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「奉教人の死(芥川龍之介著)」

2019/12/14 19:00 投稿

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  • 芥川龍之介
  • 宗教
  • 新潮文庫



・奉教という言葉を私は学が無いので知らない。調べるとキリスト教のことらしい。奉教人は ほうきょうにん と読むらしくキリスト教信者のことらしい。てっきり ほうきょうじん だと思ってた。

 この短編集は芥川さんがキリスト教をテーマに書いた作品を集めたとのこと。ものすごく昔に買ってそのままだったので消化。

・煙草と悪魔
 ちょっとコミカルな印象がある作品。フランシス・ザヴィエルの一行に伊留満(いるまん ポルトガル語で、神父の次に位する宣教師 と注がある)に化けた悪魔が混じっていて、日本人を堕落させようとするのだが堕落させるためには相手が敬虔な切支丹でなくてはならず、日本にはまだそういう相手がほとんどいないので暇つぶしに園芸をやり、煙草の種を植える。
 この煙草を種にある牛商人の魂を奪おうとするのだが計画は失敗して悪魔は去り、煙草だけが残って日本に広まったという。
 作者は煙草が日本に広まったということは、間接的に悪魔が勝ったのでは、と書いている。
昨今は喫煙者に対する規制がますます厳しくなって悪魔もがっかりかも。

・さまよえる猶太人
 猶太人は今は見かけない表記だけどユダヤジン。いわゆる当て字なんだろうけど今は廃れていると思う。
 処刑場にひかれていくクリスト(と原文には書いてある)に罵詈と打擲を与えたとあるユダヤ人は呪いを受けて、最後の審判の日まで死ぬことができなくなって世界をさ迷っているのだという。西洋の人にはなじみのネタらしく、いろんな記録や小説があるらしい。
 さまよえるオランダ人というのも聞いたことあるけどそれとは別物らしい。
 この作品は芥川龍之介がこのさまよえるユダヤ人に興味を持ってこれに関する文献などを調べているうちに二つの疑問を持ち、それを解決したことを記している。
 疑問の一つは、さまよえるユダヤ人は事実上不死でキリスト教徒がいる国に現われるのだから日本に来たという記録もあるのだろうか、ということ。
 もう一つはキリストにひどいことをした人間は他にも大勢いるのに、何故このユダヤ人だけが呪いを受けたのかということ。
 おそらく創作なんだろうと思うけど、芥川さんが入手したある古文書からこのユダヤ人は江戸時代に日本に来ていて、フランシス・ザヴィエルと邂逅し、そこに同席したシメオンという伊留満が伝えた内容がわかる。そこにはクリストを罵倒したり石を投げたりした人々が大勢いた中で、このさまよえるユダヤ人一人だけがこれは悪いことだ、と後悔の念を持ったからただ独り呪いを受けたのだ、罪を罪と思わぬものに天の罰は下されないこと、その代わり罰を受ければいつかそれが贖われる希望もあると彼は思っていることなどが記されていている。

・奉教人の死
 表題作。長崎の寺院に天涯孤独の美少年が引き取られて周囲の人にその美貌と信心の強さでかわいがられ、元は侍の家に生まれた偉丈夫が兄のように彼を守ってもいたのだが、美少年が元服する頃に彼に孕まされたと訴え出た町人の娘がおり、彼は否定したのだが日頃無口で口下手なせいもあってか結局破門になってしまう。
 彼はもともと天涯孤独なのでこうなると誰も助けるものがおらず乞食同然の暮らしに落ちる。兄のような男も裏切られたという思いが強く人一倍つらく当たるようになる。
 やがて娘は女の子を産む。兄のような男はこの家を訪ね、この娘の子を弟と思った美少年の面影を見るようにかわいがる。

 長崎の街の半分が燃えたという大火事が起こり、この子供が火の中に取り残される。これを火中に飛び込んで助けた者がいる。あのかつての美少年である。彼は娘を助け出すが、家を出ようとしたところで梁に押しつぶされる。子供は母親に手渡されて無事である。兄のような男が梁の下から彼を救い出すがもう助からない。
 ここで母親は懺悔をし、この子の親はこの人ではありません、私は隣人と密通してこの子を産んだのです、この方を好きだったのですが全然相手にしてくださらなかったので恨みを持って嘘をついてしまったのです。それなのにこの人は子供の命を救ってくださった、と泣く。
 美少年の焼けた衣服の下からは、女の身体が現われている。彼、いや彼女は息絶える。

 芥川龍之介が所蔵するキリスト教の書物の中にある話を一部脚色して発表したものだという。女だってバレないわけないだろ、ノノノノじゃあるまいし、と思ってしまう。

・るしへる
 ハビアンという禅僧が残した書物が芥川龍之介の蔵書にあって、この内容を紹介する。この人は天主教徒つまりキリスト教のカトリック信者から仏門に変わった人らしい。
実在の人物で巴鼻庵という人がいるみたいだけどこの作品に出て来るのと同一人物かはわかなない。
 この作品ではとなっている。この字パソコンで打てない。

