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「ひとり暮らし(谷川俊太郎著)」①私

2019/01/26 19:00 投稿

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  • 谷川俊太郎
  • 老後
  • 新潮文庫




・谷川俊太郎さんの名前は物心ついた頃から知っている。鉄腕アトム主題歌の作詞者として。世間一般には詩人として知られているようで、覚えてないけど学校の教科書にも載っていたような気がする。「百億年の孤独」という詩集がある事も知っている。読んだことはないけど。というか、失礼ながら谷川さんの詩というのはアトムとビッグXと火の鳥の歌詞と覚えてないけど教科書に乗っていたかもしれないのをのぞけば全然読んだことない。詩人って普段はどうしているんだろう、どうやって生活を支えているんだろうなんて思う。中原中也とか石川啄木とか、他に教科書に載っている詩人は昔若くして死んじゃった人ばかりだったので詩人で老人と言える年齢まで暮らすことはできないんだと思ってたりした。

 たまたまこの本を古書店で見かけて、へえ、本も書くんだみたいに思って買ったままながらく放置していたのをようやく読んでみた。買ったのは定年後の暮らしなどに備えないとと興味を持ちはじめた時期でもあった。

 詳細は書いてないけど結婚離婚を繰り返して今はひとり暮らしだと書いてある。なんとなくこういう教科書に載るような偉くて長生きした人は家族や弟子に囲まれて晩年になってもひとり暮らしにならない気がしていたのでタイトルからしてちょっと意外だった。
 ただ、お隣に息子さん夫婦と孫二人が住んでいるらしいので世間一般のひとり暮らしのイメージとは違う感じ。お寂しいでしょうなどと言われるが、誰に気兼ねする必要のない暗い我が家が気楽でいいとあとがきに書いてある。

 様々な媒体に発表した雑文を集めて三部構成にした感じ。「私」「ことばめぐり」「ある日」とタイトルがついている。まず「私」から。数ページ程度のエッセイとも随筆ともつかないものを集めている。

・ポポー
 幼少時、隣家に住んで著者を実の両親以上にかわいがってくれた伯父夫婦の思い出。
庭にポポーという果樹があったという。

 世の中にそういうものがあるのを知らなかった。もちろん食べたこともない。

・ゆとり
 1988年の文章なので、ゆとりという単語にはまだ良いものというイメージしかなかった頃。心を動かすことのできる隙間を仮にゆとりというみたいな。
 この頃はゆとりを得るために働いてきた人たちがようやくゆとりを得たと思うようになった頃だったかも。

・恋は大袈裟
 誰もそれを笑うことができない。

・聞きなれた歌
 歳時記で夏の鳥のカッコウは北ヨーロッパでは春の鳥で、フレドリック・デビアスという作曲家が「春はじめての郭公を聞いて」という曲を書いている。日本では閑古鳥とも書いてさびしいものと思われているが、この曲でもクラリネットでものういカッコウの声を表現しているという。
 

・道なき道
 時におそう道をはずれたいという要求について。

・ゆきあたりばったり
 著者の食生活はゆきあたりばったりだという話。

・葬式考
 結婚式は好きではないが葬式は悪くないという話。結婚式は新郎新婦の未来を案じてしまうが葬式には未来が無いのが良いとのこと。だが西洋式の葬式は白っぽくて清潔すぎて嫌だという。

・風景と音楽
 著者は中原中也にならってベートーヴェンをベトちゃんと書く。若い頃は中也がそう書いているのを知って憤慨したらしいが今は目くじらたてなくてもと思っている。乗り物の中で音楽を聴くのが好きだという。

・昼寝
 詩人のせいか著者は「昼寝」「午睡」「シェスタ」「おひるね」の違いにこだわる。「昼寝」がいちばんお気に入りの様子。

・駐ロバ場
 著者がモロッコに行ったときにガイドの青年が自信たっぷりに「あなたがこれまでに見たことのないものを見せる」と連れて行ったのが駐ロバ場だという。野球場くらいの広場に新宿駅のラッシュみたいな密度でロバが群れていたという。市が立つ日で、そのための荷物を乗せて来たロバを預ける場所だという。鞍を外して別のところに積んであり、著者には持ち主がどうやって自分の鞍とロバを見つけて帰れるのかわからなかったという。

