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「脱原発」が人の命を奪うとき

2014/11/30 20:31 投稿

コメント:8

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  • 原発
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こんにちは、Mistirです。
さて、今回は政治的にヘヴィな話題でひとつ。
ズバリ「原発」について語りたい。

いつもみたいにふざけた口調で書きたいんだけど……僕、結構この話題についてはずっと言いたい言いたいって思っててさ。だけど上手く言葉にできなかったんだ。

でもようやく頭のなかでまとまってきた。それでも堅苦しい語り方になっちゃうこと多そうだけど、なるべく読みやすく書くのでよろしくお願いします。


タイトルは滅茶苦茶悩んだ。誤解を招かないようにあらかじめ言っておくと、僕は「脱原発」という思想そのものを否定することは、一切ない
だけど、特定の状況で特定の「脱原発派」が許せなくなるときがある。
そのことについて、なるべく筋立てて語ろうと思う。

まず僕は、本当の意味での「原発推進派」なんて今はほとんどいないと考えている。

原発を推進、あるいは全否定することにより利権を得ている人々は確かに存在するだろう。
そもそも、政治家や選挙の立候補者は全員そういった人たちであると、イヤミな言い方をすることも不可能ではない。
だけど、今回の記事ではそういった人々のことは「とりあえず」脇において、その他大勢の有権者に関して語ることにする。勿論、僕もそういった大勢の有権者の一人である。

『本当の意味での「原発推進派」なんて、今はほとんどいない』とは、どういう意味か。
原発推進派は、基本的に「イヤイヤ」「仕方なく」原発を動かすしか無いと考えているという意味だ。
東日本大震災以降、原発に関して「全肯定」という選択肢は実質的に存在しなくなったと言ってもいいだろう。だから原発推進に関して語る場合、ほとんど以下のような言い方になる。

仕方ないけど、動かさないとヤバイじゃないか」という言い方に。

どう「ヤバイ」のか。
色々と「原発を動かさないことに関するヤバさ」を語る記事はあるので皆さんにも探していただきたいのだけれど、ここに少数ながらリンクを貼っておく。

【原発再考…再びゼロへ(中)】弱者いじめ「1万キロワット節電しても負担増30万円」の不条理…中小企業を窒息死させる電気代値上げ - MSN産経ニュース

脱原発の“不都合な真実”:ドイツの実態に目を向けよ偏向した情報を伝える日本の報道、議論すべきは最善のエネルギーミックス

あらかじめ言っておけば、この記事を鵜呑みにするのも危険だ
この記事を鵜呑みにして一発で「脱原発はダメ!」と叫ぶこともまた、愚かしい。それは後述するけど、「原発はヤバイ→止めればいい」という短絡的で無邪気な発想と何も変わらない。
様々な意見を読み、自分の大きな考え方の枠組みと照らし合わせながら、自分の意見を作り上げることが必要なのだ。

さて、この「仕方ないけど、動かさないとヤバイじゃないか」という考え方の人たちを、便宜的に「Aタイプ」としよう。単純に「原発推進派」としてもいいんだけど、そうしちゃうと後で議論がややこしくなるから、とりあえず「Aタイプ」で理解しておいて欲しい。
頼みますm(__)m

さて、話を続けよう。

上のような「原発を動かさないとヤバイじゃないか」という記事を読んで、その上でも「言ってることは分かるが、原発のリスクの大きさはそれどころじゃない。やっぱり原発は止めるべきだ」って考える人もいるだろう。

いわば「仕方ないけど、止めないとヤバイじゃないか」という考え方の人たちだ。
このタイプを、仮に「Bタイプ」としよう。

ぶっちゃけると自分はAタイプの思想を持っているんだけど、Bタイプの考え方も非常によく分かる。たとえ現状で多くの中小企業が倒産の危機に瀕しているにしても……それでも、原子力のダイレクトな恐ろしさや、未来への影響を考えると、害の方が大きいんじゃないか? と思うことは僕も多い。

