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キスカ撤収作戦

2018/07/29 06:00 投稿

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・昭和18年7月29日、キスカ撤収作戦。アッツ島守備隊が激戦の末に5月に玉砕。大本営はアリューシャン列島の放棄を決定。これによって相手方勢力圏にポツンと残された形になったキスカ島の友軍撤退は潜水艦を使って何度か試みられたが、これまでに800名ほどを引き上げさせたものの相手方の封鎖網にかかって潜水艦3隻が撃沈されるなど損害も出て、この時点で約5200名が残されていた。相手方はキスカ島に大部隊を上陸させる準備をしており、このままではアッツ島同様玉砕の憂き目を見ることとなる。
 艦隊を送って短時間に一気に撤退する計画がたてられて、第一水雷戦隊がその任にあたることとなる。司令官はダンピールの悲劇で重傷を負い、復帰したばかりの木村昌福少将。旗艦は軽巡洋艦阿武隈。だがこれを成功させるためには、この地域で発生する濃霧を利用するのが不可欠ということになり、第一水雷戦隊は相手艦と誤認させる欺瞞迷彩をほどこした上で慎重にチャンスを待つ。6月19日に一度出動するが、霧が晴れたため引き返す。この時に「帰ろう。帰ればまたくることができるからな」という艦これ提督なら知っている名言を残したという。何もせずに引き返した、ということで批判も浴びるが木村少将は我関せずを通した模様。
 7月28日にようやく次のチャンスをつかみ出撃。29日にキスカ湾に突入した艦隊(軽巡洋艦阿武隈、木曽、駆逐艦島風、秋雲、夕雲、野風、波風)は、撤収作業中に濃霧が晴れる幸運にも恵まれて、わずか1時間で守備隊を収容。二手に分かれて7月31日、8月1日、幌筵に帰港する。
 戦闘を避け、一人の犠牲も出さずに撤退に成功したこの作戦は、「奇跡の作戦」と呼ばれることになる。濃霧の中、阿武隈と国後が衝突したり、若葉が損傷して引き返したりと事故もあったらしいが、最速の駆逐艦島風に最新式電探を載せ、気象士官も乗せての作戦だったという。また、相手方がレーダー不調でアムチトカ山の反射波を日本艦隊と誤認してこれを砲撃し、この補給のため封鎖網が緩んでいた幸運もあったとも。

 日本軍が去ったキスカ島には、相手は執拗に艦砲射撃を繰り返した後に、8月15日に百隻近い艦隊で3万5千人の陸兵を上陸させるものの同士討ちで死者25名を出し、数頭の犬が残っているだけだったという。降伏を勧告する十万枚を超えるビラを読んだのは(読めないが)犬だけだった。

 映画にもなっている。


 7月27日、潜水艦伊168がラバウル近海で相手潜水艦に撃沈される。
 7月28日、駆逐艦有明と三日月がニューブリテン島西端のツルブで座礁、そこを爆撃されて沈没。

 また、イタリアのムッソリーニ首相がこの頃失脚・辞任している。日本で報道されたのは27日だという。

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