MistiRoom

自ら進んで、人は不幸になる方法を選ぶ(が……)

2015/06/04 20:27 投稿

コメント:10

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どーも、Mistirです!
さっそくだけど、こんな記事を見つけた。

「難民なんてクズだ」信じられないメッセージの、裏側にあったのは・・・


あのね……真剣に。
僕が作った記事のこと言ってるかと思った!!!!焦った!!!

難民


この記事、最初僕が作りました。概要部分とか大体僕が書いてます。
なお、本人は聖剣使いの禁呪詠唱難民です。

それはさておき!
上の記事ですよ。「難民なんてクズだ」の方。
そんなに長い記事じゃないので、是非目を通してほしい。


滅茶苦茶面白い。これは、本当に面白い。

最近、あることを考えてた。
人は不幸になりたがる。だけど、不幸にならねば世界は進まない
という考えだ。

ここでいう「不幸になりたがる」とは、極論「正義感を持つ」のことだ。
それもとりわけ、「どこにも辿りつきようのない正義」のこと。

例えばさ、今の政治情勢で「これはダメだろう」ってことを考えてみてほしい。
イライラするでしょ?
さて、どうする?

大抵、どうしようもないんです。
せいぜい、選挙に行けるくらい。
結局「選挙に行く」って結果が変わらないのなら、イライラしないほうがいいよね。
だけど「あえてそのイライラに身を投じる」人は多い。
イライラしないほうが幸せに決まってる。

……と、こういう風に考えるわけだけど……
でも、同時に見過ごせない事実もある。

世界を動かしているのは、そのイライラを受け入れられる人々の集合知だけだ
って事実だ。

政治にイライラする人がホントの意味でいなくなれば、それはもう、オシマイだ。
「義憤」って感情がなくなっちまえば……たとえ、その義憤が、例えばネットの情報に踊らされた稚拙なものでものであったとしても……それがなくなっちまったら。
世界は止まる。

僕は、あるときから
「ニュースで感情を動かされないように」意識している。

感情を動かされても、しゃあないのだ。だって、何もしないもん。大抵の場合。
すっごく可哀想な人がいました。あらまあ、可哀想ねえ。で、どうするの?

あらまあ、可哀想ねえ。
そこで終結した瞬間、事実はただの物語になる。
それも、妙に力のない物語……ゴシップに。


で、すっごく可哀想な人じゃなくて、すっごく悪い人がいました。
あらまあ、酷いわねえ。
で、実はこの先にはたまに続きがあったりする。
現代は攻撃する手段がみみっちいながらもたくさんあるから……
ま、炎上したりするわけだ。実際に会ったら暴言を吐く人もいるかもしれない。

で、僕は最近、「酷い人」に感情を動かされることさえ嫌だから、考えないようにしている。
酷い人を「あいつはこうだから酷い!」って言ったところでさ、世界は前に進まないから……

と思ったら、1000人が集まりゃ世界が動いたりするんだよな。


で、最初の記事に戻ると。
善良で抽象的な一人の人間は、全く世界を動かさないけど、一見「悪」の言葉を吐く一人の人間が、たくさんの人の「正義」に干渉して、たくさんの人が「正義」を行使する。

ははは……なんだこれ。
こうなるに、決まってんじゃん。

さて、グダグダしてしまったけど、僕が言いたいのはこれだけ。

「あなたは、無関心を貫くことによって、ある程度の幸福を手にし、自分の時間を手にし、世界を動かす微々たる力を放棄する道を選びますか?」

「それとも、『正義感』『関心』という名の『ネガティブなものに首を突っ込む力』を『烏合の衆』として行使し、自分の感情を削り、ときに不幸になり、ときにピエロになりながら『烏合の衆』として世界をわずかでも動かしますか?(分かりにくかったら、何かを炎上させることが大好きな人達のことを想像してみよう。上の記事にある『正義を持った一般人』がとんだピエロであることから逆算してみてもいい)」

「それとも、あなたの『正義』は、上の実験結果で言えば『私ならどちらのボードだったとしても声をかけるよ』っていう『正義』ですか?」

「それとも、ナイチンゲールのような、偉大な成果を残すような『正義』を行使するために生きますか?」

「それとも……」

「そもそも『正義』って、なんなんだ?」

ネット上にはたくさんの正義の味方がいる。
良い時代なのか、悪い時代なのか、全くわからない……いや、時代なんて何一つ変わらないのだ、といつもどおり中途半端に悟ったような結論に辿り着くMistirなのでした。

ではまた次の記事で。
僕は思ったことを書きます。正義感から書くことは、多分ないです。

コメント

安眠だいいち
No.9 (2015/06/07 10:57)
冒頭に引用されている記事、面白いですね。
今まで自分には無かった視点で、自身の偽善を指摘されたように感じます;

ネットでもそうでなくても、「正義」を信じる人達が物事を動かしていく場面に多々出会いますね。良い方向に働けばいいですが、それが不毛な泥仕合や弱者の迫害に繋がる場合もあり…
それを外野から見ている私には、溜まったもやもやをネットに吐き出すくらいしかできません。
政治や宗教の話題では特に「イライラ」しやすいですが、
なぜあえて目に入れるかというと、何だかんだ考えることを楽しんでいるんだと思います。

社会の中に生きることしかできない人間は、全く無関心ではいられないと思います。
私などもう人の意思の集合体に流れ流されていくばかりです。ただ、考えることは止めたくはないですね。
(著者)
No.10 (2015/06/07 12:27)
>>8
そうですね。
僕の考え方だと、批判は内容によりけりですね。内容次第で受け入れるべきものもあるし、無視したほうがいいものもある。
あとは……やっぱり、正義って相対的なものなのは間違いないので、そこで「何を選択するか」が大事になってくるんですよね。僕の考え方は記事に書いたとおりですけど、「正義」を行使する人も必要だと思っているのも書いているとおりです。
ただ、活かさないといけないんですよね。どこにも向かわず、ただただ閉塞的になっていく人、閉塞的コミュニティの正義感で収まってる人がたまにいるように見えるので。僕が懸念しているのはそれだけです。
(著者)
No.11 (2015/06/07 12:29)
>>9
コメントありがとうございます!
そうですね、まさにその通り、楽しんでるんですよね。だから、例えば嫌な話に頭を突っ込んでいるときに「このことを考えるのは、楽しいことか?それとも義務でやってるのか?」って考えるのは本当に大事です。
「義務にせよ楽しみでも、それでも考える」そういうスタンスも同時に大事ですね。結局、考えることを放棄してはいけないってことで。
本当に考えてたら、誰かを打ち負かすためだけの議論なんて起こらないですからね。
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