あるいは、この現状……「超絶前のめり資本主義」自体が間違っていたのではないか?原発に頼ることによってしか成り立たない産業構造自体が否定されるべきだったんじゃないか?……いやちょっと待て!それはおかしい!たとえその構造が否定されるべきであったとしても、今苦しんでる労働者の方々は何も悪くないじゃないか!……いや、でも福島の人たちも苦しんでいる……』と、自分の中で何度も考察を経て、それでも「自分はAタイプだ」という結論に辿り着いたのだ。

そもそも、原発問題に正義はない。
これは非常に大事なことなので、あと二回繰り返しておく。
原発問題に正義はない。
原発問題に、正義はない。

どういう意味か。もう、どう足掻いても我々は原発問題に関して敗北しているということだ。
原発が爆発した時点で、幸せになった人はまずいない。
そもそも、原発に依存しないといけなかった社会構造の時点で、敗北していた。

もっと分かりやすく言おう。
Aタイプを選べば、原発によって住む場所を奪われた人々を傷付けることになる。
Bタイプを選べば、原発の停止によって職を脅かされている人々を傷付けることになる。

どっちを選んでも、負けなのだ。
負と負の葛藤。右耳を切り落とすか、左耳を切り落とすか。そういった問題なのだ、これは。

さて……ここまではいいだろうか。
僕が議論したいのは、もうひとつのタイプ……「Cタイプ」の人々だ。

もう読者の皆さんも、薄々予想がついてらっしゃるだろう。
僕の定義したい「Cタイプ」とは、「手放しで原発停止を叫び」「原発推進派をこきおろし」「あたかも自分たちが『正義』であるような言動を」している人々のことだ。
「原発全否定派」と言い換えてもいいだろう。

僕は、彼らが心から許せない。
勿論、政治家はとりあえず別だ。政治家が「あなたの政策もよく分かるけど、僕はこうだ」なんて言えるわけないから、とりあえず「自分が正しい」スタンスでやるしかない。

僕が許せないのは、政治を自由に批判する立場にありながら、原発問題という「どう足掻いても正義になり得ない」問題に関して「正義ヅラ」をする人間のことだ

僕は彼らを「無邪気」な人たちであると思う。
「無邪気」に、「原発は悪→なら動かすな」というキレイな論理を信じる。
無邪気で純粋だ。だが、はっきり言おう。

政治を語る時「無邪気」であることは悪であると

何故か。
「自分の選択が誰かを傷付ける」ということをしっかり考慮した上で、それでも「何かを選ぶ」決断をした「Aタイプ」の人間も「Bタイプ」の人間も、Cタイプの「無邪気」な人々は同時にあざ笑うからだ。

「無邪気」な人々は原発問題に限らず、たくさん存在する。
例えば安倍晋三を「ナチス」になぞらえて語る人々。ナチスの何を知ってるのだ……あんたらは。経済政策とか顔が似てるってだけで「ナチス」ってワードを出せる「無邪気」な精神性が怖い。他にも、アベノミクスを「アホノミクス」と下品な言葉で批判した学者。非常に無邪気だ。少なくとも、一見無邪気な子供のように見えるセンス。
決して勘違いしないで欲しいが、筆者は安倍晋三を批判することを悪いと言っているわけではない。批判するならもっとまっすぐやれと言いたいのだ。僕自身、安倍晋三に対して批判したいことはたっぷりあるが、それはまた別の話。

他にも例えば、以前話題になった「どうして解散するんですか?」なんて、まさに「小学生の無邪気さを利用する」「非常に無邪気で」そして、非常にアホな行為だと思う。
そういったサイトを「アート」の一言で済まそうとした青木って人間の無邪気さが、僕は怖いし、おぞましい。醜悪だと思う。


さて、そろそろ結論に入ろう。

タイトルの『「脱原発」が人の命を奪うとき』というのは、「原発問題で何かを選ぶってことは、必ず誰かを傷付けることだって認識してくれよ」という僕の祈りに似た願いが込められている。
もちろん逆のことも言える。『「原発推進」が人の命を奪うとき』もあるだろう。もう一度あの事故と同規模のものが起これば……?
それでも、何度も言うように、現状「手放しでの原発礼賛」は常識的に不可能だ。だから『「原発推進」が人の命を奪うとき』なんてタイトルを付けても何の意味もない。

