ども、Mistirです
タイトルでピンと来た人は、オーケンか『さよなら絶望先生』が好きな人だね。
そう、名曲『林檎もぎれビーム』のワンフレーズだ。
この話に入る前に、ある記事を読んでほしい。
なかなかハードな記事だ。
ある考えが浮かんでしまった。
この世の行為は、おおまかに二分できる。
愛と、儀式だ。
あるいは、その二つが交じり合ったもの。
……ここまで考えて、オーケンの『林檎もぎれビーム』を思い出したってわけです。
この世は愛と儀式。
そう考えると色々と、シンプルになる。
朝、仕事に行くのも学校に行くのも儀式だし、カネを稼いでそれを使うのも儀式だ。
何かに頑張るのも儀式だけど、同時に愛も混ざっている。
飯食うのもセックスするのも、愛が大きいだろうけど、全てに儀式的な要素がある。
「義務」っていうより、「儀式」って言ったほうが、少なくとも僕にとってはしっくりくる。
そう考えると検察の言葉も、解釈が変わってくる。
……そう、「儀式として」「軽率だったと言わなければならない」。
それ以外の選択肢を選ぶと、「世界のルールが破られてしまう」。
もっと具体的に言えば……
検察が「殺してもいいよ、仕方ないよ」って言うとどうなるか考えてみると分かり易い。
世の中は、破られるとマズイ「儀式」で構成されている。
「儀式」は、まあなんというか「破られるとマズイものなんです」程度で認識しといてください。長くなりそうなので。
で、世界はそれの集合体なんじゃねーの、って。
儀式、愛、儀式、愛、交互に相互に動いている。
そこで思い出すのがオーケンの『林檎もぎれビーム』なわけだ。
だってこれ、オーケンのファンを思いっきり叩き潰してる。
だからこそ、夜は明ける。
凄まじく残酷で、そしてこれ以上ないほど真実だ。
僕はこの曲やオーケンの思想に滅茶苦茶影響されてます。
で、僕が思う「儀式」っつーのは、要はそういうことなのです。
……どういうことだ。
まあいいや。
この「儀式」を「儀式」から脱却させる唯一無二の力は恐らく「愛」だと思う。
「愛は地球を救う」なんて思わないしそんなわけはないんだけど、「儀式」に辟易してる一人の人間を救うくらいはできる。
ついでに言えば、「儀式」もそんなに悪くないもんだよ。
エブリシンガナビーオーライ!
「愛」で動いてないなら、大体が多分、儀式。
政治問題に憤るのも「儀式」だし、地球の裏側の問題が許せなくなるのも「儀式」。いや、それは「愛」だって人もいるかもしれない。
でも、どこかしら、何かしら「儀式」なんだ。多分ね。
さて、ゲーセン行こうかな。
これは「儀式」?それとも「愛」?
