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「多聞寺討伐(光瀬龍著)」

2020/06/08 19:00 投稿

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 光瀬さんの時代SFとでもいうべき作品を集めた短編集。

・追う
 文化七年、浅草南馬道竹門あたりに25、6歳の男が天上より降りてくる。男は京の公家侍の身内の者で伊藤安次郎と名乗る。江戸に来て愛宕山に参詣に行ったところ、当然そういうことになってその間の記憶が無いという(ここまでは滝川馬琴の「兎園小説」というのからの引用らしい)。
兎園小説は当時の文人たちが集まってできた奇談集みたいなものらしく、上の話も実際に記録として残っている様子。以下のHPであらましが紹介されている。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~benchang/

 この地域を受け持つ目明しの徳次郎はその頃は先の捕り物で頭に重傷を負い寝込んでいたが、ようやく回復したので同心の西田と話してその天から降りてきたという安次郎という若者にお役目として事情を聞きに行く。が身元も確認出来て特に疑わしいことは無い。
 その安次郎の出現の瞬間というのは実際どうだったのか、また聞きの噂ばかりではっきりしないが、ついこの間殺されたばかりの徳次郎の兄貴分で留吉という男と、その手下みたいな平助という男が出現の場に立ち会っていたらしいということがわかる。兄貴分の仇を討ちたい徳次郎は手がかりを調べて回る。すると平助の女房が、夫が死ぬ前に言っていたことを思いだす。安次郎は天から落ちてきたのではなく、飛んできたたるみこしのようなものから出てきたと言っていたらしい。留吉と平助はそれを見たから殺されたらしい。
 だがそれ以外は特に手がかりがない。徳次郎は草履の鼻緒を切ってしまい、近所に住んでいる顔見知りの道具屋、七造の家に代わりを借りようと立ち寄るが、ここで七造がたるみこしのようなものをいじっているのを見てしまう。

 ということで、七造は時間犯罪者、安次郎はそれを追う時間局員であったらしく、留吉と平助は彼らの持つ光線銃のようなもので殺されたということらしい。
 頭の怪我のおかげでテレパシー能力を持つようになった徳次郎は二人を捕まえようとするが果たせない。

・弘安四年
 弘安四年(1281)といえば弘安の役があった年。文永十一年(1274)の文永の役に続く二度目の元寇の年になる。
 既に文永の役の経験から日本軍は石垣を築くなどして守りを強化しており、筑前、豊後、肥前、壱岐対馬、薩摩、大隅、日向などの武士が蒙古襲来に備えている。既に敵船団が東路・江南二手に分かれ、それぞれ高麗の金方慶、南宋の范文虎という将軍が率いて出発しているという。ここで鎌倉幕府は関東の武士団も戦地に派兵する。
 源氏に古くから仕えた豪族に畠山党、児玉党などと呼ばれる一群があり、畠山党の高城安達之介の厄介になっている北島勘解由左衛門も出陣することとなった。北島は高城の客分、いわゆる食客のような立場だったらしい。高城一族の血縁の者や他郷からの合力の武士も大勢加わっている。荷造りも終わり明朝出立という晩に、勘解由左衛門は自分の荷物を深夜密かにあばき、愛刀の星引丸という太刀を奪おうとしている一団を見つけて誰何する。
 見れば相手はこのたび侍大将を務める児玉三郎速雄。児玉党の名門である。勘解由左衛門は素早く星引丸を取り戻すと児玉三郎に訳を聞くが、三郎は鞘をよこせの一点張りで会話が成り立たない。安達之介が割って入ってその場は収まるが、結局三郎は気鬱の病として処分され、遠征からも外される。侍大将は急遽名栗の弥陀六というものが代わって一同は出立する。
 
