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「暮らしの中の日本語(池田弥三郎著)」②語源散歩c

2020/05/16 19:00 投稿

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旦那 
 旦那というのは外来語らしい。外来語というのはすっかり同化して日本語のつもりで使っているけど本来はよその国から入ってきたものという意味で使っている。
 旦那は仏教用語で元々は僧侶を金品的に支える信者、つまりパトロンのことらしい。それがいつの間にか仏教を離れて主人の意味として使われるようになり、パトロンという意味は薄れている。江戸時代は女性でも旦那と呼ばれたりしたらしい。
 同じ主人でも旦那と呼ばれる人と親方と呼ばれる人がいて旦那の方が格上らしい。主人の間にも身分の差があったということか。
 一方で同じ旦那の中にもランクがあって、大旦那、旦那、若旦那、小旦那などと呼び分けたりもしたらしい。
 旦那にはそういうわけでパトロン的な、金を出す偉い人みたいな意味合いがあるけど主人という言葉の方にはもともと偉いという意味は無いらしい。祭事の饗宴の主催者をそう呼んだそうで、忘年会の幹事みたいなものと思えばいいかも。
 だから役割名にすぎないので妻が夫を主人と呼んだから男女平等に反する、というわけでもないらしい。
 家庭内の呼び方は、夫があなたから子ができればおとうさん、孫ができればおじいさんみたいに、家族で最年少のものを基準に決まるのがしきたりだとか。

デパート
 デパートという言葉が日本語として定着するまでにはデバートとかデバトとかいろいろ今では笑い話としか言えないような経緯があったらしい。
 昔の日本人はパピプペポという発音が苦手だったという話もあって、デパートをデバート、ピーチをビーチ、ピストルをビストルとかビストロとか言ったと書いてある。
 逆に働いて乗り合いバスをパスとかビーチパラソルをピーチパラソルと言ったりもしたらしい。
 今はそんなことないかというと、プロマイドとブロマイドなんかだとどっちが正しいなんて言えないような気もするから日本人の気持ちの底に何かカタカナ語への抵抗と、わざとそれを崩して言いたい気持ちみたいのと、あえて難しい方の言い方を使いたいのとち千々に乱れる心の働きがあるらしい。
 ハンカチをハンケチと言って、手拭いをケチって半分にしたものとか、ステーションをステンショ(ステン所)と何らかの場所としてとらえるみたいな、勝手に日本語的な意味を与えて納得してしまう事例もあったらしい。
 進駐軍のマッカーサーを進駐組の松川さん と覚えていた老人なんかもいたらしい。

和製語
 漢字なんだけど、日本生まれの漢字とか、英語なんだけど日本生まれの英語とかがあるという話。中国やイギリス、アメリカに行っても通じない。
 漢字の作り方のルールをうまいこと日本人の感覚に合わせて造語するというものでは
辻、峠、榊、なんかは日本人が本国に断りなしに作ってしまった文字らしい。こういうのを国字というんだとか。
 英語の方では勝手に元の言葉を縮めたり省略したり変形したりして、ラムネ(レモネード)ハヤシライス(ハッシュド・ライス)、カツ(カットレット)みたいになったものや
 英語の比較級みたいな変形の仕組みを勝手に使ってナイターみたいな単語を作ったり、ベアとかベースアップとか、アイスキャンデーとかホットコーヒーとかは日本で作った言葉だと書いてある。ナイターなんかはあちらに逆輸入されたりしたとかしないとか。
 ケース・バイ・ケースなんていう言葉も日本人が作ったんじゃないかとかもともとあったとか諸説あるらしい。
 日本語は英語みたいに厳密な区別がなくて、同じものを明確な定義なしにいろいろな呼び方で呼んだりする。
 落花生と南京豆とピーナッツとか果物とかフルーツとか水菓子とか宿屋とか旅館とかホテルとか。カレーライスとライスカレーとか。
 それなりにもっともらしい区別をウンチクみたいに語る人もいたり、ソウメンとヒヤムギみたいに規格とかで決まっていたりするけどそういうのは後から出来たルールで、最初は曖昧模糊としたところでいろいろな呼び方ができてしまったのかもしれない。
 アパートとマンションとレジデンスとメゾンとフラットとパレスと・・・なんて見てると全然ルールは感じられない。

