MistiRoom

【書評?】『嫌われる勇気』――世界と自分の関わり方とか

2014/04/06 13:31 投稿

コメント:8

  • タグ:
  • 書評
どもども、Mistirです。
一応就活中です。ただ、ほぼ終わってます。株式会社リ◯ルート閣下その他大勢によります貧困ビジネス、カオス極まりない現在の「就職活動」に関しては、また落ち着いたらゆっくりと分析してこのブログで書きたいと思ってます。思うことが非常に多いので。

さて、最近ずっと気になってた岸見一郎氏と古賀史健氏の『嫌われる勇気』を購入いたしました。

パラパラと読んでみたら明らかにこれは良書、でもせっかくなので先に予習……ってことでこの本を読む前に岸見一郎氏の『アドラー心理学入門』を先に読んでみました。全体に漂う優しい雰囲気。これは岸見一郎氏の人格によるものなのか、アドラー心理学という考え方の優しさによるものなのか。とにかく、不思議な一冊でした。多少読みにくかったけど。

さて、『嫌われる勇気』は『アドラー心理学入門』の内容を、より実践的に現実の問題に則した形で再構築した一冊であると言えます。

詳しい内容はもうたっぷりとレビューが存在しているので、そこで読んでもらいましょう。
僕はここで、僕自身が『嫌われる勇気』を読んで、あるいはそれ以前から考えていた「幸福」について語ってみたいと思います。……就活してる学生風情が何書いてんだって話ですね。徹頭徹尾錯覚かもしれない。でもいいじゃないの。どうせこういったことに関する考えってのは一生続くもんです。そのどの部分を切り取ったとこで「間違い」にはなり得ない。


大学に入ったあとで、凄く悩んだことがあったんだよね。あの頃の僕は非常に尖っていました。典型的な哲学少年あるいは文学少年です。中島義道の思想に耽溺し、生きてる意味みたいなことに関して凄く考えてました。それも、「生きてても意味が無い」なんて考えながら。それでも死ぬのは怖かった。
よくある話です。

有名になることが自分の目的なのか。
だったら有名になりさえすればいいのか。
有名になるとしても、高尚な事項で有名にならねばならない。
だったら高尚ってなんだ。
高尚という権威で着飾ってしまうことこそ、最も僕の忌み嫌うものではないのか……

めんどくさいガキですね。未だにめんどくさいガキです。……うーん、自分のことをガキと言っても大人って言っても怒られるような歳ですね、大学生って。感覚としては、みんな自分が「大人になった」なんて一切思ってないんじゃないかなとは思うけど。大学生は大学生以上でも以下でもない、それだけなのかも。

閑話休題。

「もし生きる目的が自己満足であるとすれば、ドラッグに走る方がマシなんじゃないか」
本気でそう思ったこともありました。

まぁ、とにかく強烈に悩んでいたんです。怖かったんです。何もかもが。
そしてそんな自分に似た人物が登場する文学作品を発見し、そいつに関して勉強してるっていうなんだかマンガみたいな現状が形成されてます。

で、『嫌われる勇気』とこの話が何の関係があるのか。
『嫌われる勇気』が売れたこともそうだけど、人間にとってやっぱり「生き方」って程度の差こそあれ大問題なんだなぁと思うわけです。
そこで「人それぞれ」って言っちまうとつまんない。だからこそ滅茶苦茶考える。だけど結果は芳しくない。それでも、なお考える。

その「生き方」に関する、『嫌われる勇気』以外の多くの自己啓発本の「語り」に……いや、もっと具体的に言おう。例えば、ブラックで有名な某居酒屋の元社長。何故彼に僕は(我々は、とは言いません)嫌悪感を抱くのか。

もちろん、過労死を出したことを認めずツイート云々ってこともある。だけどそれ以上に、直感的に入り込んでくる嫌悪感ーーその源流。

その源流って、「それって俺の問題じゃないよね?」だと思うんだよね。

彼ら(居酒屋オーナーに限らず誰を想像してくれても構いません)は夢を語る。
だが、「それは俺の夢じゃない
彼らは大事なことを教える。
だが、「それは俺の大事なことじゃない」
彼らは自由を語る。
だが、「それは俺の自由じゃない」
彼らは良い生き方を語る。
だが、「それは俺の生き方じゃない」
……結局ここ。

僕は以前の記事、『ネトウヨの消失』でこれと似たようなことを書いている。

靖国参拝も、とりあえずはどうでもいい。原発も、とりあえずはどうでもいい。韓国も、どうでもいい。中国も、どうでもいい。表現規制も、どうでもいい。ネトウヨももう概念として消えていくだろう。左翼も消えるかもしれない。経済用語が絡んでるから、共産主義は消えないかもしれない。わかんない。どうでもいい。こう言うと怒る人がいるかもしれない。でも僕は、自由を行使しているだけだ。