 そして元軍との戦いがはじまる。博多湾の志賀島というところが戦場になり、ここから内陸につながる浅瀬が激戦場となる。勘解由左衛門もここで戦っている。従う郎党は次々に討ち死にして、自分も死を覚悟する。押し囲まれて気を失ったようで、目覚めると異形の者が眼前にいて話しかけてくる。悪意は無いらしく、どうも星引丸の鞘に含まれるウラニウムが彼らの宇宙船の機能を狂わせているので片づけてくれというのだ。先日の児玉三郎の件も彼らの仕業らしい。勘解由左衛門は快く応じ、彼らの宇宙船は去る。去り際に発生した突風が、海上にあった元軍を海の藻屑に変える。

・雑司ヶ谷めくらまし
 天明の時代。ふな次は雑司ヶ谷あたりを縄張りに持つ目明しだが、住んでいる長屋は廃屋同然に痛んでいて雨が降れば軒先は泥沼に代わるというもの。彼の面倒を見てくれている同心・富岡が新井の方に新しい長屋を紹介すると言っていて、妻のおちかはすぐにでも移りたがっているのだが、ふな次はそれに見合う手柄をたててからだと思っている。好意の受け方はむずかしいのだ。
 ふな次は平吉と安二郎という二人の若い者を使っている。その二人が目黒の不動尊に出ている、うち源という幻術使いの評判を聞いて見に行くと、関ヶ原の様子がまるで自分たちもその場にいるような臨場感で見えたという。うち源は客のリクエストに答えるそうで、歴史上の出来事であればたいてい見せてくれるらしい。

 ふな次の師匠筋にあたる、江古田の茂十という親方から手を貸してほしいと使いの者が来て、すぐにふな次は出かけることにする。茂十の縄張りである沼袋の部落で焼き討ちがあり、村人全員が殺されたらしいという大事件である。周辺の名だたる親分衆が呼び集められているらしい。村人は百姓ばかりだが女子供に至るまでどれも刀や槍で惨殺されており、18軒の家は全て焼かれている。油を撒いてのことでよほどの恨みがあったのだろうと思われる。
 焼け跡を調べるうちに、この村の住人はもとは名のある武士の出だったのだろうとわかってくる。そのためか、気位が高くて周囲の村とはあまり付き合いが無かったという。

 焼け残った書状をひそかにおちかの兄で啓太という男に見てもらう。ある塾の内弟子をしている学問好きの男である。彼が言うには、この村は稲葉仲衛門という武士の子孫が作ったらしい。稲葉は焼け死んだと伝えられている豊臣秀頼の遺体を運び出して遺体の首を落としたという男。これで家康からは褒められたが仲間内では評判が悪くなり、大坂方の仕返しも恐れることとなった一族だという。
 平吉の着物を手入れしていたおちかが、血のシミや裾に刺さっていた矢の折れたものを見つける。平吉は関ヶ原の現場にいて、気付かないまま返り血や流れ矢を浴びていたのではないか。幻術などではなかったのではないか、と思ったふな次は平吉と安二郎を連れ、うち源を調べることにする。そこで彼らは暴れ牛に襲われたうち源が時間を巻き戻して避ける様子を体験する。
 うち源の正体は平賀源内。大坂夏の陣で秀頼を守護していた布施大三郎の兄にあたる平賀勝治郎の子孫だと名乗る。彼が夏の陣に敗れた布施大三郎の軍勢をこの天明の時代に送り込み、主君の仇をとらせたのだった。
 うち源はタイムマシンらしい小箱に手を伸ばすが一瞬早く平吉がこれを蹴っ飛ばし、ふな次は源内をつかまえる。この手柄は冨岡の扱いでは無かったが報奨金が出て、ようやくふな次は新井の長屋に移ることができた。
 平賀源内は大伝馬町で獄死したという。

・餌鳥夜草子
 竹次はばくち場の用心棒みたいなことをして生きているはみ出し者だが、御用の筋にも顔が利く。同じ餌鳥町に住む岡っ引きの松蔵とは日頃から親しい。
 その竹次と松蔵が仁兵衛という老人の家に行く。仁兵衛は中気で倒れたことがあり、同じ町内の者がなにかと様子を見るようになっている。仁兵衛は元気で二人を見ると悪態をつく。こちらも仁兵衛にまだくたばってなかったか、みたいなことを言う。
 仁兵衛は飾職人で座っての仕事。今日も背中を丸めて金の薄板を一生懸命細工している。聞けば秋葉の花岡聖天のご神体を納める容器に使うとかナントカ。金の薄板は客からの預かりものらしい。松蔵はこの金の薄板を見て目の色が変わる。