 ハビアンは書物の中で、デウスなる神が地上世界とぱらいそといんふぇるのを造ったというが、同じくデウスが造った安助(あんじょ:天使)の「るしへる」なるものがデウスに反していんへるのに落とされるとあるが、これはデウスの方に落ち度があるのではないか、と論じていて、さらにるしへるが絶対悪であるとするのもおかしいとも追記する。
 ハビアンは自分はそのるしへると会って問答したことがある、と書いていて、その悪魔はある貴婦人を誘惑しようとしていたのだがハビアンに婦人を汚そうという気持ちと同時に清らかであってほしいとも思うのだ、と人間が悪徳に惹かれるのと同様、悪魔は悪をなしつつ善に惹かれるのだ、と言って消えたという。彼はだから悪魔の心の中にも善があり、諸悪の根源ではない、そう教える宗教は間違っている、と本に書いたのだが後に削除されたのだという。
 実在のハビアンは禅僧からキリスト教徒になり、棄教してキリスト教を迫害する側にまわったとか。破提宇子(ハデウス)という著書が出て来ることからはこの人物が小説のはびあんと思われるが、問答の内容は芥川龍之介が所蔵している写本だけに書かれていて後に削除されたものだみたいに書かれているので創作なのかもしれない。

・きりしとほろ上人伝
 芥川龍之介の所蔵の本にあるキリスト教の説話を脚色したものとの断り書きがある。
 「しりあ」という国に「れぷろぼす」という巨人がいて、性格は温厚で周囲の木こりや羊飼いなどの人々に好かれていたが彼は手柄をたてて大名になりたいと山を下り、「あんちおきや」という王の家来になる。彼は活躍して大名の位も授けられるが、ある時王が十字を切るのを見て何のためかと訪ね、これが悪魔除けと聞くと王よりも悪魔の方が強いなら自分は悪魔の家来になる、と飛び出そうとするが酔っていたため捕らえられ、牢に入れられてしまう。
 だが先に牢の中にいた男が実は悪魔で、彼は悪魔に助けられて配下となる。だが悪魔はたぶらかそうとしたある隠者の突き出した十字架と呪文に負けて退散する。これでれぷろぽすはえす・きりすとの弟子になりたいと言い出すが、隠者は悪魔の弟子からいきなりというわけには、と渡し守として働くよう命じる。名も きりしとほろ と改名させる。
 彼は三年渡し守を続けたがいつになったら えす・きりすとに目通りできるかとじれてもいる。そんな時、嵐の日に子供が渡してほしいというので風雨と濁流の中川を渡ろうとするが、子供はどんどん重くなる。ようやく渡り終えると子供は、おぬしは世界の苦しみを荷ったのだ、と告げる。子供はキリストの化身だったのだ。
 きりしとほろ はそのまま姿を消し、柳の大木が川岸に残っていたという。美しい花に囲まれて。

・黒衣聖母
 妖怪ハンターみたいにはじまる話。二人の男が黒檀でできた聖母像をめぐって話をしている。美しい像だがどこか表情に悪意を感じる。片方の男がこれを入手したいきさつと、この像を巡る言い伝えを話す。
 ある旧家のご本尊みたいに伝わっていたこの像に、この家の後継ぎの娘の祖母が願をかける。娘には弟がいて、こちらの方が期待の後継ぎなのだが麻疹にかかって死に掛けている。両親は既に無く、祖母と彼女、弟があるばかりの家である。
 祖母は娘を連れて土蔵に入り、ここで聖母像に祈る。どうかこの私より先に孫息子が死ぬことのありませんように、と。
 翌日祖母は突然息を引き取り、十分後に弟も死んだという。

 この作品だけ異色のホラー小説という感じ。

・神神の微笑
 日本に布教にやってきたオルガンティノというパードレ(神父)が幻を見る。それは天の岩戸のくだり。やがて彼の傍らに何者でもないこの国の霊の一人です、と名乗る老人が現われて、デウスもこの国では勝てませんよ、孔子も孟子も荘子も仏陀もこの国を支配できなかったのです、我々には造りかえる力がありますから、と忠告して消える。