だが、その逆……「手放しでの脱原発礼賛」をする人はたくさんいる。
そういった人たちを皮肉る意図で、このタイトルをつけた。

だから認識して欲しいのだ。
何度でも、何度でも言おう。
原発問題に正義はない。
あっちを選んでも、こっちを選んでも誰かを傷付ける。Yes or No. どちらか一つ。中間はない。どっちの道も地獄に通じている。

だから、もう「俺は選ばない!」って選択も個人的には大いにアリだと思うし、「俺はそこまで考えるのしんどいから、とりあえず直感で脱原発を選ぶよ」も、ぶっちゃけアリだと思っている。僕もそういった選択をしたい気分だ。

だが、無邪気な正義ヅラだけはやめてくれ。
自分の一方的な選択を基準値に、他方をアホ呼ばわりするのだけはやめてくれ。
おぞましい。虫唾が走る。
この問題に勝利は無いんだよ。それだけは理解してくれ。

あー、言いたいこと言ってスッキリしました。あとは一人でも多くの「原発のことを考える」人たちにこの記事を読んで欲しいです。

あとは余談で、かつ僕の思想に偏った話なので読まなくても良いです。興味のある人だけ読んで下さい。


政治家は今回の議論から外すって言ったじゃないですか。
でも、たまにこの「脱原発」って問題に対して「無邪気な」政治家っていると思うんですよ。

例えば「脱原発一つだけ抱えて東京都知事選立候補」した人、いたじゃん。誰か言わないけど。
まず国政のこと言ってるのになぜ東京都知事選?って思うのはあったけど……それ以前にさ。

そいつ「これからは原発をあちこちの国に売り込んだりするような、そういう欲張りな資本主義ではなくて、もう少し、自然エネルギーとか、脱成長とか、そうした心豊かな生き方というもので満足できるような、そうした国づくりというものを進めていかなければならないのではないか」とか言ったんですよ。誰とは言わないけど。

本人は十分カネ持ってて、余暇で稼げるレベルなのに、だよ。
原発が動かないことによって、職を手放さざるを得ない人たちがいっぱいいるのに、だよ。
そもそも少子化がヤバイって現状で、脱成長なんて夢のまた夢でさ、今カンフル剤みたいにとりあえず「ガッと経済を止める」的なことやったらリアルに生活できなくなる人が大量にいるのに、だよ。
自然エネルギーによる発電と原子力発電の効率の違いって、実際データで見るとびっくりするレベルなのに、だよ。
「若い人間のこれから」なんてどうでも良かったのかな。
一応若い人間として、今、当時の感情一言で言っていいですか。

吐き気を催す邪悪とは貴様のことを言うのだ!

なんでそう気楽に「脱成長」なんて言えるのかな。その結果、職を奪われた人たちってのは彼らにとって「尊い犠牲」なのかな。
同じ理由で、電力をバリバリ使いながら「マイクパフォーマンスで」脱原発を唱える人々も僕は許せない。そういう人たちって大抵、自分の職を脅かされることは無いんだよ。外部の環境が自分の職を奪ってくるって、そんなこと思いもしないんだよ。その無邪気さに吐き気を催すことが本当に多い。

……と、スゲー個人的な気持ちを書きましたが、この気持ちの発露、表現もまた先程僕が批判した「自分の一方的な選択を基準値に、他方をアホ呼ばわりする」行為なのかもしれない……と思うと、何か言うのって難しいなって思う。政治って難しい。
だからこのことも繰り返そう。「脱原発」を否定することは、決してしない。

さて、参考程度に僕の今の思想は、先程リンクを貼った『脱原発の"不都合な真実"』の4ページ目とほぼ一致している。引用しよう。



 今、私たちが論じなければいけないのは、原発が好きか、嫌いかという話ではない。原発を稼働させるか、させないかの選択は、日本という国が生き延びることができるか、できないかの選択だ。


 原発を全部なくせという人は、国を見ていない。エネルギー問題は、そもそも国家の安全保障にかかわる問題なのだ。


 すべてを輸入に頼り切り、しかも、莫大な国富を費やしていたら、日本はどんどん疲弊していく。国際情勢の不安定な昨今、石油やガスの供給国の現状を思うと、いつ止まるか、いつ価格が高騰するかと恐ろしくなる。