ではまた次の記事で。
今日は外食でもしよう。カツ丼食べよう。それもまた儀式。
タイトルでピンと来た人は、オーケンか『さよなら絶望先生』が好きな人だね。
そう、名曲『林檎もぎれビーム』のワンフレーズだ。
この話に入る前に、ある記事を読んでほしい。
歳「今も妻を愛してる」 嘱託殺人罪に問われ公判中
なかなかハードな記事だ。
歳の夫が体の痛みを訴えていた妻に頼まれて殺害したとして、嘱託殺人の罪に問われた公判が千葉地裁で開かれている。夫は「今でも愛しております」と語り、人の娘は「父は追いつめられていた。ごめんなさい」と悔やんだ。
「妻から『何もできない。苦しいだけ』と言われた。もう断れない」
夫は殺害を頼まれた時の心境をこう明かした。
日の論告で、検察側は「殺害決意は想像を絶する苦悩だったと思うが、妻の弱音とも考えられて軽率」などと指摘し、懲役年を求刑した。夫は「私がしっかりした男だったら上手な対応をとったと思う。言うことを聞きます」と語った。……まあ、ここで「検察アホか、これで軽率なわけねえだろ」……と言うのは簡単だけど。
ある考えが浮かんでしまった。
この世の行為は、おおまかに二分できる。
愛と、儀式だ。
あるいは、その二つが交じり合ったもの。
……ここまで考えて、オーケンの『林檎もぎれビーム』を思い出したってわけです。
この世は愛と儀式。
そう考えると色々と、シンプルになる。
朝、仕事に行くのも学校に行くのも儀式だし、カネを稼いでそれを使うのも儀式だ。
何かに頑張るのも儀式だけど、同時に愛も混ざっている。
飯食うのもセックスするのも、愛が大きいだろうけど、全てに儀式的な要素がある。
「義務」っていうより、「儀式」って言ったほうが、少なくとも僕にとってはしっくりくる。
そう考えると検察の言葉も、解釈が変わってくる。
……そう、「儀式として」「軽率だったと言わなければならない」。
それ以外の選択肢を選ぶと、「世界のルールが破られてしまう」。
もっと具体的に言えば……
検察が「殺してもいいよ、仕方ないよ」って言うとどうなるか考えてみると分かり易い。
世の中は、破られるとマズイ「儀式」で構成されている。
「儀式」は、まあなんというか「破られるとマズイものなんです」程度で認識しといてください。長くなりそうなので。
で、世界はそれの集合体なんじゃねーの、って。
儀式、愛、儀式、愛、交互に相互に動いている。
そこで思い出すのがオーケンの『林檎もぎれビーム』なわけだ。
君が思うのっけから酷い歌詞だ。
そのままのこと
歌う誰か
見つけても
すぐに恋に
落ちてはダメさ
「お仕事でやってるだけかもよ」
だってこれ、オーケンのファンを思いっきり叩き潰してる。
この絶望の夜は明けるのだろうか世界を疑って、疑って、それでも絶望する僕らに教えられる真実は。
「アナタに一つ教えてあげるわ」
エブリシンガナビーオーライ!世界はお仕事、そしてマニュアルだってこと。
明けぬ夜は無い
それが愛のお仕事そして
「マニュアルなの」
だからこそ、夜は明ける。
凄まじく残酷で、そしてこれ以上ないほど真実だ。
僕はこの曲やオーケンの思想に滅茶苦茶影響されてます。
で、僕が思う「儀式」っつーのは、要はそういうことなのです。
……どういうことだ。
まあいいや。
この「儀式」を「儀式」から脱却させる唯一無二の力は恐らく「愛」だと思う。
「愛は地球を救う」なんて思わないしそんなわけはないんだけど、「儀式」に辟易してる一人の人間を救うくらいはできる。
ついでに言えば、「儀式」もそんなに悪くないもんだよ。
エブリシンガナビーオーライ!
「愛」で動いてないなら、大体が多分、儀式。
政治問題に憤るのも「儀式」だし、地球の裏側の問題が許せなくなるのも「儀式」。いや、それは「愛」だって人もいるかもしれない。
でも、どこかしら、何かしら「儀式」なんだ。多分ね。
さて、ゲーセン行こうかな。
これは「儀式」?それとも「愛」?
ではまた次の記事で。
今日は外食でもしよう。カツ丼食べよう。それもまた儀式。
コメント
No.6
(2015/06/20 12:30)
>>1
コメントありがとうございます!返信遅れました。
これからもよろしくお願いしますね!
あー、でも結構分かります。多分、僕が「儀式」って言葉をマイナスイメージからスタートさせてるんですよね。おそらく自分の世代特有のものなのかもしれないんですけど、「それって何の意味があるの?」からスタートするわけです。
だから、その前提が無いならば今回の記事は一切無意味だったかもしれません。
あとついでに言えば、僕は「とにかくあらゆるものをシンプルに解釈しろ」っていう思想があります。いくら長文で理屈を考えても結論部分はシンプルなものが正義、って思想です。だから、「世の中のことがややこしいと思ったら、儀式か愛かで考えるとちょっと分かりやすいかもね」くらいの考え方です。余計にややこしくなってる気もしますけどねw
コメントありがとうございます!返信遅れました。
これからもよろしくお願いしますね!
