Japan auf der Erde~日本よ悠久たれ~

貧困撲滅の欺瞞とそこから見えるコト

2016/06/05 04:05 投稿

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  • 社会
ふと見れば今では、先進諸国を中心に、
貧困は悪だ、貧困を撲滅しよう、そういったフレーズが高らかと
メディアや日常で言われる様になっている。

果たして、貧困は無くせるのだろうか?
今の僕はこれはハイでイイエだと思っている。
先に端的に言ってしまえば、
相対的貧困は撲滅のしようがない。
絶対的貧困はその程度は改善し得る。
その程度を認めるないならイイエだけに収束するけれど、
認めるのであれば、ハイである部分の余地は残される。

月収が100万円の人、50万円の人、10万円の人、5万円の人、辺りを取り敢えず置いてよう。
指数的にはその水準が上がらないとして、社会全体が均一に発展出来たとして、
5万円ずつそれぞれの収入が増えると、
105万円、55万円、15万円、10万円、とその水準はスライドする。
話を簡単にする為に物価は変わらなかったとするとそれぞれに5万円ずつ増え、
物やサービスを購入する余力が高まったから、生活水準は改善される事になる。
なので絶対的水準では改善された貧困状況となっているはずだ。
それが一定の水準まで来れば貧困ではないと言える最下層の状況は生じうる。
他方、それぞれの収入差には変化はないので、相対的な感覚として、
貧困だとか貧乏だとかいう感覚は残る。
つまり均一収入ではなく分布する限り相対的なモノとしての貧困は残存し続けるわけだ。
逆を向いて言えば、裕福な人達も残り続けるという事で、階層的な構造は消えない。

現実世界では持つ者はさらに持てる様になる、バイラルやレバレッジやらもあり、
直線的な分布のシフトにはならないので相対的な収入比較だと貧富の差が進んだ様に見える事もままあるわけだ。
しかし貧困の水準に目を向けるとそこを一定水準以上に出来ていれば、金持ちがもっと金持ちになっても問題ないんじゃないか、そういう考え方も勿論ある。

さて、今回書いておきたいのは貧困なくなんねーじゃん、やべーよ!とかそういう事ではない。

この分布の相対性の方の事だ。

啓蒙本やサクセスハウツー本などが好きな方々はいつの時代もそれなりにいるし、
セミナーや講習など人を集めて生業にしてる人達もいる。
こういうのが全く役に立たないとか実用的じゃないなんて言う気はないけれど、
それは出し抜くスタンスでしか効果は発揮出来ず、
皆でがんばろう!では身も蓋もなくなってしまうからだ。
皆でがんばればみんなの状況がスライドするだけなので、
自分の相対的なポジションは基本的にはそのままという事になる。
ピラミッド的な分布から逆ピラミッド的な分布になったりと、
分布量が変わる事あるけれど、全員が同じところに動揺に分布するという事は、
現実的には非常に考え辛い。
また分布の形状は変われど、数値的な直線的なランキング順にしてしまえば、
例えば2・8の法則とかを考えれば誰かが2になれたら誰かが8になるという交代劇があるわけでどうにもならないわけだ。
(賭け事が好きな人には、誰かが勝てば誰かが負けるっていうのが一番わかり易いと思う。)

これは皆で仲良く幸せになろうぜ!みたいな姿勢の人には絶望を押し付ける。

集団や共同体に何か問題があり、それがある種の分布に主因がある時、
その問題は分布がある限り根本的には解決のしようがないのだ。
この事からは目を逸らして解決をうそぶく人は少なくない事が僕には時折怖い。
現実の中では分布を受け容れた上でそういう問題には対処をお願いしたいし、
そこに関しては一定の調和を望むのであれば、
それぞれが理解や納得、そして甘んじて受容しなければならないのだ。

世知辛いな。。。

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