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何故24時間テレビはムカつくのか?

2014/09/01 16:15 投稿

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お久しぶり、Mistirです。

さて、かなり前の記事「ネトウヨの消失」に引き続き、前回の記事「ワタミの本はどんな本?」もニコニコ動画の上の黒い部分に載せていただいたようで、かなりのアクセス、コメントをいただきました。


「ネトウヨの消失」の記事のコメントに関しては全件返信させて頂きましたが、「ワタミの本はどんな本?」のコメントに関しては返信を保留させて頂いている状態です。
正直、コメントの返信は物凄く精神力を使います。間違った返事をしていないか、的外れに捉えていないか……怖くて逃げているというのが正直なところです。ですが全件しっかり読ませて頂いております。この場で取り急ぎ(とはいえ一ヶ月以上前ですが……)返信の代わりに、お礼申し上げます。お読みくださり、またコメントして頂き、本当にありがとうございます。また覚悟ができたとき、返事をさせていただくつもりです。


さて、今回のテーマに移ります。
今回もいつもどおり、唐突に「書きたくなったから」書かせていただきます。
テーマは、某局が毎年恒例行事としてやっている24時間のテレビ放送が、何故ここまでムカつくのか


あらかじめエクスキューズを書いておくと、僕は基本的に24時間テレビは「善」であると考えています
何故か?
あれだけの規模で、あれだけのタレントが動き、たくさんの裏方の人々が尽力し、また多くの一般人(便宜的に芸能人ではない方々をこう表現します)が協力し、一つの大きな話題となる番組を創り出す。これは非常に規模の大きな経済活動です。
まして募金までしている。それだけでも十分、大きな効果を生み出しています。
少なくとも昼まで寝ている大学生(私です)よりは大きな「善」を生み出しています。
かつ、某朝の日の新聞のように「非常に悪質なウソを30年にもわたってばらまき続けている」ってわけでもありません。「愛は地球を救う」はウソですが、流石にそれに突っ込むのは野暮でしょう。

にも関わらず、非常にムカつく。

たまに見かける「タレントに払うギャラを直接寄付すればいい」という考え方は非常にナンセンスなものです。確かに莫大な額のタレントのギャラを想像すると「募金してください」と言われる側としては「ふざけんな」と言いたくなる気持ちもありますし、分かります。ですがそれはあまりクリティカルなものではないかな、と考えています。

もっと上の次元で、語りたい。

なので、今回も筆の、キーボードの赴くまま……
語らせて頂きます。

いまさらですが、この記事はこの感覚を共有できる方、この感覚を理解できる方に向けて書きます。「全く理解できない、嫌なら見るなよ」という方は読まずに面白いアニメでも見てください。

さて……嫌なら見るなよ。
その通りです。嫌なら見なければいい。僕は「24時間テレビはムカつく」この感情を明確に抱えています。なので見なければよかったのです。

魔が差したのです。

見てみました。ごく一部ですが……笑っちゃいました。
耳の不自由な人にチアリーディングをさせ、足の不自由な人に山登りをさせる。
……

ええ、当事者が満足ならいいですよ。ええ。当事者がどう思ってるかなんて察するの無理ですし、ここから「テレビ局が当事者を操ってる!」なんて議論に持ち込むのはナンセンスです。
……でもなんだ、この寂寞とした思いは……溢れる失笑は。

で、これまた笑っちゃったのが、「耳の不自由な人」の「耳の不自由な人生」を紹介するときに、悲しい〜BGMを流してるんですね。

……いや、明るいBGMかけろって言いませんよ?別に。
「◯◯さんは、生まれつき耳が悪く……(BGM:T.M.Revolution『HOT LIMIT』)」とかやられたら爆笑モノですが……うん、僕も別にそこまでしろとは言ってません。
……でもなんだ、この寂寞とした思いは……溢れる失笑は(二回目)。

「常識的に」そりゃ悲しい〜BGM付ける気持ちはわかりますが、それって……さ?
「おかしくない?」という気持ちがどうしても生まれてしまいます。

そもそもそれが悲しいかどうかって本人が全部抱えるべくことであってさ、第三者が感情として付与出来るものではないんじゃないかなって思うんだよね。

例えば僕が彼女にフラれたとします。もし誰かが後ろで哀しい〜BGMを流したとします。
僕なら「お前誰やねん!」と言いながらそいつにドロップキックかまします
そういうことです。
……そういうことなのか?
例えたせいで議論のレベル下がった気がするぞ!?