 竹次には女がいて常磐津の師匠をしている。だがその文字春を訪ねたところ、どうも様子がしい。男ができやがったなと直感するが相手は何も言わない。
 賭場の仲間に話しても仕方がないが話してしまう。するとどうも文字春の相手が誰か知っているらしい男がいる。そいつを締め上げようとしたところに仁兵衛が殺されたとの知らせ。
 貧乏で知られる仁兵衛を物取りが襲うはずもないし、仁兵衛は口は悪いが町内の人間皆から慕われている親父みたいな存在で恨みとも思えない。仁兵衛は何者かに呼び出されてどぶの中で死んでいたらしい。
 竹次は役人ではないのだが、顔で仁兵衛の仕事場に入り込んで調べてみる。と、例の金の薄板が見つからない。花岡聖天にも探りを入れるが、ご神体の容器など頼んでいないという。

 当然調べに立ち会うはずの松蔵が遠出とやらで姿を現さない。そして仁兵衛を松蔵がどこかに連れ出したという。竹次は文字春を訪ねるが留守。だが勝手に上がり込む。そして文字春のんすの中から金の薄板を見つける。竹次は文字春の家を見張ることにする。
 やがて松蔵がやってくる。手元から閃光のようなものを照射して何かを探してる様子だが、そこに文字春が戻ってくると、二人は竹次の知らない単語を叫び合う。カコとかミライとかが聞き取れる。二人は閃光を浴びせ合うように戦っている様子で、家は燃え上がる。
 顔見知りの二人の事、竹次は思わず仲裁に入る。だがどちらの側に就くかと言えば文字春だ。話の様子では文字春が仁兵衛を殺したらしいのだが。そして松蔵が文字春の間男だったらしいのだが。文字春は松蔵を時間局員と呼んでいる。竹次は思わず松蔵に飛びついて首を締め上げる。松蔵が動かなくなると、文字春は銀色の箱を取り出して何かをする。竹次の意識は薄れていく。

 話の最初のシーンが繰り返される。竹次と松蔵が仁兵衛を訪ねるところから。だが仁兵衛が作っているのは淀橋抜け弁天の調度品。金の薄板ではない。松蔵も何も気にしていない。
 文字春を訪ねれば、どこも変わったところはなくていそいそと迎えてくれる。

 竹次は何かが違ってしまった、と思いふけるが、文字春はこれでいいのさ、仁兵衛も無事、松蔵も無事、あんたもわたいも無事。そんな世界に移って来たのさ、みたいに言って松蔵を抱きしめる。

