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努力が大嫌いな少年のお話

2014/10/20 23:54 投稿

コメント:11

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こんばんは、Mistirです。
今回は趣向を大幅に変えて、対話形式で進めます(需要あるのか?)。
お前の創作なんて読みたくねーよ!って方は「同人王」でページ内検索して、その辺りから読んで下さい。

それでは、どうぞ。


ある高校のある部室。
たくさんの本棚に囲まれたその部室にいるのは、少年と少女。

少女は眼鏡をかけていて、真っ黒な長髪だ。
テーブルに肘を付きながら、彼女は本を読んでいる。

気怠そうな少年には、これといった特徴がない。彼は眉間にしわを寄せ、何か言いたげな空気を漂わせている。
少年が口を開く――

「嫌いだ」

「……」

「俺は努力が嫌いだ」

「…………」

「努力が好きな人間を、努力を信じる人間をこの世から根絶やしにしたい。それほど嫌いだ」

「……それを私に言って、どんな反応を望んでるの?」

「いや、言ってみただけだ」

「そう」

「……せっかくだから聞いて下さい、お願いします」

「……聞いてあげる。で、こう聞けばいいのかしら。『あなたはどうして努力してる人を嫌うクズ人間なの?』」

「ちょっと待て。俺はクズじゃない。そういう意味で言ったんじゃないんだ」

「さっきまでの自分の発言を鑑みるべきね」

「……確かに。そう聞こえたというなら否定はしない。だが違うんだよ。俺が嫌いなのは『何か目標に向かって、然るべき手順を実行する』ことじゃない。『努力する』ことなんだよ」

「はぁ。さっぱり意味が分からないけど」

「例えばだよ。ここにAさんとBさんがいるとしよう。Aさんは産まれてからずっと音楽が好きで好きでたまらないくらいで、音楽以外を仕事にすることは考えられなかった。費やせる全ての時間を全て音楽に費やし、そしてプロになった」

「なるほど。続けて」

「Bさんはカスタネットしか経験したことが無かったにも関わらず、高校で軽音楽部に入部した」

「……Bさんの本名って唯じゃないわよね」

「茶化すなよ。……続けるぞ。彼女は自分に才能が無いと気付く。だけど、音楽に対する情熱は燃え続けていた。そして必死の『努力』の果てにプロになる」

「ふーん。で、貴方の言う努力とは?」

「睡眠時間を削り、苦痛に耐え、涙を流し、毎日腹筋1000回、腕立て1000回を繰り返し――」

「貴方に音楽の知識がないことはよく分かったわ」

「まあ大体これで分かるだろ?」

「まあ……なんとか」

「そこで思うんだよ。この二人、どっちが尊い? どっちが『努力』してる? どっちが望むべき理想像?」

「……はぁ。貴方、本当にひねくれてるわね」

「前から分かってたことだろ。とにかく――俺が思うのは、こうだ。Aさんの成し遂げた結果と、Bさんの成し遂げた結果に一切の差異はない。努力の絶対量は差がある。Bさんの方が『努力』をしている」

「そうね。結果だけを見れば二人に一切の差はない」

「その通り。だけど、『多くの日本人が手本にしているのは』どっちだと思う?」

「それはBさんの方でしょうね」

「そうだ。でもそれっておかしくない?」

「おかしい、とは?」

「本来なら努力しないに越したことはない。Aさんを目指すべきなんだよ、人間は。好きなことだけできるならそれが一番じゃん。なのに『努力』という妥協に逃げてるんだよ」

「ふむ……貴方の言ってることは分からないでもないけど、二つほど言いたいことがあるわ」

「なんだ?」

「まず、『Aさんが努力してないとは限らない』じゃない」

「確かに」

「そしてもう一つ。ほとんどの人間はAさんみたいに強くないわ」

「なるほど。極めていいツッコミだ。流石は君だよ。私が親愛なる友として認定しているだけはある」

「厨二病はいいから、さっさと話に戻りなさい」

「ごめん。……さて、一つ目のツッコミ、『Aさんが努力してないとは限らない』について説明しよう。まず、『AさんもBさんも目的に達するために成し遂げた行為の総量は変わらない』その前提と定義は、了解してくれるか?」

「なるほど。好きでやってようが、それを苦痛と感じていようがゴールにたどり着くまでの歩数は変わらないってことね」

「その通り」

「でも、生まれつきの才能次第でその『歩数』も変動するんじゃないの?」

「そうそう、そうだ!まさにその通り!……だけど、考えてみろ。才能によって『歩数』が変動すると仮定するならば――その歩数が少なくて済むのは、AさんとBさんのどちらだ?」