……ハイ、案の定こう書くとコメントで怒られましたw
どうでもいいって言葉に怒る人が結構いた。もちろん具体的な現政権の名前とか書いて、ね。

でも、『嫌われる勇気』読んだ今ならもっと強く言える。
上に書いたこと全部、「僕の問題ではない」。……いや、上に書いたことが「国民の問題」である以上、それは「僕の問題」でもあるのかもしれない。それに「僕の問題」として、政治に対して「放任」する「無関心」は嫌いだ。だから選挙には行く。
でもなぁ。でも、逆に言えば選挙期間で無ければ、全く僕の問題じゃないのだ。次の選挙のために情報を集めこそするものの、それが直接「僕の問題」であるわけではない。これは決定的に明らかだ。誰が何と言おうと「僕の問題ではない」のだ。少なくとも「僕の問題」として、ネット上で議論するような理由はどこにもないのだ(自由意志に基づいて考え方を表明することはありますが、あくまでも自分の意志でやってることです)。

これは政治だけにとどまらない。全ての情報に言えることだ。
2chまとめでもいい。テレビのニュースでもいい。まず、問いかけてみる。

「それは俺の問題か?」と。

例えば天気予報、明日は雨だと言っている。だから明日は傘を持って行こう。コレは間違いなく僕の問題。
だけど……それ以外は?

この切り離し方。ここにもしかすると、僕の「自由」があるんじゃないか。

そして、僕の求める生き方があるんじゃないか……と。

ちなみに強烈すぎる僕の「生きることに関する悩み」は、ゆっくりと消えつつあります。理由は……「競争から遠ざかった」ことです。あと、絵を始めたこと。

偏差値で殴り合ってたフィールドと大学は全く別の世界です。偏差値のフィールドとして大学を捉えると、妙に辛い。まーなんというか、偏差値で殴り合いすることに慣れすぎてて、大学入学後は銃を奪われた兵士状態だったのかもしれません。『ランボー』初代みたいに。あれ、いい映画ですよね〜クライマックスの慟哭は屈指の名シーンです。泣けます。ランボーって無敵のオッサンが無双する半分ギャグみたいな映画だと思ってたので、泣かされるとは全く思ってませんでした。

絵は、ド下手どころか何も描けない状態から始めたので、他人と比べることなどできない。
この2つが重なって、だんだん肥大したプライドが剥がれ落ちてきたのでしょう。多分。


……って。

グダグダと書きましたが、「原因」なんて知らないってのが正直なところ。アドラー心理学的に言い換えると、「辛い現状を解決するという目的のために、他人との競争という評価軸を自分から外そうとした」と言い換えられるかもしれません。


さて。悩みは全て対人関係から生まれる……こう『嫌われる勇気』には書いてますが、全力で肯定したい。要は僕の場合、無駄なプライドが膨らんで他人の目を気にして、気にしすぎて生きにくくなってたってだけなんですね。

それでもまだ『嫌われる勇気』みたいな本を求める理由は、非常に明確です。
まだまだそれでも、僕は他者の評価や他者の問題を軸にしてるなぁとよく思うからです。そしてまだまだ今の在り方に満足していないからです。
2chまとめであるとか、ソーシャルでの評価とか、妙に気になっちゃう。自分の立ち位置とか、そういったものを確認するために。例えば、本当に評価軸なんて気にしないのなら……「就職したい企業人気ランキング」なんて、カスです。
アドラー心理学の内容実践できる人なんて実際そういないだろうなぁと思います。凄い。凄すぎる。情報の密度が凄い。生きてる年数の半分かからないと理解できないと言われるのも納得です。分からないなぁと唸りながら読んでますもん。同時に、それでもこの情報は自分にとって必要なものであると考えながら。

『嫌われる勇気』はここまでで述べてきた「課題の分離」というテーマに言及しています。一言で言えば、「それは俺の問題か?」という部分です。

こういったことを考えるとき、福本伸行氏の『最強伝説黒沢』を思い出します。
主人公黒沢はワールドカップの勝利に湧き上がる人々を見て、こう考える。

感動などないっ!

あんなものに……

オレが求めているのは……

オレの鼓動 オレの歓喜 オレの咆哮

オレのオレによるオレだけの……感動だったはずだ!


説明不要ですね。


オレのオレによるオレだけの感動を求めるオレですが、そういったオレも実は誰かに褒められたい、評価されたい。上を目指したい。
屈折してます。でもその屈折こそ人生。だけどどうせ生きるなら不幸でありたくはない。
……いや、それこそアドラー的に言えば「目的のために不幸でありたがる人もいる」のかもしれないな。

そういえば僕を屈折させた張本人(この表現はあくまでも冗談です)である中島義道氏も言ってましたね。以下、氏の言葉を引用します。

「私は、自分が死ぬかぎり幸福になるはずがない(幸福になる資格はない)と思い込み、あえて幸福を求めることをせず、その代わりに「本当のこと」がわかればいい(その結果、不幸になってもいい)と願って「哲学」に沈潜しました。私にとって「死」は無性に恐ろしかったからこそ、それから目を逸らさないで、それのみを見つめる生き方をしようと思った。それが「哲学」というわけです。すなわち、私は最も不幸な生き方をしようと思った。そして、もうそろそろ人生を終える〈今〉になってみると、これ以外の生き方はできなかった、これは、ある意味で(自分の意図に逆らって)幸福なのかもしれないなあ、と苦笑している自分を見出します」