・多聞字寺討伐
 黒羽郷玉上(たまかみ)部落というところに多聞寺という寺があり、ここにいつしか多聞寺衆なる怪しげな一団が巣くい、その手先となった男たちが周囲の村人を集めては博打をする。いかさまを指摘すると容赦なく首を切り落とし、その死骸に自分の血を掃除をさせるという。
 隣の黒羽部落の者は触らぬ神に祟り無し、と耐えているが、次第に黒羽部落の者も行方知れずになるようになる。これが公儀にも聞こえて代官所から50人近い武士団がやって来る。討伐隊だ。だが彼らは突然同士討ちをはじめ、混乱したところに玉上部落の百姓衆が鋤や鍬で殴り込んでくる。腕利きの者を揃えた討伐隊はあっという間に壊滅する。巻き添えになる形で黒羽部落の百姓衆も大勢殺される。
 わずかに6人が隣の川辺部落にたどり着く。だがうち1名は気が触れている。指揮官の稲垣九郎衛門は村人に報償をはずむので共に戦ってくれと助力を頼むが誰も応じない。大勢の仲間を失ってこのままおめおめと引き上げるわけにはいかないのだ。報償を一人6両まで吊りあげるとようやく二人の男が応じる。だがどちらも乞食で、しかも一人は箱車に乗ったいざりだった。棄次と三七と名乗る。ふざけるな、と居合の名人が斬りかかるがあっさりかわしてみせる。というか確かに斬ったのだが何ともない様子。身分いやしき者など代官所が雇えるか、と抵抗を感じつつも背に腹は代えられず、この二人を雇う。
 二人は自分たちだけで行くというがプライドがそれを許さず九郎衛門たちも同行する。部落に着くと百姓たちがわらわらと走り出てきて襲い掛かってくる。腕利きのはずの侍たちも技を使う余裕もなく打ち倒され、疲労困憊していく。いつの間にか百姓たちの人数は膨れ上がり、2、300人に達している。事前に聞いた村の人口より多い。そして九郎衛門は気付いてしまう。今斬り倒したのは、先ほど斬り殺したばかりの男だったと。彼らは死人と戦っていたのだ。気付いた時には九郎衛門も死んでいた。
 生き残ったのは世耕四郎次郎という武士と道案内に来た目明しの徳二郎の二人だけとなる。棄次と三七はこの間何もしていない。そして村人も彼らには襲い掛からない。村人には二人の姿が見えていないらしい。
 四郎次郎と徳二郎は棄次に助けをも求めると、自分たちのそばにいればあいつらには見えねえよ、と一緒に来るように言われる。

 山門が開き、三人の多聞衆が姿を見せる。ここで超能力合戦のようになって、科学兵器合戦のようになって、三七をその場に残した棄次は山門に飛び込んで時空を超えた戦いの末に三人の時間逃亡者を死体に変える。
 三七からあとは処理班にまかせろとよ、と聞かされた棄次は次の任務に備えて長い待ちの時間に入る。時間局員は待つのも仕事なのだ。

 以上5編が収録されている。「あとがきにかえて」という光瀬さん本人の文章が添えられていて、SFファンになるより先に時代小説ファンであったような読書遍歴が語られている。
 記憶に残る作家・作品として
三上於菟吉「雪之丞変化」、直木三十五「南国太平記」、土師清二「砂絵呪縛」、富田常雄、子母澤寛、白井喬二「阿地川盤獄」、佐々木味津三「むっつり右門」、大佛次郎、吉川英治「宮本武蔵」「鳴門秘帖」、野村胡堂「銭形平次」、村上元三「佐々木小次郎」「新選組」、山手樹一郎「桃太郎侍」、長谷川伸「戸並長八郎」、井上靖「戦国無頼」などがあげられている。こういうのを少年時代から大学を出るまでに読んだらしい。

 いろいろあってSF作家として世に出たものの時代小説への興味は消えず、自分でも描くようになったという。ここでの収録作品は時代SFだけど、光瀬さんにはノンSFの時代小説もある。特に江戸中期の町人たち、裏長屋に住み暮らしたむろする人たちが好きだという。
 SF作品を書きたいのではなくて、そうした人の暮らしを描写したくて書いたのかな、と思わせるところがある。
 その時代の下級武士は武士道や奉公の気持ちなどさらさらなくて、純朴で粗野で野卑で助平で貧乏で楽天的だったのだけど、今はずいぶん間違って伝えられているとも書いている。
 捕物帳そのものの存在や、御用聞きや目明しという呼び名の呼び方なども通説では東西で分けているけど、東北でも関西でも目明しと呼んで江戸だけが御用聞きだったと書いている。
 またそういう仕組みが成り立ったのは住民の自治意識が強力だったからで、別にお上から強要されてのことではなくて、自分たちの町は自分たちで守るという意識は強かったからこそ治安は決して悪くなかったのだとも。江戸中期の武士の斬り捨て御免などは後世の創作だとも書いている。おそらくそうした資料は読み込んでいたのだろう。

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