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会話の描く輪郭と速断について

2014/02/13 18:32 投稿

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  • グレゴリー・ベイトソン
  • 精神の生態学
  • アラン
今回もまたベイトソンの精神の生態学から。
DAUGHTER パパ、輪郭はどうしてあるの?
FATHER 輪郭? 輪郭って、あるのかね。どんなものに輪郭があるんだ?
D 全部よ。絵を描くとき、どんなものでも輪郭を描くでしょう? それ、なぜなのかなって……。
F 羊の群れはどうだ? 一頭の羊じゃなくて群れ全体。それにも輪郭があるか? 「会話」はどうだ? 
D もう!会話の形なんて絵に描けないでしょ? 「もの」よ、あたしの言ってるのは。
F いや、お前の言っている意味を確かめようと思ってね。「ものを描くときには、どうして輪郭を描くことになるのか」という意味なのか、それとも、描く描かないに関係なく、ものには輪郭があるという意味なのか。

(中略)

D 会話にも輪郭があるって言ったでしょう? あれ、どういうことなの?この会話にも輪郭があるのかしら。
F あるともさ。ただ、終わらないうちは見えない。輪郭というのは、内側からは見えないものなんだ。だって見えてしまったら、どうなる?ふたりでこれから何の話をするのかまで、みんな決まっていたとしたら。それじゃ、おまえもパパも、二人を一緒に合わせたものも、予測可能な生き物になってしまうよ。機械と一緒だ。
D パパの言うこと、わかんないわ。物事はいつもくっきり見えるようにしておかなくちゃいけないって、言ったばかりなのに。輪郭をぼやかす人がいると怒るんでしょう? なのに今は、予測がつかない方に、機械みたいじゃない方に、味方してるみたい。それとね、会話が終わらないと輪郭が見えないのなら、その会話がくっきりクリアなものかどうかだって、わからないわけじゃない。だったら何とかしようと思っても、できないわよ。
F そうさ、何もすることはできない。でも、何か”したい”と思うのか? この会話に。

引用文では会話が終わらないと輪郭が見えないと書いてありますが、それでは会話を途中で中断させたらどうなるでしょう? そこにも輪郭はあるはずです。中断というのはいわゆる区切りです。つまりこの場合、無意識は輪郭を形成し、意識はそれを区切るということになるのではないでしょうか(あるいは意識とは区切られた輪郭そのものなのではないでしょうか)。輪郭は関係の形成にかかわり、それを区切るということは夢という関係と関係で繋がったページの切れ端を見ていることになるのではないでしょうか。

ここらで終わりにしようと思ってましたがもう少し続けます。

現代における会話の役割」で会話は自分を客観視すると言いましたが、これは輪郭を観るということになるでしょう。ということは、瞬間的判断力とは瞬時に区切ること、つまり、瞬時に輪郭を観て何かアクションを起こすことになるでしょうか。

だとすると、もし会話しているなかで空想していれば、それは常に輪郭を観察していることになりそうです。引用文では中からは輪郭は見えないと書かれていますが、おそらく輪郭を表象できない状態にある時には見えないということなのだと思います。

会話しながら空想というのもおかしな話ですが、要するに、会話をしながら何か別のことを感じ取るのです。「この言葉は適切じゃなかったな」とか「俺いいこと言ったな!」とか、こんな感じで何か別のことを感じ取り、それを判断材料にして瞬時に次の行動に移す能力。これが瞬間的判断力です。

アラン著「定義集」から引用。
速断 われわれが十分吟味しないところから出てくる誤謬の一原因。そうすることができないこともあれば、それを欲しないこともある。後者はわれわれが自分を確実なものと信じている時、あるいはほかの者に先んじようとする時、あるいは単に、不意をつかれて浮かんできた最初の考えに飛びつくときに起こっている。
速断がここでいう瞬間的判断です。第一印象なんかは速断を引き起こす要因になるでしょう。

私たちは問題に立ち向かう時はいつも不意をつかれます(新しいことを認識します)。そこで吟味するかしないかの判断を強いられ、しなければ速断をすることになります。

私たちはいろんな判断をしていますが、速断せざるをえない状況というのがあります。代表的なのが会話です。会話はいちいち考えながらするわけにはいきません(うーんと考えることはありますが)。いちいち考えながら会話するということは慣れない言語で会話するようなものです。慣れているからこそ会話のようなスムーズで自然な流れができあがるのです。

輪郭を表象するには速断(というよりも瞬間的な認識)を強いられます。なぜなら、輪郭は常に変化しているからです。固体のように一定の輪郭を保つ物もありますが、それはさておき、今回は生の輪郭を扱います。

この生の輪郭は未来から現在へ、現在から過去へと瞬時に移り変わっていく貴重な体験です。この輪郭を認識することこそ人生だと自分は思っています。瞬間瞬間を味わうのが人生というのならまさにそういうことでしょう。

認識する輪郭は速断によって異なります。輪郭から自分の得たい情報を引き出すにはそれなりの訓練が必要です。訓練といってもやり方は簡単です。ありのままに感じたことを心の言葉にしてみること、そしてこれを繰り返し、それについて徹底的に考えることです。アランは速断を少しネガティブに捉えているようですが、現代では速断しなければならないことが多々あり、ネガティブに捉えて速断を軽視するよりは、むしろ速断を重視し、速断について検討し、自分のものにする方が建設的だと思うのです。

もし速断を論理的にかつ適切にできるとしたらすごいことだと思いませんか? 何がすごいって、経済的な思考ができるのです。このようなエコロジカルな思考こそ、現代に必要なのではないでしょうか。


【追記】
輪郭が内側からは見えないというのは、例えば動画をDLする時にDL仕切らないとどんな動画か見れないようなものですね。

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