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映画「東京兄妹」

2020/05/23 19:00 投稿

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・昔劇場で見た映画。VHSは出たんだけど、何か理由があるのかDVDはずっと出なかった。20年近く過ぎてようやくDIGという復刻レーベルみたいなので出た。

 舞台は(たぶん)1995年の東京。豊島区の雑司ヶ谷、鬼子母神の近くの小さいながら門がある一軒家に静かに暮らす兄妹がいる。特に語られないけど両親はかなり前に亡くなった様子。この家は持ち家なのだろうと思う。
 それからは兄が親代わりになって妹を育ててきたようで、映画がはじまった時点では妹は高校三年生の様子。
 兄は都電荒川線で鬼子母神前駅から大塚まで行って、そこで乗り換えて神保町の古書店まで通っている様子。妹はやはり荒川線でどこだかわからないけど高校に通い、学校が終わると真っすぐ帰って来て近所の商店街で買い物をし、兄と二人分の夕食を作る。
 兄は夫のように、あるいは父親のように働きに行って、妹は妻のように、あるいは母親のように家事をする。そんな毎日が淡々と続いてきた様子。
 兄は冷ややっこが好物のようで、妹は毎日のように鍋を持って個人経営の豆腐屋に買いに行く。兄はこれにかつをぶしをかけたものをつまみにしてビールを飲む。映画ではわからないけどパンフによれば父親も冷ややっこが好物だったらしい。
 この近辺には昭和30年代を思わせるような個人商店ばかりの商店街が健在である。
 兄妹の暮らす家も戦前の昭和のような、もしかしたら明治あたりからそこにあるような佇まい。風呂はタイル貼り。エアコンは無いようで夏は窓を開け放ち、うちわを使う。うちわ置きなんかがあったりする。

 この時間が止まった小宇宙のような二人だけの世界。でも妹が卒業し、どこの駅かわからないけど荒川線の駅近くのDPEショップ(写真のフィルムを預けて現像してもらう店。昔は駅構内とか駅前に必ずあった。こういう店もこの映画に登場するような小規模なものは今は見なくなった)で働くようになり、そこによく来る自称写真家らしい青年と付き合うようになって外泊なんかもするようになってくるとちょっと壊れてくる。

 兄は同じ職場で働く恋人がいたのだけど、妹が二十歳になるまでは結婚できないと言っていて、結局適齢期を過ぎつつあるくらいの年齢の相手はそれを待てず、兄と別れてさえないずっと年上の中年男と結婚してしまう。兄はそこまで犠牲をはらって妹が巣立つまでこの世界を守ろうとしていたみたいだけど、親の心子知らずで妹はきちんと手順を踏まずに強引に出て行ってしまう。
 妹がいない家はどこか寂しく、兄は帰宅しても張り合いがない。これまでは家でしか飲まなかったビールを居酒屋で飲んで悪酔いしたりもする。

 だが妹の相手の青年がきちんと描かれないので原因はよくわからないけど急死してしまう。妹は居場所が無くなって戻ってくる。兄は何事もなかったかのように迎える。
 以前と同じような二人の生活がはじまる。兄は古書店へ、妹はDPEへ。
 バルサンを焚いてその間二人で外食に行ったりする。

 だがある日、妹の待つ家に帰宅した兄は、門をくぐろうとしてふと立ち止まり門を閉め、そのまま家に入らないで映画は終わる。

 このラストシーンの解釈がよくわからなかったのだけど、パンフの監督のインタビューでは
この平凡な毎日はいつか終わるんだ、と門の扉を開けたとたんに気付いてしまった兄が、妹への愛情の強さ故に門を閉めたのだろう、おでん屋に一杯やりに行ったのかもしれない、みたいなことが書かれている。

 個人的に付け加えるならば、きちんと妹を送り出して終わらせるための具体的な計画みたいのを考えはじめたのかなと思う。

 荒川線が非常に大きな役割を果たすような感じで、場面転換する度に登場するような。
サンシャイン60みたいなビルのある夜景を背景に走る様子や、町を見下ろす俯瞰映像の中、建物に見え隠れしながら走っていく様子が映る。こういうのは訪問者としてその地に行ってもなかなか見ることができない、その地に生活している人でないと見れない光景かなとも思う。
 
 映画の前半はどんな出来事があったのかよくわかるんだけど、後半は示唆されるだけではっきりは示されない。妹は谷中の初音小路の近くで同棲していたようなのだけど、相手の青年が泥酔する様子が映るとすぐ葬儀の場面になってしまう。
 青年は写真家と称していたがプロというわけではなく、フラフラしていただけの人間だったようにも思える。
 いずれにしても兄妹にとっては過ぎてしまえばたいして大きな出来事ではない。
 一時的に波紋はたつけどまた水面が静かになるように、妹は戻ってくる。
 兄にも妹にも将来の計画とか夢とかは感じられず、淡々と日々を送るだけのようにも見える。それが大切なようにも思えるし、寂しいようにも感じる。

 兄が働いていた古書店は行ったことあるな。今もあるかは知らないけど。

 東京の山手線の北側、雑司ヶ谷や大塚から駒込、巣鴨、日暮里や谷根千あたりにはこんな感じの風景が今も残っているのだろうけど、映画が発表された頃からはそれでもだいぶ変わってしまっているのだろう。コロナ終わったらちょっと行ってみたい気も。

 日々は静かに続いていて、毎日変わらないようでいながら少しずつうつろっていく、みたいな作品でした。

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