
一面に鮮やかなオレンジ色の花を咲かせるナスタチウム、足の踏み場もないほど生い茂るローズマリーの森、どこを歩いても深呼吸したくなるようなハーブの香りに包まれた畑が広がります。
西武新宿線、田無駅から徒歩7分、住宅街の中にあるハーブ農園"ニイクラファーム"を訪ねました。
ナスタチウム。花も葉も実もマスタードのようにピリっと辛い。
代表の新倉大次郎さんが畑を案内してくれました。
「このローズマリーは27年くらい経っています。古木は香りが良いってレストランには好まれますね。隣のこの木を嗅いでみてください。カレーの香りがするでしょ、カレーリーフと言ってインド料理には欠かせないハーブです。20年くらい前に南インド料理やさんが苗をそこにポンって置いていったらそのまま根が張ってこんな巨木に」
葉はもちろん花も食べられるハーブ。ちょうど咲いていたセージの花をつまんでみると甘い蜜の中に清涼な香りがふわっと広がり幸せな気分になります。
ローズマリー。古木と新芽では香りの強さが変わるので出荷先の好みで使い分ける。
カレーリーフ。油で炒めて香りを出す。南インド、スリランカ料理に欠かせないハーブ。
スペアミント。ハーブティや香りづけ、彩りに使う。繁殖力が強いのであっという間に広がる。
―ところでなぜハーブの栽培なんでしょう?
「えーっと。それにはここ"田無"という土地の説明からしないといけません。長くなりますからこちらへどうぞ」
事務所へ案内してもらい、じっくりと話を聞かせていただきます。
「"田無"という土地は古い道が交差するところ、もともと宿場町として栄えていました。ちょっと小高い地形だから田んぼには向いていない、それで"田無"と名がついたともいわれています。このあたりは農業と商売兼業の家が多く新倉家もそれを両立させていました」
畑には料理人が直接収穫に来ることも。「ここに来ると料理のイメージが湧いてきます」
ボリジの花を収穫しているのは近隣のお花屋さんのスタッフ。「市場で仕入れるより新鮮な花が手に入ります」
やがて交通の便も良くなり宿場町としての役目を終えた頃から、家業は農業が中心となり、葉もの野菜などを育てていました。お父さんの庄次郎さんが後を継いでいた今から40年ほど前頃に、東京ではスーパーマーケットが増えていきます。西武沿線には西友(当時は西友ストアー)がたくさんでき始めました。店舗が増え、野菜の仕入れに苦労した西友は、安定した価格で継続的に野菜を仕入れたいと考え、市場を通さないで農家からの直接取引を始めました。
農家と流通の直接取引は今では普通のことですが、当時では野菜は市場へ出荷されてから流通へ乗ることが当たり前。多くの農家は伝票も書いたことのない、作物を作ることだけを求められていた実直な人々ばかり。はじめは流通業との直接取引はなかなかうまくはいきませんでした。
「しばらくして田無の農家にも声がかかりました。商売人気質もある田無の農家たちは数字にも強く、駆け引きも上手。宿場町の商人として鍛えられていますからね。西友も『あれ? ここの農家は他の地域と違うな』って」
スイートバジル、レモンバジル、シナモンバジル、レッドルビンバジル。バジルだけでも4種。
シェフに人気のタンポポ。人気すぎて一時は絶滅の危機に。
その後、田無の農家は西友と継続的に取引するようになりました。もっと取引農家を増やしたい西友は、成功例の田無の農家、中でもリーダー的存在だった庄次郎さんに、農家を集めた講習会の講師をお願いするようになります。庄次郎さんは西友のバイヤーと一緒に全国を回り、ノウハウを教えていきました。
「教えることによって競争相手は増えてゆく。けれど良いこともありました。講習会の帰りの電車やバスの中で、西友の要望や情報を聞くんです。当時の西友は上流志向でワンランク上の生活を提案していたセゾングループのひとつ。上質な売り場を目指していた西友からは、今売れるものではなく"1年後に売れるもの"を作るように頼まれていました。例えばサラダホウレンソウは父が開発しました。他にもツルムラサキ、モロヘイヤ、サラダシュンギクなど西友からタネを提供され、いち早く作っていました。その中にハーブがありました」
そばで事務作業をしていた庄次郎さんも振り向いて話に参加してくれました。