氏は「目的」のために「不幸」を選んだわけです。でも、それは必ずしも「生き地獄」を意味しているわけではない。「ひねくれてるなぁ」とも思いますが、それでも……何かやっぱり、憧れてしまう生き方です。ただ僕がこの生き方をしない理由があるとすれば……「死から目をそらさない」ことが必ずしも「良い」と思えなかったからです。「死から目を逸らす」ことはもっと嫌いだけど、だからといってその逆が良いとも思えない。つまるところ僕の死の見つめ方も(氏に猛烈に惹かれるほどには)極端な面はあったものの、それでも中島氏ほど極端なものではないといったところなのでしょう。

……ん?何の話だったっけ?

……そうそう、『嫌われる勇気』の話だ。

ええい、そろそろまとめます。

いい本です!

おしまい☆

……せっかくなので「自由」に関する部分を本書から引用して終わりましょう。
「独善的にかまえるのでもなければ、開き直るのでもありません。ただ課題を分離するのです。あなたのことをよく思わない人がいても、それは貴方の課題ではない。そしてまた、『自分のことを好きになるべきだ』『これだけ尽くしているのだから、好きにならないのはおかしい』と考えるのも、相手の課題に介入した見返り的な発想です。
 嫌われる可能性を怖れることなく、前に進んでいく。坂道を転がるように生きるのではなく、眼前の坂を登っていく。それが人間にとっての自由なのです



【参考ブログなど】
「最強伝説黒沢」と「福本伸行 人生を逆転する名言集」についてとあと日本頑張れマジ頑張れ
「死」に比べれば、この世に大した不幸はない 哲学人生は意外と幸福だったかも? | 中島義道の人生相談道場”悩ましき哉、人生!” - 東洋経済オンライン

コメント

(著者)
No.6 (2014/04/09 23:41)
>>4
コメントありがとうございます。

いいですよ、アドラー心理学。最近この本でやっと注目されたとのことなので、それ以前はさほど有名ではなかったようです。なんせ非常に「フツー」のことを書いてますから。それがこれだけ受けるってのは、悪い意味でのアカデミックな権威が消えたのかもしれません。
アドラー心理学……少なくとも『嫌われる勇気』では、「どこまで自分の問題か判別する方法」を非常に明確に書いています。「最終的に誰がその判断の責任を負うか」です。そう考えると非常に世界は明確になります。……って、難しいですけどねw
暴力的な思考停止で判断をする人たちに苛立ちがあるのは、僕も同じです。でも、そういった人たちが求めているのは「権威での屈服」なんですね。相手を屈服させるための、思考停止という暴力。……これも『嫌われる勇気』に書いてあったことを参考にしてます。あの本、無敵ですねw
なんだか僕の考えが全部あの本に吸収されてる気がして逆に悔しくなりそうですw
近視 眼
No.7 (2014/04/23 20:59)
今読ませていただきました。
感想としては「私の考え方は間違えてはいなかったのであろう」でした。
私は長い間周りに敵しかいない孤独にさらされたことがありまして、そのときに自分とは、他人とは、常識とは何であるのかを考え続けたことがありました。
その結果出した結論は「周りに左右されない変人たれ。誰かを助けられる優しい変人たれ。常識に疑問をぶつける馬鹿であれ。」でした。もちろんこれだけではないのですが、まだ矛盾があったりするので書くのは控えさせていただきます。
そんな結論を出した私なのですが、これを今の社会で行動に移すことがいかに苦しいことか最近気づいてきました。
周りに左右されないと「協調性に欠ける」とみられて疎まれる。常識に疑問を投げかけると「常識は常識だから」「これが社会のルールだから」という答えでしか取り合ってもらえない。まあさすがに優しくして悪い目で見られることはありませんが。
この... 全文表示
(著者)
No.8 (2014/05/25 15:25)
>>7
ありがとうございます。返信完全に忘れてましたw申し訳ないです。

「周りのことを考える」って、お題目のように言う人たちってめんどくさい。結局は個人個人相手にテキトーにやってれば、テキトーに世界は周ってるような気もします。あと、実存主義的な考え方って「甘え」なんじゃないかと僕自身思ったりすることもある。ナンバーワンにならなくてもいい、ホントか?その一つの解答がアドラー心理学の内容なのでしょうが、時間を経て、やっぱりなお分からなくなってます。また読み直さねば。ただ、「課題の分離」って考え方自体は今も昔も自分の中でしっかり顕在化してます。俺の問題か、俺の問題ではないか。これだけ考えてりゃ十分なのかもしれませんね。あと「原因論」ではなく、「目的論」で考えること。これもしっ... 全文表示
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事