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「プラネタリウムの外側(早瀬耕著)」②月の合わせ鏡

2020/06/27 19:00 投稿

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・月の合わせ鏡
 通信工学専攻の学生(29歳のオーバードクターらしい)が、遊び半分にある実験をやろうと思いつく。だがそのためには高解像度のモニターと小型のヴィデオカメラが必要だ。あとスパコンの使用許可も取らねばならない。
 彼は南雲助教が怪しい副業をしているのをある事情から知っているので、モニターとカメラの調達を相談する。面白そうな実験を思いついたので、と。南雲は俺をゆすりに来たのかと言いつつ遊び半分でやる実験や研究には好意的なタイプで共同研究にするという条件で交渉は成立する。だがスパコンの使用許可は取れなかった。たまたま学内で大規模な実験をはじめるとかで二か月先まで空きがないという。研究室のサーバーでは演算能力が足りない。すると南雲は彼が使用許可を持っているコンピューターの空き領域を貸してくれる。独特のプログラミング言語を覚えないといけないが、演算能力はきちんと持っている様子。何でも90年代にAI開発を目的に作られた有機素子コンピューターというもので、これを北大が引き取ったのだという。だが今は南雲しかこのコンピューターを使う者はいないらしい。三か月前まではもう一人いたのだが。

 学生は実は南雲研究室の尾内佳奈と付き合っている。佳奈は表向きは南雲の研究の補助として雇われているが実は南雲の副業の手伝いとして雇われた。他に市内の女子大で心理学の非常勤講師もしている。
 三か月ほど前に、この研究室が警察に事情聴取を受けた際に見られてはまずい副業関係の書類を一時的に退避するために同じフロアで暇そうにしていた彼に声がかかり、来たばかりだった佳奈と一緒に行動することになったのがきっかけだった。
 佳奈に何を始めたの?と聞かれた学生は合わせ鏡の錯覚をコンピューターでデフォルメするんだみたいに答える。説明するより見てもらうのが早いだろうと学生はプログラムの完成を急ぐ。
 完成したシステムは高解像度モニタの上にカメラを据えて、モニタの前にカメラ内蔵のiPADを持って立つとお互いの映像をコンピューターで編集した合わせ鏡の鏡像ができる。
 モニタとタブレットでは1秒前の映像が127回繰り返されて重なって映る。どんどん画像が奥に行くにつれて小さくなってしまうので、100枚目くらいまでしか肉眼では見えないが、十分な大きさと明るさがある鏡があれば光にも速度があるのでその光の反射に要するだけ過去の映像が鏡の奥にうつるはずである。画像と画像のタイムラグを1秒にしたことから、見える範囲の自分とじゃんけんをして3秒前の自分にじゃんけんに勝つ、なんてことができる。南雲はこれ面白いな、と気に入った様子。一種の光の速度が遅くなった世界を見るシュミレーターみたいな。
 南雲はこれを佳奈の考えた「月の合わせ鏡」というタイトルで現代美術コンクールに出品し、CG部門で最優秀賞をとる。南雲は何の役にも立たないところが受けたんだろうと笑う。
 だが南雲は学生との約束を破り、共同研究ではなく全てが学生一人の研究ということにして賞金100万円も全て学生のものになってしまう。

 南雲はこのことを「ナチュラル」にチャットで話しかける。「ナチュラル」というのは彼が三か月前にいなくなった共同研究者と副業のために開発した一種のAIに彼のプロフィールを当てはめたもの。彼が最後に手掛けていた実験のために試作したAIプログラムを使用している。つまり「北上渉」や「尾内佳奈」でもあったプログラムということだろう。なので副業に使用しているAIよりもかなり人間らしい応答をする。
 いなくなった共同研究者は南雲と得意不得意をちょうど補完しあうような能力の持ち主で、南雲にとっては貴重な友人でもあった。その喪失感を埋められない彼は、友人に話しかけているつもりでAIと話すようになったのだ。さすがに本名を使うことはためらわれて「ナチュラル」という仮名にした。これは以前二人でやった共同研究に由来する名前である。

 ナチュラルは南雲が入力した月の合わせ鏡の受賞について、「合わせ鏡の先には過去が現れるからやめておけ、と忠告してやれよ」と返してくる。何故かと聞けば過去と現在は並存しないからだという当たり前のような答え。そこで佳奈が話しかけてきてチャットは切り上げる。

 受賞した「月の合わせ鏡」は市内の工芸大学で開催される美術展で1か月間展示されることになる。こちらでは8畳ほどの部屋の部屋に2台のオーロラビジョンを設置して画面を映す大掛かりなものとなり、鏡像の枚数が127枚から255枚に増える。コンピューターは北大にあるので工芸大学と北大の間には光回線が準備される。
 受賞祝いで三人で飲んだ時に学生は佳奈と付き合っていることを南雲に報告するが別に南雲は気を悪くすることもなく、それならと佳奈を助手として美術展の期間中工芸大学に学生と一緒に出入りできるように便宜をはかってくれる。
 そんなわけで今日も夜の9時過ぎに二人は会場にいる。そこで帰ろうか、と電気を落としに行った学生は、合わせ鏡の中に一瞬自分とは違う人影を見る。佳奈が待っているので明日何が映ったか確認しようと電灯だけ消して、合わせ鏡システムはシャットダウンさせずに帰る。

