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なぜ、文化が必要か

2013/08/02 23:25 投稿

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今日は久々に茶道のお稽古に行って来ました。

お話しした中で、ちょっと気づいた事があったので書いておきます。

今の世の中、なんでもかんでも『効率』が最優先されます。

効率の悪いことが最悪のことであるかの様に言われます。

もちろん、効率が悪いより良い方が良いに決まってますが、それだけで良いのでしょうか?それが最優先されるべき事でしょうか。

茶道の点前でも、効率というか、非常に合理的に行われている事が解ります。

でも、それだけじゃないんです。

昔ながらの習慣や宗教観、自然観、歴史観がそこに盛り込まれている。

だから、茶道は文化の筆頭に挙げられるのでしょう。

効率的は言い換えれば経済的です。

経済的というのは、分配が適正に行われて居る状態の事です。

経済というのは経世済民の事ですから、経済的というのは、みんながまんべんなく幸福になる事を言うのです。ムダが無く、みなが等しくパッピーになる状態です。

文化的というのはそれを包含する概念だと私は考えています。

文化は非効率的ではないし、不経済でもない。

実は効率的で経済的であるのだが、それはすぐに効果の出ないモノをも含んでいる。

それが文化というモノです。

文化はカルチャーでcultivateから来ていますから『耕す』という意味からでた言葉です。

つまり文化は『土』です。

それに対して、効率的・経済的というのは『天』です。

干ばつに襲われたりしたら、民は天に願います。

日が照らなくても天を拝む。

でも、地には拝まない。

大地というのは、何千年何億年にも渡って、いろんなモノが降り積もり、川が氾濫したり、木々が肥やしを与えたりして、その肥沃さを持つのです。

ところが、天は、短期的。その時、その年、その季節です。

天を経済性・効率性を追求・実現する政治だとすれば、文化は私達の先人が脈々と積み重ねてきた土です。

土も、川の氾濫をとめたり、肥やしをやらないで無理な連作を行えば、いずれ、枯れてしまいます。

そして最期には、砂漠になってしまう。

砂漠になってしまえば、どんなに雨乞いをしようが、肥やしをやろうが作物はなりません。

雨は必ず降るし、太陽は必ず照る。

それが、人間の思う時期でなかったり、十分でなかったりするだけです。

それも、短期間です。

しかし、土はそう簡単にはできない。

化学肥料をまけば、良い作物ができると想われがちですが、同じ地域でも、地質によって作物の出来、味が違うのです。

うちの畑でも、200メートルも離れていない畑の作物の味が全く違うんです。

日照じゃないんです。土なんです。

土の恵みはもうあるモノ、与えられたモノだと想ってしまいがちなんです。

でも、天は時に意地悪をする。

母なる大地とはよく言った物で、どんな時でも大地は我々に恵みをもたらしてくれる。

でも、耕さなかったり、きちんと管理しないと、良い作物を毎年収穫することは出来ないんです。

つまり、土=文化とは、すべてのモノを生み出す土台なんですよ。

経済や効率はその土台の上で効果するものに過ぎないんです。

ところが、その土台を破壊して、雨乞いだけしようとする人がいるわけです。

耕して、タネをまかなきゃ、いくら雨が降っても良い作物はならないんです。

農作業というのは地味でしんどい仕事です。

でも、やることやれば、汗は必ず収穫に繋がる。

雨乞いは雨乞いなんです。

雨乞いしなくても、雨はいずれ降る。

雨が降らないのは、木を切りすぎて土を痛めつけ、砂漠化したからだったりするわけです。

このまま効率性・経済性だけを追求する様であれば、わが国は何も生み出せなくなるでしょう。

外的要因によって好景気が到来することはあっても、基本的な国力が向上することは無いと想います。

雨や日照など、天の事は、それこそ天に任せて、私達は、この後何百年何千年も続く子孫に残せるような肥沃な土壌を残すために肥やしをやり、田畑を耕すべきではないでしょうか。


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