・報恩記
 ある外国人の伴天連を阿媽港甚内(あまかわじんない)という盗賊が訪ねて来て、ある男のために「みさ」をやってくれないか、と頼む。
 「ぽうろ」という男だという。そのわけは・・・と二年前に遡って語り出す。
阿媽港というのは今でいうマカオのことらしい。20年前にマカオで甚内はある船頭に命を救われたことがある。この度盗みに入った大店の主人がその男だったが、荷を積んだ船が沈んで借金を抱え一家離散の寸前であった。甚内は恩返しにこの借金を埋める大金を三日以内に持ってくると約束したのだが・・・
 北条屋弥三郎という商人が伴天連のもとへ懺悔にやってくる。彼は先ごろ捕まって処刑された阿媽港甚内という盗賊に、二年前に倒産と一家離散の危機を救われたのだという。だがその後知ってしまったある事実から、その大恩人を憎むかもしれない状況になっている。そうならないよう私の心を救ってほしいと。
 伴天連は牢屋の死刑囚の最後の懺悔を聞きに来ているらしい。弥三郎というその男は明日処刑される身。だが何故か満足している様子。彼は ぽうろ という洗礼名も持つ大店の息子だったがその後やさぐれて勘当され、つまらぬ犯罪を繰り返す悪人に成り果てていた。勘当された実家に金目のものはないかと忍び込んだが、ここで鉢合わせした阿媽港甚内という盗賊に邪魔をされ、弟子入りを懇願したが断わられる。その後甚内に実家が救われた事を知る。彼は恩返しと、甚内に認められること、両方を目標としててついにその方法を思いつく。

 三人の話が互いに隙間を埋めて全体像を浮かび上がらせる趣向の話。

・おぎん
 江戸のいつ頃かわからない遠い昔。おぎんという童女が両親を亡くすが、幸い親切な夫婦に拾われる。夫婦は当時すでに禁じられ、迫害の対象になっていた天主教の敬虔な信者で心優しく、やがておぎんを養女とする。
 だが親子はご禁制の信仰を持っていると役人に捕まり、転向するよう拷問を受けるが信仰が深いため屈しない。ついに三人まとめて火あぶりに、ということになってしまう。
 役人は本心では火あぶりなど後始末も面倒なのでやりたくない。そこで最後に今信仰を捨てればおとがめなしだぞ、とダメもとで声をかける。すると思いがけずおぎんが信仰を捨てます、と答える。
 両親は悪魔にたぶらかされたのか、とおぎんに思い直すよう説得するが、おぎんはこう主張する。このまま三人で火あぶりになれば仲良く天国に行けましょうが、私の本当の親は天主教の教えを知らずに亡くなりましたので、地獄に落ちているでしょう。それなのに私ひとりが天国へなど行けません。両親と一緒に地獄へ行こうと思います・・・
 これを聞いて養母と養父も信仰を捨て、みんな一緒に地獄へ行こうと誓ったという。
 キリスト教徒の間では、最も恥ずべき裏切り者の話として伝えられたという。

・おしの
 ある南蛮寺のある神父のもとに武家の女房が訪ねてくる。彼女の夫は家中でも聞こえた豪の者だったが既にこの世の人ではない。彼女は15歳になる息子が明日をもしれぬ重病の身、医者はもちろんできるかぎりの養生を尽くしたが効果がない。この上は南蛮の医術にすがるしかないとお願いにきましたと頼み込む。神父は快く引き受けるが、話のついでに後家が神父様が診ていただければ治癒せずとももう満足です、駄目ならあとは仏にすがるばかり、みたいなことを言ったので神父は思わずカンノンとかシャカとかハチマンとかテンジンとかは全部まやかしの神ですぞ、キリスト様だけが本物なのです、と後家を悪魔の教えから救おうとする。いかにキリストが偉大かをわからせようと、自ら磔になったこと話す。
 すると後家の目の色ががらっと変わる。私の夫は鎧兜を失っても合戦の際は紙の羽織と竹の刀で戦場に向かいました。抵抗もせず磔になるような臆病者を崇める宗教などに頼るものかこのたわけが!みたいになって憤然と去って行く。残る神父ポカン。

・糸女覚え書
 細川ガラシャこと秀林院に仕え、その最後を見届けた女中・お糸が残した話という体裁。
 通常は美人で信仰心篤く賢女の代表、みたいに描かれるガラシャを、何か宗教にいかれてしまった高慢で滑稽な愚かな女、と辛辣で皮肉な目で観察し続けた記録みたいな。
 信仰も持たず学問も知らぬお糸のような娘を愚か者とさげすみ、世にいわれるほど美人でもなく、お世辞ばかりを本気にし、同じキリスト教の説話を何度も女中たちに延々と語り、何か気に食わぬことがあるとわけのわからない祈りを上げ、すぐ八つ当たりするイヤな女、みたいな散々な書きよう。 
 書き残した方が愚かなのか、書き残された方が愚かなのか。
 もちろんお糸は実在せず、書かれた内容は芥川龍之介の創作とのこと。

 これで終わり。全般的に、芥川龍之介はキリスト教に興味は持ったけど、その教えには日本人には合わなかろうに、みたいな皮肉なものを感じていたのかな、という印象。芥川龍之介の研究などは山ほど在るだろうから調べればそのへんもいろいろわかるんだろうけど、特に調べるほどの興味はない。
 
 全部チェックしたわけじゃないけど青空文庫なんかで読めるんだろうと思うので本はもう処分する。
 
 
 
 


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