あー、でも結構分かります。多分、僕が「儀式」って言葉をマイナスイメージからスタートさせてるんですよね。おそらく自分の世代特有のものなのかもしれないんですけど、「それって何の意味があるの?」からスタートするわけです。
だから、その前提が無いならば今回の記事は一切無意味だったかもしれません。
あとついでに言えば、僕は「とにかくあらゆるものをシンプルに解釈しろ」っていう思想があります。いくら長文で理屈を考えても結論部分はシンプルなものが正義、って思想です。だから、「世の中のことがややこしいと思ったら、儀式か愛かで考えるとちょっと分かりやすいかもね」くらいの考え方です。余計にややこしくなってる気もしますけどねw
No.7
(2015/06/20 12:31)
>>2
コメントありがとうございます!返信遅れました。
そうですそうです、なるべくなら儀式的な部分を減らして、愛で生きたいっていう考え方です。
仕事も同僚との飲みも、勉強も「儀式」なら楽しくないですが、これを解決する方法って愛の領域に持ってくるか、儀式そのものを愛するかしか無いんですよね。
コメントありがとうございます!返信遅れました。
そうですそうです、なるべくなら儀式的な部分を減らして、愛で生きたいっていう考え方です。
仕事も同僚との飲みも、勉強も「儀式」なら楽しくないですが、これを解決する方法って愛の領域に持ってくるか、儀式そのものを愛するかしか無いんですよね。
No.8
(2015/06/20 12:34)
>>5
コメントありがとうございます!返信遅れました。
冷めてるんですよねぇ、僕はw すっごく冷めたところからスタートしてそこにどうやって熱くなるか、みたいなところありますからね。熱いタイプだって言われるんですが思考の根源はすっげぇ冷めてますw
要はこの考え方は「好きだからやれてる」って言い切れる人には関係ない話なんですよね。悩んでる人向きな考え方。というより……自分のための考え方ですwwもし「儀式だ」って言い切れないなら、今回の検察の言動を批判するしかなくなっちゃいますから。
儀式が気付いたら愛になっちゃってた、ってのは幾らでもあると思います。マッチョマンになるために筋トレやってたら、気付いたら筋トレそのものが大好きになってた、とか。
コメントありがとうございます!返信遅れました。
冷めてるんですよねぇ、僕はw すっごく冷めたところからスタートしてそこにどうやって熱くなるか、みたいなところありますからね。熱いタイプだって言われるんですが思考の根源はすっげぇ冷めてますw
要はこの考え方は「好きだからやれてる」って言い切れる人には関係ない話なんですよね。悩んでる人向きな考え方。というより……自分のための考え方ですwwもし「儀式だ」って言い切れないなら、今回の検察の言動を批判するしかなくなっちゃいますから。
儀式が気付いたら愛になっちゃってた、ってのは幾らでもあると思います。マッチョマンになるために筋トレやってたら、気付いたら筋トレそのものが大好きになってた、とか。
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また時たま読ませていただこうと思います。
今回は、以前に比べて自分の中にストンとお落ちず、だいぶ悩みました。
うまく言葉にできないので易い言葉になりますが、結局これは「儀式」嫌いな人にしか見えない構図じゃないかなーと思いして。
では、「儀式」が好きで「それだけで生きていける人の世界」って何でできているんだろう、って思いました。
その人にとっては「儀式」だけが世界なのか、「愛」だけが世界なのか。もしかしたら「正義」か「正義の味方」だけが世界なのか。
で、悩んでしまったのは、Mistirさんが書いている「世界」って何なのか、もしくは誰にとってのものなのかが上手く理解できなかったためです。
…うーん、自分でも何言っているかわかりません。ごめんなさい。
これからも記事楽しみにしています。
失礼しました。
追記
さよなら絶望先生、面白そうですね、見たことなかったので、見てみようと思います。