【村下孝蔵】ボーカロイドカバー【初音ミク】

死別の解釈と竜緒事件ーmimi33さんの抬頭ー村下孝蔵ボーカロイドカバー創作の経緯2

2020/09/02 08:34 投稿

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2017年から2018年にかけては、私は仮想通貨取引にのめり込んでいた。2016年に0.5円だったリップルが500円に噴き上げるのを目の前で目撃したのだ。NEMも0.2円だったのがそれくらいになった。私は波に乗ろうと躍起になり、チャートシロウトだったので細かく取引するようになり、勝ったり負けたりを繰り返したが、最後に余剰資金全額、泉忠司という詐欺師に取り上げられた。

ふと、我に返って2019年に一般会員化していたニコニコ動画を開いた。すると私の独壇場であったはずの「村下孝蔵ボーカロイドカバー(マイナー曲含め全曲が対象に入っている)」にmimi33さんというハイレベルなライバルが抬頭していた。ゆかりちゃんの調教だけは私のミクちゃんの方に分があるものの、オケが完全自作で原作に忠実な耳コピ、キャラ絵の制作、背景、カメラ他完全自作ミュージックビデオの制作と、何でもこなすマルチクリエイターだった。しかも、私がずっとやりたかった『かざぐるま』で先を越されていた。私がリードしている部分と言えば、先の調教と、メインボーカルにところどころ音程が外れている部分があるということくらいだった。

しかも、3作目の『だめですか?』は私とかぶっており、原曲に忠実なオケを実現していた。きれいなMV付きで、私は目を疑った。

『花れん』だとか『だめですか?』を持ってくるあたり、もはやムラシタンであることは疑うべくもなかった。そして発見時点で『ロマンスカー』までが出来ており、そこから先多くの作品をアップロードするのであるが、さすがにそこまでのモチベーションとは思っていなかった。のちに発表される『手のひらの愛』など、いまだ私の知らない曲だ。アルバム『GUITAR KOZO』に収録されているらしいが、以前の回https://ch.nicovideo.jp/movie_reviewer/blomaga/ar1934422
で述べたように『七夕夜想曲』で憤り、1曲だけチラ出しし後は既存の曲という商売スタイルが腹立つので持っていない。mimiさんのカバーで充分だろう。

私の中にある憶測が浮かんだ。このクリエイターは事前情報として私という情けないムラシタンが、耳コピもできずに動画も一枚絵でショボいオリジナルアレンジと称して村下さんを汚しているのを知っている。そのアンチテーゼを創作の原動力としているのではないか、と。

私は思った、「これはイカン・・・」と。頭を殴りつけられたような気持ちに陥った私は、やりかけの『北斗七星』を開いた。そして怒涛の集中力を発揮して原曲『北斗七星』を聴き込み、同曲の耳コピを実現し、さらにオリジナルパート1つを加えた。もっとも、なんだか音の深みが薄っぺらいのは昔からで、その時点では解決方法がなかった。問題のミクちゃんのパワーの無さであるが、これが、それまでスルーしていたエフェクトに解決方法があった。詳細は企業秘密である。私は『北斗七星』において、ボーカロイドに目立つパワーの足りなさを完全に埋める、Mitchie Mの技術の何たるかを会得した。

私は懺悔の念を込めて『北斗七星』をアップした。再びプレミアム会員化して。これは、それまでとは異次元の出来のはずだったが、視聴者の反応は鳴かず飛ばずだった。

続く『かざぐるま』は、mimiさんに先を越されていたが、ずっと計画の上にあった作品で、どうせやるんなら早い方が良いということで次に作った。『北斗七星』から10か月もかかったが、これは『北斗七星』があまりウケなかったのに、やっても需要ないんじゃないの?という懐疑的な気持ちからモチベーションが低下していたのだった。しかし、このジャンルなどこの程度の反応が普通なのかなと思い直して、また集中力をもって耳コピし、今度は『北斗七星』よりさらにクオリティの高い耳コピが完成した。細かい音が原曲のイメージを良く再現していた。ウケは『北斗七星』と大差なかった。

