家族とともにいるとき、自分にも相手にも、無意識的に(あるいは意識的に)さまざまなラベルを貼っています。
妻、母親、娘、嫁......。夫、母親、父親、姑、舅、息子、娘、兄、姉......。ひとりの人としてではなく、どうしてもそのラベル越しに相手を見てしまいます。さらに、そのラベルに対しての思い込みは、自分で思っている以上に強固だったりします。妻はこうあるべき、母親はこうあるべき、夫は、子どもは......。そして、夫婦とは、親子とは、家族とはこうあるべき......。そして、知らず知らずのうちに、自分や相手にその思い込みを押し付けてしまいます。
たとえば「妻あるいは母親は毎日朝ごはんを作るべきだ」と思っていたとしたら、朝ごはんを作らないことに罪悪感を感じるかもしれません。たとえ体調が悪かったとしても「朝ごはんを作らないといけない」とか「休むわけにいかない」と、自分に鞭打って朝ごはんを作るでしょう。「夫あるいは父親は毎日朝ごはんを作るべきだ」と思っていたとしたら、たとえパートナーが毎日朝ごはんを作ってくれたとしても、当然であると思ってしまうし、反対に作らなければダメな、あるいはひどい夫、父親だ、と判定を下すことにもつながります。
今日の1枚:
雄だと聞いてもらった猫、弦。後から病院で雌だと分かりました。雄だと思っていたときと雌だと分かってからでは、接し方が変化したことに自分でもびっくりしました。
>>明日の後編に続く
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