でっけえ
 同じ日本人でもおとなしい人と乱暴な人、お行儀のいい人悪い人はどちらもいるように、別ではなくて事実として一方に健全な市民がいれば一方にそこからはみ出す人がいる。
 はみ出す人は健全な人とは異なることばを使うことが多いらしく、著者はそういうのを奴(やっこことばと呼んでいる。最初は何かその単語を使うだけで刺激的な響きがあったのだろうけどあるものは健全な人も平気で使うようになって何でも使い重ねると角は取れて切れ味も落ちて生活の中で埋没していく。

 そういう系統のことばとして、たとえば つんのめる のつんとか、いけしゃあしゃあ のいけ なんかはもともとはちょっと下品な印象を与える接頭語だったらしい。

 でっかい なんて言葉もそういう下品な奴ことばだったらしい。今は普通にCMなんかで
北海道は でっかいどー とか でっかいでっかいでっかいでっかい 箱根小涌園 とか普通に使われて何とも思わない。はかなげな美人がでっかい なんて言うとちょっと え?と思ったりはするけど普通の人が使う分には何とも思わない。
 めったやたら とか あたふたする なんてのもそうらしい。あと そっ首 とか ほざく と。
 意外なのは否定語の「ない」で、行かないとか書かないとか読まないとかは奴ことばだったらしい。では健全な人はどうしたのかというと 行かぬ 行かん 書かぬ 書かん 読まぬ 読まん などと「ぬ」か「ん」を使ったのだという。今は「ない」がつく方が丁寧に感じる。
 なんとかだ、なんとかです、みたいな語尾ももともとは奴言葉で、これが明治時代に言文一致体の小説に使われて庶民に定着していく過程では抵抗を感じる人もいたらしい。

しゃり
 ご飯をしゃり と言ったりするのも今はお寿司屋さんの符丁として知った上で場合によっては抵抗なく使ったりするけどこれもアウトローというわけではないけど仏教用語から仏様を火葬にした時の骨に米のような形をした骨が出るからということで語源を知るとちょっと日常には使いにくい。今はすたれているけど戦争の頃外食券なんてのがあったころにはこのしゃりにまつわる言葉がいろいろあったらしい。今かろうじて残るのは白米を指す銀シャリくらい。
 こういう言葉を使うのはろくに字も知らない、書けないような人たちが多かったらしく、それだけに耳で聞いてわかりやすい言葉をどんどん作り出していったらしい。知識人は漢字の意味とかにこだわって書けばわかるけど聞いても意味が判然としない言葉を生み出してしまうとも。
 酒のことを きす なんて言ったりする。高倉健さんの網走番外地の歌詞に キスひけ(酒のめ)というのが出てきたりするけどこれは放送禁止用語とかで、この単語が出てこないバージョンのカセットテープなんかもあったりした。この系統でやさぐれ なんてのもあってこれはもともと家出人の事。やさぐれナントカという漫画の主人公がいたとして、家出人ナントカではずいぶん印象も違う。やさが家で ぐれ が外れる みたいな意味らしい。
 今はだいぶこなれて日常に溶け込んでいるものもあるけど、無理に使わんでもいいのではないかと著者は書いている。

倒語・略語
 ひっくり返して新語を作るというのはアウトローによくあって、ドヤ街のドヤ は宿の反対、ダフ屋のダフは 札(ふだ)の反対 ショバ代のショバは場所の反対になって、今は普通の人も元の意味を知らないでもわかる言葉になっている。
 一方で省略して呼び名が変わっていく現象もあって、早稲田大学は昔は早稲田と略していたのが今は早大が主流、みたいのがあるらしい。

略語語源
 略語についてもう少し。卒業論文を卒論、入学試験を入試なんて呼ぶのも著者は抵抗を感じるようで、話し言葉なら省略しなくてもいいじゃないかみたいな。こういう言葉が一般化するのは新聞に起因するみたいなことがチラッと書いてある。
 こういう言葉は次第に元の意味が忘れられて特殊な業界とか集団の中で伝わっていき、あとからもっともらしい語源解釈が作られるだろうみたいに著者は書いている。

 というわけで語源散歩の章終わり。もともとはNHKの放送用に書かれた原稿らしい。
 
 

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