この間、mimiさんは聖闘士星矢Lost Canvasの主題歌を出した。私は今それを発見したが、いよいよ驚いた。私が最初漫画を描きだしたのは1986年にジャンプで「バルゴのシャカ」をチラ見したのが最初の発端だったからだ。つまり、私は聖闘士星矢のファンである。『結婚式』で花嫁の目が常時閉じているのも中身が「バルゴのシャカ」だからだ。

まあ、それは置いておいて・・・

この前後「春雨祭り」とかいうのが流行った。本物のムラシタンから見たら「ああニワカどもがなんか騒いでるんだな」としか思えないものだったが、私より明らかにレベルの低い作品が簡単に私の1動画のマイリス数を越えてくるのに理不尽さを思った。だから、作品の出来=マイリス数と単純に言えないのだと改めて思った(それは歌い手時代から思っていた)。なにか、SEO対策的なもの、似たことをしている人に媚を売ること(歌い手時代にやってうんざりした)などの工夫が必要なのかもしれない。ただ、私は実力だけで勝負しないと、小手先の欺瞞的数値を誇りたくない。

ただ、その発端となったと思われる『春雨』があって、それはハイカラなベースアレンジで『春雨』を現代ポップス化したような作品で秀逸だった。これは音楽理論に詳しくないと出来ない犯行だろう。私にそのような技術はない。もっとも、私とは畑違いのように思え、これと張り合う気はない。

私が『かざぐるま』をアップした3日後、mimiさんが偶然AIきりたんの性能に浮かれた『踊り子』を出してきた。その時のmimiさんにとっては、私など過去の遺物であり全くのノーマークだったのだろう。そこでmimiさんは偶然つい最近私が『かざぐるま』をアップしたのを発見したはずである。

そして続く3月、mimiさんは『北斗七星』を出した。それは私の『かざぐるま』から芋づる式に『北斗七星』にたどり着き、私が『かざぐるま』を出したのと同じ事情でやったのだろう。ゆかりちゃんの調教については、やはり私に分があるように思われたが、オケとMVのクオリティでガンガン押しまくられた。

私にそこまでのMV作成は当面無理だが、オケのクオリティを上げることは出来る。私は今度は仕事の速さにチャレンジしようとして『夢の地図』を4月に出した。これはオケに深みを持たせた。音質がかなり上がり、もう薄っぺらさに悩むことは無くなった。粗末ではあるが動きもつけて視覚的にも楽しめるようにした。だが、ウケは鳴かず飛ばずであった。

続く『結婚式』は4月に音源は出来ていたが、前々回述べたようにMVの作成を外部に求めたため出来るのが8月下旬になってしまった。『結婚式』を選んだのはMVを作成する必然性を創出するためだ。mimiさんにぶつけるためにわざわざ歌詞が遠回しで分かりにくい作品を選んだのだ。そして音質のクオリティも調教も過去最高の出来であった。それなのに、マイリスは自分票だけだ。私は今、かなりのショックで、映像制作のプロに修行して成ったところで、もう村下さんをやるかどうかは分からない。違うことをしようかと思っている。

その間、mimiさんは『アンバランス』『少女』『すみれ香水』と怒涛の創作を実現した。とりわけ、『すみれ香水』については私がかねてよりやりたかったもので、いや、一度途中までやりかけたものだ。またもや先を越されてしまった。ゆかりちゃんのイラストがいよいよ上達し、もうその人を止める人は誰もいない。