 疲弊した国は、国民の生命も、財産も、人権も守れなくなる。繰り返すようだが、好きか、嫌いかなどという問題ではないのだ。次の世代の人たちに、疲弊した国を残すわけにはいかない。子供や孫にも、今の私たちと同じように豊かに暮らしてほしいというのは、皆の願いではないだろうか。


 そのためには、対立ではなく、一致協力しなければならない。皆で、冷静に知恵を絞り、今の時点で可能な、最善のエネルギーミックスを模索すべきだ。


 原発の安全性を高めて、確認のできた原発は適宜動かし、産業を健全に回しながら、再エネ技術を鋭意開発すればよい。そして、無理なく、確実に再エネに移行していくのが、一番良い方法だと思う。


 今のままでは、火力のせいで空気は汚れ、燃料輸入費のせいで国富が失われ、再エネの補助金のせいで電気代は上がる。日本は確実に疲弊する。「手術は成功しました。でも、患者は死にました」という話がある。これが私には、「原発稼働は駆逐しました。でも、日本は亡びました」と聞こえる。それは、とても愚かなことである。



ここには、少なくとも「無邪気さ」がない。
僕はその点において、この記事にはある程度納得させられている。

もちろん、僕も「Bタイプ」に思想を転換することはあり得る。
だけど……少なくとも「Cタイプ」に転換することは、絶対にあり得ない。
あり得てはいけないのだ。そう自分を戒めたい。

余談の余談だけど、僕はなるべく人生をシンプルに生きたいと考えている。
何かをやりたければやればいい。やりたいことをやればいい。
だけど、シンプルであることと無邪気であることはどう違うのか。勿論、無邪気であることすなわち悪であるってわけじゃない。僕も酒飲んでるときは大抵無邪気だ。
それを見分けないと、後々困りそうだ……ということで、一つの基準を考えてみた。

シンプルであることには、厳しさが伴う。
無邪気であることには、甘さが伴う。

もちろん全てがあてはまるというわけではないが、これはある程度の真実を含んでいる気がする。
例えば憲法9条の問題も、憲法9条って「システム」をシンプルに見極めてみることで色々と面白い議論ができると思う。最もいけないのは、「平和憲法のおかげで今平和!」「戦争は話し合いで無くせる!」と「無邪気に」信じることだ。

さて、今日は繰り返すことが多いけど……今回の記事の裏テーマは「無邪気さは時として悪である」ってことでした。
シンプルに生きたいね。無邪気に生きるのも良いけどさ。無邪気さのたどり着く結論を他人に押し付けるのだけは避けたいネ。

今回はここまで!
あーすっきりした(私怨を晴らした感)。




【東京都知事選に立候補した誰かさんの発言引用元リンク】

2014年東京都知事選挙 細川護煕候補 第一声 <演説全文>

誰だったっけなー、思い出せないなー(棒)


コメント

(著者)
No.6 (2014/11/30 22:34)
>>4
コメントありがとうございます!
実際そうですよね。一つ上のコメントにも返信させていただきましたが、「無邪気」を「悪」と定義するなら、「無邪気を装う人たち」は「吐き気を催す邪悪」となります。最近話題になった「どうして解散するんですか」とか、もうアレすぎて「無邪気」なのか「無邪気を装う何か」なのか、もう何がなんだかって感じになってますねw

僕は戦略的無知に対してはどうしようもないと思ってます。できることをやるしかない。そういった人たちは何をしようが絶対に黙りませんし、必死ですから。でも彼らの方がまだ清々しかったりする。

最近凄く思うのが、「反知性主義」って言葉多用してる朝日系の「識者」とかいますよね。安倍晋三の支持者は反知性主義者だ〜みたいなことを言う人たち。彼ら... 全文表示
hagehagehagehage
No.7 (2014/12/01 20:24)
Cタイプから漂う昭和臭。
(著者)
No.8 (2014/12/02 18:31)
>>7
コメントありがとうございます。
とりあえず行動すれば正義だと思ってる左翼と似てますからねぇ。
僕も大学で絡んだことがありますが、彼らは純粋でした。そして無邪気でした。
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