……まあいい。
で、耳の不自由な人にチアリーディングをさせて、足の不自由な人に山登りをさせる話。
これも「本人が良ければそれでいい」のだろうし、第三者である僕がとやかく言うのはナンセンスだから何も言わないべきなのかもしれません。ここで僕が何かを語ってしまうと、その出演者に「お前誰やねん!」と言われながらチョークスリーパーをかけられてしまうかもしれません。

が、僕のやることはあくまでも語ることなので、語らせていただきます。
(もちろん「悲しいBGMをセレクトした人」の仕事もまた「悲しいBGMをセレクトする」ことなので、僕にそれを批判する資格はないのかもしれません)

さて、耳の不自由な人にチアリーディングをさせて、足の不自由な人に山登りをさせる――これって何の意味があるの? って思っちゃうの、僕だけですかね?
できることやりゃいいじゃん。人間には適材適所あるんだし。

数学苦手なら英語頑張ればいいじゃん。英語苦手なら数学頑張ればいいじゃん。
要するに、数学苦手な人が必死で頑張って数学の苦手を克服した様子をテレビで流して、それで僕は感動すればいいんすか?

こんな理屈っぽく考えるなんて……僕は娯楽作品を娯楽として楽しめていない?ん?そもそもアレ、「娯楽」ナノ?あれ、娯楽?

え?

……あー、そういえば。色々言われてるフジテレビさんの「27時間テレビ」の方はこんな形で「ムカつく」という感情を向けられていない気がするなぁ。アレは明確に「娯楽」に徹してるからか。

だけど24時間テレビは?
あれってどう愉しめばいいの?楽しむ?

……ここで、僕はあるものを思い出します。アレです。
学校で無理やり見せられるビデオです
ほら、人権の話とか、色々。キョーイクテキな内容のビデオ。終わったあと紙に感想書かされるアレです。
いいですね、キョーイクテキですね。それで?感想?ええ、「出演者がカメラを気にしてるのが気になった」なんて書いちゃダメなんでしょ、先生。

……似ている。非常によく似ている。

教育的であるから、学問的であるからダメってワケじゃないです。例えば「世界ふしぎ発見!」とか非常に教育的っていうか、子供に見せたい健全な番組だと思ってますが、アレが24時間テレビと同列の批判を受けているの見たことがない。

さて、そろそろ結論に向かいます

24時間テレビは色々言われてますが、結局のところそのムカつく理由は「押し付け」にあるのではないかと考えています。
(悲しいBGMを流されるほどに)可哀想な障害者(僕は障がい者、障碍者という表現が大っ嫌いなので、以下障害者と表現させて頂きます)を視聴者に認識させ、視聴者にそれを克服する様子を「押し付けてくる」。ついでに言えば、100キロ程なんかタレントが頑張って汗かいて走ってる様子を「押し付けてくる」。
涙を押し付けてくる。
極めつけに「愛は地球を救う」というイデオロギーを「押し付けてくる」。宗教じゃねーんだから……
思うに日本に宗教を嫌いな人が多い理由も、宗教が「押し付けてくる」場合が多いからだと考えています。某大事件?それはさておき。
神道、仏教とか原理的な部分では意外にも「押し付け」は少なくて、それを伝授する、伝播させる段階になって「押し付け」が生じてくるんですね。まあ余談はこれくらいにしておきましょう。

ある意味、テレビ番組を含め、全ての創作はある程度の押し付けを含みます。
ですが、程度の問題ってものがあります。

例えば「世界ふしぎ発見!(僕がわりと好きってだけで引き合いに出してます)」は、この「押し付けてくる」感じが極めて少ない。海外行って、海外のこと紹介して、黒柳さんたちがクイズやってる、それだけをただ流す。押し付けをほとんど感じません。

