徒然なる私事 mono

わたしが子宮に隠れた訳

2014/02/22 22:12 投稿

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わたしはトイカメラ、ホルガを愛用していた。
散歩の途中見つける花々、池に移る鯉
京都の街並み。

わたしが、カメラに触れたのは、5歳の頃。
理由は、母と父が一緒に写る写真が私が生まれてから
一枚もなかったからだ。
なかったという事とは、違い。
正確には、疑問に思ったからだ。
「何故、ママばかりがカメラで私を撮るのだろうか」と。

初めて、カメラに触れた時、父親がこう言った。
「ここを覗いて四角にみんなが入るように」

了解。わたしは写真をとった。
初めて撮った写真を見て、母親は上手だねえ、と褒めてくれた。
そう、それから私はカメラが大好きになった。

大人になってから、その頃の写真を見る事がある。
斜めに撮れてたり、とても上手とは言い切れないようなものばかりだ。

だが、10枚に1枚ほどは、まあまあだ。
5歳の子供が撮るにしては。

そんな事より、写真を見て目を引くものがあった。
それは、母の顔。表情だ。
「なんて、不安気な面持ちなんだ」
子供を悲しくさせるほど、母はそれ以上に哀しい眼をしていた。


家には、当時には珍しくビデオカメラがあった。
今のカメラを考えればとてつもなく大きく、重量感たっぷりなものだ。

それはわたしはが1歳の頃から撮られ始め、
小学校にあがる位までは記録にあった。


可愛い幼児の姿。
父親と母親と私の小さい頃の姿。
母は父に「可愛いね」などど、言っていた。
だが、私には「可愛いよね?」と父に尋ねるように聞こえてならなかった。

いつもそう、母は父に不安を抱いていた。
私が、父に誕生日プレゼントを贈れば、
もらった当人以上に喜び
「すごい!いい選び方!すごいよね?」と父に尋ねた。

わたしが母に贈ったプレゼントは数知れず。
それら全てを母は宝物にした。
いまでも、母が使っているアドレス帳は
私が小学生の時におくった、赤く小さなちゅうりっぷが描かかれたものだ。

母は私に人一番厳しく、それでもやっぱり優しかった。
厳しくというよりは、わたしが受けるのは
母の心に抱えきれる分からはみ出した
哀しみのストレスだった。

そうだ。そんな事より。
ホルガの話。
幼少期からの影響で、
私は芸術的なものが大好きだった。
ホルガは、焼き回しにカメラ屋さんに持っていき
出来上がりを見るまでに1週間程かかる。

それを待つ間の私は、
遠距離恋愛をしている恋人を思うかのようだった。


だが何度めかの
私の心が死んだ日
ホルガに入るフイルムを見る事、現像する事が怖くなってしまったのだ。
フイルムを出して新しいフイルムをいれ、また撮り始めれば良い。
だが、その取り出したフイルムはどこにやれば良いのか。

そこには、絶対に私が見てはならないものが写っている。
捨てることも、現像することも。


それから運良く。
携帯電話に写真を撮る機能が加わった。

わたしは、カメラをやめた。
だが今も持っているのだ。
そのフイルムと一緒に。

わたしは簡単に消去できないような
そんなものに触れるのが怖くなってしまったのだ。

大の大人がだ。

穴があったら入りたいくらいに小心じゃないか。
出来れば、娼婦のGスポットに20年は隠れていたい。


その娼婦は1日に何人の「もの」を受け入れるのか
その娼婦に時がきて、1時間やそこらじゃなく
何年も愛される頃がやってくるのか。
女の子宮近くのスポットに入りたい。


また話がずれた。
いろいろ、録音する為にボイスレコーダが欲しい。


子宮より愛を込めて。

by、mono

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