「セゾングループ代表の堤清二さんが『ハーブを作りなさい』って西友に8種のハーブのタネ持ってきたの。ミント、イタリアンパセリ、ヤロウとかだったかな。西友はそのタネをウチに持ってきて、10月に西武百貨店で『これからの野菜』っていう展示をするからそれまでに作って欲しいって」
初めて見るハーブのタネ、作り方も分からなければどんな姿になるかも分からない。その頃、腰を痛めていた庄次郎さんは、もうダイコンなどの重い作物は作れない、農業をやめて畑はマンションにでもしようかとも考えていたそう。あまり乗り気じゃなかったけれど、畑の一角の小さなスペースで8種のハーブを育ててみました。すると8種のハーブは意外にもよく育ち、展示は大成功。ぜひ出荷してほしいと頼まれ、畑を続けることにしました。
甘い香りのチャービル。魚料理に合う。
スカンポ。酸味があってビタミンCが豊富。
時代はバブル景気。堤清二の号令で始まったハーブは売れても売れなくても西友が全て買い取ってくれる。だんだんとハーブの面積は増えていきました。けれどバブルは終わります。
「それまで作っていたハーブは100%西友が買い取っていましたが、それ以降、西友が必要な分だけを出荷、その代わり禁止されていた他の業者への販売ができるようになりました。ちょうどその頃バラエティ番組"料理の鉄人"が始まって。海外旅行へ行き慣れて本場の味を知っている若い女性が、続々と新しいレストランへ行くようになったんです。それまでは一流ホテルでもバジルペーストをシソとネギで作っていたような時代。本物の味を求めるお客さんに慌てたシェフたちの間で『東京で本物のバジルを育てている農家があるぞ』って評判になったみたいで」
レストランと畑が近いのでシェフが直接来て見て買える。おしゃれで本格的なイタリアン、フレンチの店が増えていくことでハーブの出荷はどんどんと増え、4、5年後にはレストランへの出荷が中心になっていきました。
庄次郎さんが机の引き出しから古い写真を取り出してくれました。そこに写っていたのは、若い庄次郎さんがハーブの苗を作っていたり有名シェフと並んでいたりする様子。東京のグルメブーム、食文化を支えていたんですね。
「俺にしてみりゃ全部夢、幻だけどね」ふふっと庄次郎さんは照れ笑い。大次郎さんの話は続きます。
「そのうちレストランからも『こういうハーブが欲しいんだけど』とタネを持ってきたり、ウチはもっと大きいサイズが欲しいとか、要望が増えてきた。それぞれの要望に合わせているうちにだんだんと種類や質が上がっていきました。僕の代になってからも野菜やハーブの品種はどんどん増えているから今は150~200種くらいかな。お客さんの要望を聞いてそれに答えるのは当たり前、僕は幼稚園の頃から商売を仕込まれていますから」
―5、6歳で畑しごとのお手伝いですか?
「畑の中の直売所で店番を手伝っていたんです。無人販売はしない、必ず会話をして売るというのが家の方針でした。『何かある?』って声をかけてきたお客さんに『今なら冷えたトマトがありますよ』って大きな声で返すことで、遠くを歩いていたお客さんも気づいてのぞいてくれる。同じトマトでもどれくらい熟して赤いトマトが人気なのか、とかお客さんとの会話で学んだり。お客さんとのやりとりに価値があるということを教え込まれました」
8種類のタネから始まったハーブの栽培は今では150種以上。今も全国のスーパーやレストランへ出荷されています。時代と要望に合わせてカタチを変えていく。田無の商売人気質は今でもしっかりと受け継がれていました。
サラダに使ったハーブ。左から時計回りに、マスタードレッド、チャービル、レッドスイスチャード、スカンポ、ナスタチウム、ホエシトスイスチャード、スィートバジル、マスタードグリーン。
<取材を終えて>
帰宅後、分けていただいたハーブをさっそくサラダに。食卓に農園の香りがよみがえります。私も同じく、生まれも育ちも西武沿線、田無と西友の話が楽しくてすっかり長居しちゃいました。人数が集まれば農園で収穫体験、量り売りもしてくれるそうなのでまたハーブの香りに包まれに行きたいです。
[ニイクラファーム]
撮影・文/柳原久子
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