あー、パッと思いついたんだけど、この「押し付け」があまりにも凄まじくて、一周回ってギャグになっちゃって愛されてるのが「魔法科高校の劣等生」じゃないか?
知らない人のために簡単に説明すると、主人公の「お兄様」がとにかくすごい人で、とにかく凄い人で、とにかくスゴいんです。ブラコンの妹はことあるごとに「さすがはお兄様です!(一部では「さすおに」と略されております)」と褒め称え、他の登場人物もひたすらお兄様を褒め称える。さすがはお兄様!全てはお兄様!
……でもあそこまでやってるともはや意図的で笑えちゃうんですよね。結果的に妙に愛されてるアニメです。

でも24時間テレビは?
あれ、指さして笑っていいの?アハハって笑っていいの?
ギャグじゃん。でも笑っていいって雰囲気じゃないでしょ?……笑っちゃダメなの?え?
あんな「耳の不自由な人の生涯」を説明するために、悲し〜くて壮大なBGMを付けてる安っぽさを見て、笑っちゃ……ダメだよなぁ、やっぱり。

じゃあ苦笑いするか、ムカつくって思うしかないじゃん。

とりあえずこんな感じです。


さて、ここからもう一つ議論します。ここからも大事な問題です。
24時間テレビは「偽善」なのかという問題です
だれでもパッと思いつくであろう24時間テレビがムカつくって理由は、アレが「偽善的」だからだと思うんですね。

「愛は地球を救う」という、小学生でも分かるようなウソ、偽善。
それに対して僕らは「ムカついて」いるのか?もちろんそれもあるでしょう。
でも、僕はたまには優しい世界があっても、理想主義に固まった世界があってもいいと思うんですよ。それこそ24時間位は。24時間くらい、サンタクロースを信じる世界があってもいいじゃないですか。

……にも関わらず、24時間テレビは「そんな世界」にはなり得ていません。理想主義のユートピアってわけでもないんですね。
まーアレ自体すっげー現実的ですからね。100キロ走るにしても山登るにしても、地球を救う愛の力じゃなくて、本人の努力とかそういったところに行き着くじゃないっすか。

ヤバイ、本筋から逸れてきたぞ。問題は「24時間テレビは偽善であるか否か」だ。

結論を言えば、最初に述べたように「偽善」ではなく「善」であると考えています。
でも、ここには避けてはならない問題が含まれているように思うんです。

喩え話をしましょう。
ある会社員Aさんの話です。


Aさんは正義感の強い男だ。
ある日、電車の中で非常に大きな音量で音楽を聞いている中学生がいた。彼は厳しく注意した。
結果、その中学生は音楽の音量を下げた。

別の日、いかにも暴力的な、いかにも喧嘩慣れしていそうな大男が大音量で音楽を聞いていた。Aさんは、何もしなかった


さて、みなさんはどう思いましたか?
果たしてAさんの行為を「偽善」と言っていいのか?
Aさんは一人の中学生に音量を下げさせ、プラスマイナスで言えばプラスを生み出しました。
ですが、大男に注意しなかったのはマイナスではありません。ゼロです。何も生み出していませんから。
プラスマイナス、プラスです
Aさんは非難されるべきでしょうか?この偽善者、と……。

さて、24時間テレビは非難されるべきでしょうか。この偽善者、と。

このことに関しては結論が出せません。実は小学生くらいの頃から僕はこの問題に引っかかってて、ずーっと考えてますが答えはでません。
極端な話、世界全員の人がAさんみたいになるのは、それはそれで嫌ですし。そのときは「ちょっとワルイコトしちゃった人」に凄く厳しい世の中で、「凄く悪いことする人」がのさばる世の中になりそう。
……バカッターを思い出す。バイト先の冷蔵庫に入った結果、「人生を駄目にさせられた」人たち。「人生を駄目にした」人とは表現したくない。あえて「人生を駄目にさせられた」人と表現しよう。

じゃあ24時間テレビって結局プラスマイナス、何なんだ?
わからん。僕に分かるのは、あの番組がやっぱり押し付けがましくて、かつそれをギャグにできないからムカつくってことくらいだ。



【今回のおまけ】


さて、今回はおまけが長めです。
まず、リンク先をお読みください。悪名高い2chまとめサイトのリンクで恐縮ですが、リンクを踏みたくない方は「24時間テレビ 障害者ドミノ」で検索してください。