だが、事件は6月24日村下さんの命日に起こった。

私はかねてより、mimiさんの『ロマンスカー』の解釈に疑問を持っていた。『ロマンスカー』では、私のイメージしたことのない「彼女像」というキャラが出てきた。なんか病床に臥せっているのである。何度か再生しないと分からなかったが、mimiさんは『ロマンスカー』を死別と解釈しているのである。「は?死別?」それが私の第一感だった。mimiさんがなぜ『ロマンスカー』を死別と解釈したのか一生懸命考えた。答えは一つしかなかった。「名もない星が流れたから」である。流れ星が流れると誰かが死ぬ暗示であるというのは、漫画とかでよくある話だ。それでmimiさんは『ロマンスカー』を死別にこじつけたのであろうが、アルバム『汽笛がきこえる街』から『純情可憐』までの全曲を把握しているムラシタンにとって、切ないシンボルは常にあるのであって、名もない星が流れただけで死別とするのはフライングである。

村下ワールドにとって失恋は常に、不倫が叶わない、片想い、見かけただけ、遠距離で他人に取られた、飽きられた、貧困などであり、死別の要素は全くない。『ロマンスカー』はただ単に貧困が原因で別れただけである。貧困は村下さんの恋愛において大きなテーマである。『ロマンスカー』全体に貧困は訴えられている。その集積である画竜点睛が、名もない星として流れるのである。そのテーマを差し置いて、死別を前面に持ってくるなど、はき違えも甚だしい。名もない星はただ単に流れたに過ぎない、否、死別ではなく生きながら別れを暗示して流れたのである。

私はそのことを、6月24日村下孝蔵コミュニティの生放送で生主のムラシタンkumakichiさんに訴えた。私は村下さんで死別の曲など『故郷へ』のじいちゃんだけだ、と言った。すると、kumakichiさんは『水無月十三夜』を流した。私は『水無月十三夜』をパッとしない曲だと思っていて、あまり深く考えていなかったが、言われてみると『水無月十三夜』は父親が死んだという曲である。

しかし、いずれも恋愛における死別ではない。

私が歌詞を書いたものに『牽牛星』があるが、これは「言霊」などの単語もあり死別とも取れる中身である。しかし、「言霊」は私がスピリチュアルな知識を持ち合わせているから表現したに過ぎない。単なるほのめかしであり、「死別」と明言した曲ではない。

mimiさんのように解釈したら、切ない何かが起こったら何でも「死別」と言えなくもなくなってしまう。村下さんの恋愛のテーマに死別など無い。

mimiさんのオリジナル曲で『七夕恋歌』というのがあり、去年の村下さんの命日に流された。村下さんの曲で死別は、『故郷へ』と『水無月十三夜』がある。だから、好きにすれば良いだろう、でも五月雨忌だとかなんだとか言ってポップスにしてしまうと、村下さんとの死別が安っぽいドラマに仕立て上げられてしまうようで、私は気に入らなかった。

生放送で視聴者の誰かが、『しゃぼん玉』の解釈について教えてくれと言った。ならば、今答えよう。『しゃぼん玉』は『引き算』と同じ曲である。「はかなきは生きること」を歌った曲である。恋愛において死別したのとは話が違う。生きることははかない、と言っているだけである。

『引き算』は村下さんの辞世の句のような作品である。村下さんはこの曲を書いて間もなく、急性脳内出血で死亡するが、それは本人の預かり知らぬところである。『引き算』は村下さんの霊感が成す業なのである。私は命日にやるなら『引き算』が相当とみて考えていた。しかし、『結婚式』の出来があまりにも遅く、『引き算』の方向性が定まらないため諦めて、kumakichiさんの生放送に参加した。

生放送は厳かに進んでいた。

ある時、誰かが一報を放った。mimiさんが『少女』を上げたというのだ。今年の命日は『少女』で行くというのがmimiさんの答えだ。『少女』には村下さんの親戚との死別という裏エピソードがある。だから選んだのだろう。しかし、私はこの選曲もおかしいと思う。『少女』は死別の曲ではない。通りすがりに見ただけの、『初恋』や『ひとりぼっちの雨の中』に類する曲である。

村下さんは、裏エピソードの中、なぜ「通りすがりに見ただけの少女」を描いたのだろうか?

