Japan auf der Erde~日本よ悠久たれ~

愛だろ、愛っ。

2013/08/24 19:58 投稿

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なんかツイッターで「愛」関係の呟きが賑やかだったので、
過去にも少し呟いたりした事をここにまとめてみようとおもう。
独語や英語には愛と恋の切り分けは、言葉的には基本的にはない。
(英語は詳しくはないけど出遭った事は僕はない。)
(おそらく西洋語諸語全般に切り分けがないんじゃなかろうか。)
「好き」については英語のlikeとかドイツ語のmögenともハッキリとは重ならない。
恋しい意味でも、それ以外の愛しい意味でも、ただ好きだという意味でも使う、「好き」。
西洋的な「愛」は寧ろ、もしかしたら日本の「愛」より「好き」に近いんじゃないかと思ったり思わなかったり。

さて、独語の他はそんなによくわからないので独語の視点から少し見てみよう。
異性間、いや同性愛者含むなら、ただ性愛と言った方がいいのかもしれない、そんな「愛」については
ドイツ語には動詞で 「lieben」、名詞として 「Liebe」 がある。いわゆる「愛」と訳される言葉。
ドイツ語で興味深いのは他に、好きになる、恋するといった感じに 「verlieben」 という別の動詞がある。
接頭語 「ver-」 は「~になる」と、逆の「~を失う」という意味とが主にある。
ハッキリしているのは、日常の使用ではこれはほぼ日本語の恋するに当たるところだろうか。
そして、言葉的によく出来てるなぁ、と感心してしまったのはこの ver-lieben という語の造り。
「愛(Liebe)」への前段階として二つ考えられるわけだ。
「愛」が到達する先にあるという考えからは愛へ繋がるプロセスと言える。
他方、ver- のもう一つの意味から、愛を失う、愛ではなくなるという事も言える。
verliebenを恋と訳せるとすると、恋とは愛に辿り着けるかどうか、
それを試されている状態と言っていいのではなかろうか。
でも、普段、恋の状態でも、「Ich liebe dich!(愛してるよ!)」と連発するわけだが、
それは事前まじないや希望に近い可能性もある。
verlieben を現在進行形的な意味で取るなら、愛ではない状態にある、とも言える。
ドイツ語の「verlieben(恋する)」って言葉はそんな示唆を僕等に見せてくれる。

現代では生物学や医学で恋的な脳状態は3年前後の期限になっている事がわかっているらしい。
愛の前の試練の超克には生体的なタイムリミットがあるのだと。
金八先生的な日本語の言葉遊びでは、恋は下心、愛は真心、なんていうが、
これがなかなかどうしてそういう科学的見地からは的を射ている事になって面白い。
そういう科学的な研究成果の前に、僕らの先人達が、
愛と恋の切り分け、ドイツ語では verlieben という状態と、
何かを感じそれを言葉に託していたと思うと、言葉が実る段階での人間の感性の奥行きにはただただ恐れ入るばかり。

というわけで、性愛に目が眩んだっていう状態はどちらかっていうと「愛」ではないんだろうなぁ、
なんて思えて来てしまうわけで、
何かを救ったりする様な「愛」はそこから離れた何かなんだろうと。
いや、むしろそういう掴めない語り切れない何かを、人間の思いを、「愛」と呼ぶのだろう、と。
まぁ、「救うモノが愛」なのか「愛だから救う」のかはまた別のお話という事で。

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