「Aさんでしょうね」

「間違いないだろう。さらに、ここで『努力』の定義を『歯を食いしばった量』と定義する」

「……?」

「待て、汚物を見るような目で俺を見るな。こうでも定義しない限り、努力の話ができないんだよ。とりあえずこれで納得してくれ」

「……まあいいわ」

「感謝する。さて、AさんとBさんの『努力』の量はどちらが多い?」

「……まぁ、貴方が『Bさん』と言わせたいのはよく分かるわ」

「そうだ。さて、『歩数』の考え方と『努力』の考え方……この二つの考え方を組み合わせると、AさんとBさんには半端じゃない差があることが分かるだろう?」

「さしあたり、言いたいことは分かったわ。でも、貴方はもう一つの疑問に答えていない。全ての人間がAさんになれるはずが無いってのは貴方も解ってるでしょう。それに、貴方自身はAさんのようになれるとでも言うの?」

「……」

「何か嫌なことでもあったの?」

「聞いてくれるか」

「あとで何かおごってね」

「シュークリーム買ってやろう。――俺さ、今日クラスのヤツに勉強教えてたんだ。そのときそいつが言ったんだよ。『お前は良いよなー、ほとんど頑張らなくてその成績なんだからさ』って」

「貴方、自分のクラスでどれくらい頑張ってないオーラ出してるのよ……」

「オーラじゃない。事実頑張っちゃいないんだ。俺は『好きで』色々やってるだけなんだよ。……にも関わらず、俺は言ってしまったんだ。『俺だって努力してるよ』ってな」

「ふーん。って、貴方その程度のことで苦しそうな顔してたの?」

「その程度とはなんだ! 俺は気づいてしまったんだ、その瞬間に! この世の真理にだぞ!」

「エラく安っぽい真理ね……で、その心は?」

「心して聞いてくれ。これが真理だ――世の中には、好きで何かをやってたくせに、その何かのプロセスに『努力』という名前を付け、そうでもしなきゃ死ぬぞと言わんばかりに他人に押し付ける人間が溢れている!!」

「貴方って精神腐ってんじゃないの?」

「ヒドいッ!」

「……ふぅ。でもなんとなく、貴方の言いたいことは分からないでもないわ。結局貴方は『努力』っていう独特の香りを放つ言葉を嫌悪してるんでしょう? 『努力しないと成功できない』っていう人たちと同時に」

「よく分かってくれたな」

「分かるわよ。貴方のことは」

「……やめれ。照れる」

「さて、それはいいとして」

「ええんかい!!」

「――確かに、何かのプロセスに努力っていう美名を付けて、それを押し売りするのは本当に悪臭がするわね。それはよく分かるわ。だけど――そのプロセス自体の尊さってのは、どこでも変わらないんじゃないの?」

「うん。結局俺が嫌いなのは『努力』って言葉だけだ。それと、ついでに言うなら――どうもこの『努力』って言葉は『結果』と対になってて気に食わないってところもある。『結果と努力どっちが大事か』とか、『結果が出せるなら努力はしなくてもいいのか』とか。色々言う奴がいるが、俺にとってはただただ反吐が出る」

「やっぱ貴方ひねくれてるし、精神が腐ってるわね……ところで貴方は『努力』が嫌いならどんな言葉は好きなの?」

「『修行』と『鍛錬』」

「えー……」

「だってさ、『修行』と『鍛錬』に『結果』は関係ないじゃん。俺、仏教やらそういうのに詳しいわけじゃないけど、『修行の結果としてこんなのが得られました!修行してよかった!』ってさ、それ修行として正しくないでしょ?」

「どういうこと?」

「『修行』とか『鍛錬』ってさ、それそのものが『結果』だってこと」

「つまり、何かを求めて『鍛錬』するのは間違いで、『鍛錬』それそのものが目的ってこと?」

「うん。その方が良くない?その時点で――つまり、『鍛錬』を始めた時点でもう『結果』は得られてるわけよ。ついでに言えばさ、鍛錬は人に押し付けるもんじゃない。自分が好きでやるもんじゃないか」

「……むぅ。分かる気もするけど……それはやっぱり、辛い道のりじゃないかしら。それに、本来の『努力』も人に押し付けるもんじゃないと思う」

「僕も確かにそう思う。『努力』も『鍛錬』も本来、人に押し付けるものじゃない。本来はね……でも、『鍛錬が辛い道のり』ってことに関しては、反論がある。僕は『一線』を超えると、鍛錬式の思考をする方が『努力』を考えるより楽になると考えている」

「『一線』って?」

「目的への道そのものが結果になる段階ってこと。ホラ、AさんとBさんの話に戻るとさ……多分、Aさんは『音楽が上手くなるために音楽をやってる』わけじゃないでしょ」

「なるほどね。その一方でBさんは……」

「そう。『音楽が上手くなりたいという結果を求めて、努力をしている』。結果というご褒美がもらえないなら、Bさんは何もできない。何もしない」

「貴方が言ってることはよく分かったわ。……だけどやっぱり、強者の理論よそれは。多くの人間はそこまで強くないわ」

「そうかなぁ。むしろ俺にとっては『努力』なんていう茨の道を選ぶことが理解し難いんだよ。楽になる道を探すことを放棄してるとしか――」
 
「――やっぱり貴方、シニカルすぎる気がするわ。仕方ない。……でも言ってることはそう間違ってないかもしれないわね。貴方の言ってることを補強すると……フフ、こう考えてみればどうかしら?『努力はシステムである』と。『弱者を救済するために、世界に設置された装置である』と」