それは死別を軽快なポップスにすると安っぽいドラマになってしまうからだ。死とはもっと重大な問題だ。それは『引き算』や『しゃぼん玉』で哲学として歌うべきものだ。『水無月十三夜』は非常に重苦しい曲になっている。『故郷へ』はドラマであるが、集うことが中心であって死別は背後にある。

死別を安っぽいドラマ化すると、死者に対して失礼なのだ。それを避ける気分で、村下さんは『少女』をいつもの概念として描いたのだ。いつもの概念とは、最もはっきりしたものは『ひとりぼっちの雨の中』である。「通りすがりに見ただけ」である。

その村下さんの意識を無視して、村下さんの死を『少女』に結び付けること自体、ムラシタンとして軟派と思える。

さらに、凄いことが発覚する。

私が『夢の地図』を上げた時のことだった。私は一応、どんな曲でもジャケットを確認し、編曲、コーラスアレンジがいつも通りかチェックしている。時々違うことがあるから。『夢の地図』には2種類あり、アルバム『初恋』と『清涼愛聴盤』である。私の編曲は『初恋』版であるから、『初恋』を確認するしかない。私は目を見張った。編曲の水谷 公生さんの名前が「竜緒」になっていた。私はウィキペディアで水谷さんを調べた。彼はいくつか名前を持っているらしい。私は悩んだが、ジャケットがそうなっているからには、水谷 竜緒と表記するしかなかった。『哀愁浪漫』とかには、たぶん『夢の地図』があって、そこには水谷 公生と表記されているのだろうが、私は『哀愁浪漫』などを持っていないから確認しようがない。

すると、mimiさんの『少女』の編曲が「水谷 竜緒」になっていたのだ。私は「は?」と思って、アルバム『花ざかり』を確認した。『花ざかり』は『少女』が入っている最初のアルバムである。そこには水谷 公生と書いてあった。

ムラシタンにとって、水谷 公生さんの名前が竜緒かどうかなど、はっきり言ってどうでも良い話だ。だが、ここで問題なのはそこではない。mimiさんの間違いが私の『夢の地図』から誤引したものでしかあり得ない、という点である。『花ざかり』のものを、わざわざ『初恋』のジャケットから引用するなんて、あるわけないのだから。mimiさんは私の作品を超意識している。この記事で私とmimiさんの関係性を論じてきたすべての根拠がここにある。

こうして、私の憶測は現実化の論拠を得た。

誤引はアニメーションの中に刻み込まれており、訂正は不可能である。動画を削除して編集し直し、新たにアップロードする以外には。

なにはともあれ、私はとにかく負けた。『結婚式』は過去最高の出来だったが、マイリスゼロではもう続ける意味などない。以前、村下さんのボカロカバーの必要性について語ったが、それはmimiさんがやれば良いだろう。

私は最後に、『ゴールデン☆ベスト』の全曲カバーを考えている。ミクちゃんの調教を讃え、コンプリートしてやろうかと。過去の経験を踏まえて、それが一番需要もあるだろう。そうなると、『ゴールデン☆ベスト』の前半は『踊り子』『少女』『ロマンスカー』『春雨』『恋路海岸』『この国に生まれてよかった』と、mimiさんのこれまでの仕事とメッチャかぶっている。私は原曲のオケにMitchie Mのようなパワーの調教でこれに臨もうというのだ。『初恋』『りんごでもいっしょに』をやった頃とは話が違う。

『ゴールデン☆ベスト』にボカロを付けるだけなど、休日なら1日で出来てしまう。アップロードのペースもそれだけ早いものになるだろう。

まあ、これまでの経緯とは、そんなところである。

※9/9追記:『ゴールデン☆ベスト』にボカロ音声を付けることはあまり意味が無い気がする。たとえ需要があったとしても、主観的には作品として価値が見いだせない。そこで、これは却下にする。

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