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本を読むこと、祈ること

2015/08/01 20:06 投稿

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こんにちは、Mistirです!
お久しぶりの更新。

なんで長いこと書いてなかったかって……
単純に書くこと無かったんです。そんなことってあるでしょ?

書くことが無いとき、つまり語りたいことが無いときって大抵インプットが著しく減ってるときなんですよね。情報のインプット
しばらくTwitter廃人と化してましたからね……
Twitterは情報のインプットなんてもんじゃないですからねぇ。情報が右から左、否、下から上へと流れていく場所ですから。
何故Twitterに張り付いてたかって?
寂しかったんです。ええ。
まあその感情のゆらぎは体調不良に起因するものだと後々明らかになりましたが。

で、最近インプットが増えてるかっつーと……

増えてます。

某電子書籍ストアでラノベの大セールやってたんすよ。
それで10冊以上ラノベ買ったんですけどね。

久々に、「ラノベの読書量が増えると、それ以外の読書量も増える」っていう(僕にとっての)真理を思い出しました。
ラノベってポテトチップスみたいなもので、読みまくってると延々と読んでられそうな気分になってくるんですが、たまに「健康的な」ものも読みたくなってくるんですよね。
つまるところ、少なくとも主人公の男がモテるわけじゃない小説を含む数多の本を読みたくなってくるわけですよ。
ってことで、まあ最近はホントに色んな本読んでます。そりゃもう、ゴリゴリと。

で、ずっと前に買ってほったらかしといた本を掘り出してみました。

カーネギーの『道は開ける』って本です。

自己啓発界のONE PIECEみたいな本ですね。
自己啓発界ってなんだよ(セルフツッコミ)。

この本も安かったから買ったんですが、最初読んだとき胸焼けしちゃって。

要は「不安への対処法」っていうある種たった一つのテーマをもう徹底的にあらゆる方向から具体例具体例具体例のオンパレードで語ってる本です。

実は、最初に買った当時はそれほど不安が無かったんですよ。
ただ単に不安から目を背けてただけなのかもしれませんが……
とにかく、あんまり今の僕には必要ないなって思って読むのやめたんです。

で、最近体調不良に起因するのか何に起因するのか、結構な不安に苛まれまして。
読書量が増えてる流れに乗って再読することになったんですが……

あるページで「祈ることの効能」について、詳しく語られてるんですよね。
こう書くと宗教書っぽいんですが、カーネギーおじさん、どうやら無神論者らしい。
あくまでも「祈ること」がどういう「理屈で」効果的なのか考えていらっしゃる。

例えば、祈りは「不安を言葉にする作業である」。
さらに、「その言葉を『他者(この場合は神だけど)』と共有する作業である」っていうように細分化して捉えてるんですよね。
そこから「祈りの有効性」を語ってる。

うーん、この合理性。嫌いじゃない、むしろ好きだぞ。
と考えはするものの……

そう簡単に祈れないよねぇ。僕らは。

いや、日本人も「神頼み」はするだろう。
でも、根本的に「祈り」と相性は悪い気がするんだ。
特に僕らみたいな「悟り系ネット世代」は。

ほら、僕らってサバサバ系じゃん(偏見)。
とりあえず、

「祈るにはあまりにも、冷めすぎている」

ような気はするんすよ。少なくとも僕は。

でも、同時に気付いた。

「あ、読書って祈りと何一つ変わらないじゃん」

と。

カッコつけてる……のはあるけれど、「実質的に」変わらないなぁ、と思っている。

そう、祈っても何も変わらない。
何も変わらないけれど。何かが変わるかもしれない。
祈りという行為が、自分自身に働きかけ、世界の見方が気付かないウチに変わっている。

本を読むことも一緒だ。
本一冊読んだところで何も変わらない。
変わったと思うなら、それは幻想だ。少なくとも僕はそう思っている。
勿論、何かをガッツリ変えてくるような、黙示録的な本もあるにはある。
だけど、そんな本は人生で何冊も何冊も出会うものではない。それに、そういった「世界の見方を根本的に『たった一冊で』変える」ことは決して読書の本質ではないような気がするのだ。
だって……「この一冊で世界の見方が変わる」なんて、どうも安っぽいじゃん。あまりそういう言い方はしたくない。「この本は凄くいいよ」くらいならしょっちゅう言ってるけど。
でも、『たった一冊で』大きく人が変わることが無いにせよ、「何冊も読んでいると」ゆっくりと人は変わっていく。確実に。

良い方向に変わるかどうかなんて知ったこっちゃ無いのだ。
とにかく、変わるのだ。
毎日毎日祈りを捧げることもそうだろう。
良い方向に変わるかどうかなんて知ったこっちゃない。
もしかすると、祈るしかできないクズになっちゃうかもしれないわけで。

それでも、人は祈り、本を読む。

そうして、屍のように読まれ続けた本の先に。
吐き捨てられた数多の祈りの先に。

自分自身という不可思議な物体が鎮座しているのだ。

だとすると、やっぱり自分なんて探すもんじゃねーな、と思う。
祈りと読書、あるいは読書という祈り、あるいは祈りという読書の残骸の上に自分自身が寝転がってるんだから。どこ探しても見つかるワケがない。

……なんて、厨二病じみたことをニヤニヤ考えながら、今日は本屋で色んな本を物色していた。
家の近所のちょっと分かりにくいところに、本屋とカフェが併設されている店を発見した。
今日はもう遅かったから本も買わず珈琲も飲まず帰宅してこうやってブログ書いてるわけだけど、また時間あるときにその場で買った本をゆっくり読んでみるのもいいかも、なんて思ってる。

祈るように、本を読む。
その先に何があるんだろうね。ホント。

いつか、何かしらの神様が祈りに耳を傾けてくれるのだろうか。それとも……

では、また次の記事でお会いしましょう。

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