「ええ……君の方がよっぽどシニカルじゃない!?」

「貴方と同じく、論理にストレートなだけよ」

「いや、さすがの俺でもその言い方は凄まじいって思うよ」

「フフフ、この程度で引くなんて。もしかすると……貴方、そうやってグダグダ言いながら、努力自体をそこまで嫌悪してないんじゃない?」

「……」

「それに……貴方が『強者』って言ったのも撤回するわ。よく考えると、本当の『強者』ならそんな些事に振り回されないもの」

「……知ってるさ。君のほうがよっぽど強いし、賢い」

「シュークリーム一個追加ね」

「なんでだよ!」

「それで、結局。強者でも弱者でもない貴方はどういった生き方を望むの?」

「……なるべく努力せずに済む生き方」

「強情っていうか、やっぱりタダのクズじゃない?」

「やかましい」

「あれあれー?最初の勢いが無くなってるぞー?」

「……お前には勝てないよ。まったく」

「楽しかったわ。さて、私はそろそろ帰るけど。貴方も帰る?」

「ああ。お前と話してたら、こんなこと考えてるのが阿呆らしくなってきた」

「ありがと。シュークリーム3つね」

「へいへい。……多いな」



今回の記事……というか物語?では、ウェブ漫画から発信され現在では書籍化している牛帝氏の『同人王』という漫画の一節を、一部参考にさせていただいております。
『同人王』では、凡人でボンクラである(とはいえ作中で天才である可能性がほのめかされている)主人公が、完全な天才である親友に同人の世界で勝負することになります。
努力によってコツコツ上昇しようとする主人公に対し、親友は一切練習をせず、デジタル販売の売上を着実に伸ばしていきます。
練習はしていないのか?それで本当に上手くなれるのか?」と問う主人公に、親友はこう応えます……。

それはむしろ僕が聞きたい。腕立て100回やるようなマネで……天才と戦えますか? 腕立て100回……模写1000枚……そんなのは自分の頭で考えられないボンクラを増やすアメです。同人作家と付き合って思うのはやつらは根本的に違うレベルで戦ってます。ボンクラが模写というアメにあやされてる間にやつらは絵の理を究めていく…………上手くなるには天才にもまれ自分も天才になるしかない。腕立てなんかじゃ強くなれない

ボンクラをあやす『努力』というアメ……それをしゃぶって満足してるだけじゃないですか?


書き写してるだけでゾクゾクしてくる名台詞です。漫画名台詞ランキングがあるなら間違いなく僕の中で上位に位置する台詞です。

さて、今回の記事はこれくらいで終わりです。
また似たような記事を書くかもしれませんが……引かないでくださいね☆
おしまい!

コメント

(著者)
No.9 (2014/10/21 21:58)
>>8
コメントありがとうございます。
僕はこの歳になって、案外好きなもの一本ってのは修羅の道だと思うようになりました。分散できないと、色々辛いことも多いですからね……今は、色んなモノを少しずつ愛せるのが自分にとって一番しっくりきています。
それでも仕事にしたいレベルの情熱があるなら、それに賭けるのは僕もいいと思います!
タカ
No.10 (2014/10/21 22:21)
個人的な体験、つまり自分語りで申し訳ないのですが、中学生のころに遊戯王カードで上位入賞を果たしたことを思い出してしまいました。

大会で勝つために色んなデッキを想定してデッキに入れるカードを一日中考え続ける生活を続け、上位入賞という結果は手に入れたものの遊戯王カード自体に飽きた・・・と自分では思っていました
ただ今回のお話を読むと、ひょっとして遊戯王カード自体が目的ではなく『勝つ』というある意味で別の目的にすり替わってしまったために遊戯王カードを『努力』と無意識で感じ、努力を嫌うように遊戯王カードに飽きたのではなく嫌ってしまったのでは、と

何がいいたいのかというと、それが『努力』なのか『それ自体が目的』なのかを客観的に見ることは難しいと思いましたまる
(著者)
No.11 (2014/10/21 22:38)
>>10
コメントありがとうございます。
そのエピソード、まさに僕の言いたいことに繋がってます。僕が思うに、多分上位入賞するに当たって「遊戯王をしないとどうしようもないくらいはまってた」時期はあったと思うんですよ。麻薬や酒のように。
その結果得た入賞という結果に「死に物狂いで努力したから」って言ってしまうような人って物凄く多いと思うんです。あるいは「結果」を美談のように持ち上げ「こういった努力をすれば成功できるよ」というビジネス……僕はそれが嫌です。特に後者の「努力ビジネス」が大嫌いです。それは正しくないんじゃないか、と。もちろん、「勝つために何もしていない」もまた間違いですが。例えば「イチローは何の努力もしていない」など言おうものならフルボッコ必至です。それとは違います... 全文表示
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