【!?】24時間テレビの障害者ドミノが色々酷いと話題に

みなさんはどう思いました?僕はノーコメント


あとGoogleで「24時間テレビ 障害者」で検索すると、サジェストが……うーん、なんて言えばいいかな?……うーん。うん、こう表現しよう。
ワロスです
結局押し付け云々もあるだろうけど、そういうところもあるのかもしれないなぁ。たとえ「障害者の方本人が同意していたとしても」、視聴者がどう考えるかは別ですし。でもそれで当事者(障害者の方)が良いと思っているとしたら?プラマイプラス?……難しいぞ、これ。

それから、Twitterで24時間テレビを検索してると「24時間テレビを嫌悪してるのはヲタクの印象がある」とか言ってる人がいました。

正しいと思います
だって、曖昧な「正しさ」であるとか、教育的ビデオであるとか、「健全なモノ」であるとか、そういった「ギャグにさえならない何か」を「押し付けられる」のは、その押し付けに辟易する運命にあるのが――
我々ヲタクなのですから

あと、僕、サライは大好きです。いい曲だもん。
おしまい☆

【追記】
わーwwたくさんのご意見ありがとうございます!参考になる意見ばかりで恐縮です……
返事は……すみません、期待しないでお待ちください……これは……はい。
次の記事書くのが先になるかもしれません。
取り急ぎ、お礼申し上げます。お読みいただき、またコメントをくださり、本当にありがとうございます!


さて、色々な人に突っ込まれていたバカッターの件ですが、確かにもっと詳細に語るべきですね。少し長くなりそうですが、語らせていただきます。


バイト先で冷蔵庫に入った人がいる。
それに対して、Twitterで色々と批難を浴びせたり、住所を特定したりする人がいる。
この記事では、後者の人々を「Aさん」と置いています。
もちろん後者の人々が正義感から行動しているとは限らず、おそらくそのパターンの方が少ないと思われます
でも、Twitterで見つけた「のさばらせてはいけない酷い行為」を、「ダメだ」と糾弾する、その構造そのものは記事の中での「Aさん」の行為と差がほとんどないものです。
ですが、バカッターの当事者たちに与えられるのは、本当に罪に対して適正な罰なのでしょうか?
この場合、「Aさん」は数万人、数百万人、数千万人に登ります。
たくさんの「Aさん」が、一斉に、裁く。
これって怖くないですか?僕が言いたいことはそういうことです。
本来、人を裁けるのは刑法だけ……あるいは当事者(この場合、冷蔵庫に入られた店)のみです。でも、現代は……
誰でも気楽に、まさに匿名の「Aさん」になれる時代なのです。
それは怖いと思うんですよ。
バカッターの罪に対する罰は重すぎるんじゃないか?ってテーマは色々なところで語られているので、ぜひ参考にしてください。僕自身もまだ結論はでていません。ただ、怖いと思うだけです。
そういった色々な気持をこめて、「人生を駄目にさせられた」と表現させていただきました。

ちなみにバカッターに関しては別の観点から過去の記事で扱っております。
炎上と信仰ーー神は何処にいる?」という記事です。今見ると分かりにくいタイトル!
よろしければ、お読みください。


コメント

うさぎ望月
No.313 (2015/05/27 03:33)
「押し付けてくる」ことを我々が嫌がるのは、我々が仏教徒の思想を知らず知らずのうちに持っているからだそうです。
先人(仏様)に頭を下げるのは当然であるが、いもしない「神様」に頭を下げたり、
わけわかんない教祖さまを崇拝するのは馬鹿げている、
と思うのも典型的な仏教の考え方だそうです。

24時間テレビをみてムカつくのは、しらずしらずのうちに仏教徒になっている?
ということになるのかもしれません・・・・
ロランP
No.314 (2015/05/27 11:58)
個人の感想いいますね

あいつら、本当に、ボランティアなら
金もらうなよ
その金も募金しろ


それが、真のボランティアです
ecco.ljus.0719
No.315 (2017/08/26 08:42)
ツィッター以外に関しては、概ね同意。
ツイッターの件の奴らのやっている事は明らかに犯罪であり、犯罪者に対して罪を償わせるのは当然。
それが例え「ツイッターによって人生をダメにさせられた」としてもだ。
単なる自業自得であろう。
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