・じゃがいもを見るのと同じ目で 
 レンブラントのがおじさんになってから描いた自画像を見て、著者はそのへんのじゃがいもを見るのと同じ目で見ている、と感心している。検索するといっぱいあって著者がどれを言っているのかよくわからない。55歳頃のかなあ。

・春を待つ手紙
 誰に書いた手紙なのか、本当に書いた手紙なのかよくわからない。内容もよくわからない。

・自分と出会う
 自分では自分の本音がなかなかわからないみたいな話。

・古いラジオの「のすたるぢや」
 著者は古いラジオをコレクションするという一種の病気があるらしい。真空管のに限るらしい。

・通信・送金・読書・テレビ・そして仕事
 1994年らしい6月9日から13日までの日記のような予定表のような。著者の多忙な日常がうかがえる。電話と手紙と読書とテレビがほとんど。仕事はほとんどスヌーピーの翻訳。詩を書く時間はほんのちょびっとの様子。

・惚けた母からの手紙
 著者の母はまだ痴呆というものの知識が普及していなかった頃に惚けて、夫や息子である著者に手紙を書いたという。夫に裏切られたことが心の奥底にあって、さびしいさびしいと訴えかけるような手紙で、著者が慰めようと返事を書いても母親の心には届かない。
 仕事よりも先に母のことを考え、もっと一緒に寄り添ってやればよかったと著者は悔いている。

・単純なこと複雑なこと
 自分の飼い犬が死ぬ様子を著者は見ていたことがあり、犬死とよく言うけどその様子は無駄とも惨めとも思えなかったという。
 どんな死に方も変わりはないな、軽重はないなと著者は思う。

・内的などもり
 言葉は自分の心の中でゴツゴツどもりながら外に出て行くみたいな。

・とりとめなく
 自分や世界を否定するような考えは、あまりはっきりさせると前に進めなくなる。若い頃は考えには結論があると思っていたが、年をとって結論はなく、結論だと思っていたのは自分を安心させるためのごまかしだったと悟る。

・十トントラックが来た
 著者のお父さんは法政大学総長も勤めた哲学者で、亡くなったとき大量の蔵書が残された。洋書は大学に、その他は出身地の図書館に引き取ってもらうことになり、そこから十トントラックが来たという話。

・私の死生観
 死生観というのは持っても無駄だと著者はいい、死生術あるいは死生技こそ持つべきだという。いろいろ書いてあるけどこれは今でいう終活の様子。

・五十年という歳月
 13歳から五十年経って、ラジオに関する科学知識はちっとも育っていない。だがあこがれていたラジオを買える身分にはなった。

・私の「ライフ・スタイル」
 スタイルという言葉はわかっているようでわからない。服装も様式も文体もスタイルだ。著者は生きて行く一瞬一瞬に大小の選択をした結果表れてくる「生き方」みたいなものだろうと思っているみたい。

・ひとり暮らしの弁
 2000年に書いた文章なので著者69歳か70歳の頃。東京でひろり暮らしをしていると書いている。隣に息子夫妻と孫二人がいるとも。でも実体は独居老人で、それがいやなわけではなく気楽でいいみたいなことが書いてある。

・からだに従う
 老いには老いの面白みがあって、それを可能な限り楽しみたい。
 自分がいいかげんになっていくような気がする。
 年とって自分が前よりも自由になったと感じる。
 まあどっちにころんでもたいしたことないやと思える。
 痛い思いをしたり身内や他人を苦しめて死ぬのはいやだが死ぬこと自体は悪くない。
 人類の未来というような大げさなことはあまり考えない。
 それよりも毎日の暮らしを大切にしたい。
 結婚式より葬式の方が好きだ。
 自分のうちから湧いてくる生きる喜びをどこまでもっていられるか。
 どうせなら陽気に老いたい。
 増やすより削るほうがいい。
 余るよりも足りないほうがよい。
 

・二〇〇一年一月一日
 一年の計は元旦にありというが従ったことがない。
 歓びはいのちの源から湧いてくるものだから計画が立たない。
 歓びを失わずに死ぬまで生きたいと願っているがなかなかの難事なのだ。

・二十一世紀の最初の一日
 二十世紀で最も重要な出来事は、自分がこの世にやって来たこと。
 二十一世紀で最も重要な出来事は、自分がこの世から去って行くこと。

 私もそう思う。平成が次の元号に変わるときも似たような思いがあるだろう。世紀ほど確定的ではないだろうけど。

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