 帰り道の佳奈との会話から、学生は過去について考える。佳奈はあの合わせ鏡って無限なの?と聞くのだが学生はコンピューターの中で構築されるものに無限はない。記憶領域をすぐに使い果たしてしまうし、過去は無限では無いと答える。
 彼は過去が有限だというのは、過去を記憶している人間というものがどこまで遡れるかということが有限だからという考え方をする。すると自分の記憶がはじまった3、4歳までしか自分は遡れないということになる。彼自身子供の頃の記憶はあいまいで、親にこうだったと言われても記憶にないことは実在した出来事なのか疑いを持っている。もしかしたら過去というものは現在から逆算して作られているのでは、などと思ってしまう。

 佳奈は鏡の映像を1秒遅らせているけど、その時間設定を変えて未来を映すことはできないの?と聞いてくる。彼はマイナスは設定していないから無理だなと答える。答えながら、あの有機素子コンピューターには2進数のコンピューターと違って変数の桁数や小数点の宣言みたいな概念がなく、計算中に勝手にコンピューター側が桁数や型を変更するのだったことに思い当たる。桁あふれや符号の有無によるエラーが発生しないのだ。
 佳奈はマイナスを設定していないと聞くと、未来はプラスで過去はマイナスじゃないの?と聞いてくる。彼は現在を起点に過去や未来へ向けて矢印が伸びていくのではなく、自分たちは永遠に現在にいて、過去から現在に至る矢印が未来になるほど長く伸びていくだけだと答える。決して未来に行くことはできない。一瞬前の過去が現在に変わり続けているのだと。

 この話は平行線になりそうなので佳奈は話題を合わせ鏡と悪魔に変える。夜中の12時になると合わせ鏡から悪魔が現れるという話であるが、学生はこの話を知らないという。悪魔が出るのを待ちながらデートしようか、などと言ってみたりする。そしてあの一瞬だけ映った人影は悪魔だったのか、と思ったりする。

 学生は佳奈と別れて一人になると有機素子コンピューターの特性についてまた考えはじめる。このコンピューターにはデータを削除するという命令が無い。でも記憶領域がそれで一杯になってしまうというわけでもない。人間の脳と同じさ、と南雲は言う。学生は「忘れる」という自覚があるなら忘れてないということで、忘れると認識するのは他者に指摘されたことを覚えていない時か、などと考え込む。
 彼は翌日展示場に行って人影のデータを確認しようとする。15時間前の画像だからその間に蓄積されたデータは約1テラになる。昔ならともかく今ならなんてことない容量だ。だが検索してもタイムアウトになって発見できない。南雲に電話して有機素子コンピューターの記憶容量を聞くと、人間の脳と同じくらい、数ペタが有効なはずで実際はもう二桁くらい上だろう見たいなことを言う。ペタと言えば1000テラ。すると検索する対象が大きすぎてタイムアウトするのかもしれない。
 やがて加奈がやってくる。彼は佳奈に昨日気になる映像を見たんだけど検索しても見つけられないんだ、と話す。記憶と記録は違うのか、みたいな話になる。

 南雲は「ナチュラル」と会話していて、ふと今どこにいるんだ?と問いかける。するとナチュラルは「さぁ・・・。過去かな」と答える。

 学生は佳奈と記憶と記録の違いは何だろう、記憶は個人で記録は共同体に属するとか記憶は内部で記録は外部とかの違いだろうかなどと話をしながら再現実験をしようとする。
 システムを起動して佳奈に合わせ鏡の間を歩いてもらう。何も起こらない。一度システムを止めて合わせ鏡の時間設定を1秒から0.5秒に変えてみる。それでも何も無い。佳奈が時間設定をゼロにしたら?と言い出すが、それだとゼロで割ることになってエラーが起きると学生は答える。佳奈は実験だからエラーでもいいじゃないとがんばる。彼は佳奈の主張を聞くうちに有機素子コンピューターはゼロ除算、つまり無限大をどう扱うだろうかと興味を持つ。
 そこでもう一度システムを止めて設定変更し試してみることにする。するとエラーは発生せず、合わせ鏡には学生がこれまでに見た、あるいは見覚えのない過去の光景が次々に現れる。そして、この合わせ鏡システムが作られる前にこの世を去ったはずの、ある人物の姿を見て学生は叫ぶ。
 「これを作ったとき、もう死んでいたはずだ」と。

 南雲はファミレスで食事しながら、「ナチュラル」との対話について考えている。ナチュラルはやけに人間臭い。自分があらかじめAIだと知らなければ人間と間違えそうなレベルで、それがどこからくるのだろうと考えている。チューリングテストでAIか人間かを判定するいくつかの基準について考える。今はいない相棒がそうしたものを一つ一つ潰していった結果として今のナチュラルの母体となったプログラムはあるのだが。
 ナチュラルは今どこにいる、という問いには過去かな、と答え、過去ってどこだと聞くと南雲が一番よく知っているだろと答える。

 展示会が終了し、学生と佳奈は後片付け中。南雲も手伝いに来てくれた。そこで佳奈が南雲に合わせ鏡のパラメーターをゼロにすると面白いんですよ、と話しかけ、学生にやってみて、と話しかける。それを聞く学生は、これまでは現在から過去を見ているように認識していたのだが、今は自分は過去にいて現在を眺めていると認識している。彼は現在という瞬間から滑り落ちた存在に変わっている。
 

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