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潜水艦伊23

2017/02/28 06:00 投稿

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・昭和17年2月28日、潜水艦伊23の喪失認定。2月1日に先に沈んだ伊73なども所属していたクェゼリン環礁の基地から出港し、2月14日以降(24日説もあり)、ハワイ南方海域で消息を絶っていたがこの日に乗組員全員の戦死が認定されたという。相手方にも該当する撃沈記録は無いらしく、海難事故だったのかどうか、実際に何があったのかはもうわからないだろう。
 特別な武勲も無かったようであまり資料がなく、艦船写真も見当たらない。100名近くが乗っていたという。ご遺族には遺骨も、遺品も届かなかったろう。後述する機関長が最後の出撃直前に残した日記は例外的に家族のもとに届いたようだ。
 今も発見される事なく、船も人も、どこかの海底に眠っているのだろう。

 ニコニコ市場にないのでリンクが貼れないが、「まあ坊の綴り方 伊23号潜水艦の真実
ある海軍機関兵の回想」という本がある。



  伊23が消息不明になる直前に病気で退艦し、最後の出撃を見送った人が書いたとの事。
息子さんがさらに詳しい注記や解説を付している。
 後に機関長だった人の日誌が発見され、(宮野成二『山本五十六の誤算』(読売新聞社、1992年)に「付 金森大尉の日誌覚え書き イ23潜水艦出撃す」として掲載されているとの事)
改訂増補版としてその事も追記されている。100名近くが乗っていた船で、当事者の記録はこの二つしかないみたい。

 この本を書かれた方はまず駆逐艦響に乗り上海での任務を果たし、それから潜水艦学校に行って訓練中には伊19号にも乗り、卒業後伊23号に配属されたとのこと。電気関係の技術者だったようだ。ハワイ海戦を経てクェゼリン環礁に行くが、心臓病で倒れて病院船氷川丸を経由して横須賀海軍病院に入院し、回復後は第47号駆潜艇に乗り組んで掃海任務についたという(この船についての戦後の本などの記述には間違いが多いと、当事者として書いている。終戦まで生き残り、戦後アメリカに引き渡されたという)。氷川丸乗船中に伊23号が浮いて来れない、という夢を見たという。終戦がもっと遅ければ、人間魚雷に乗る事になっただろうとも。8月15日朝に人間魚雷への異動を知らされ、昼に終戦を聞いたとのこと。終戦後(本の中では敗戦という言葉を使っている)は特別輸送艦神島という船で復員輸送に従事し、海軍生活を終えたという。この神島もソ連に引き渡されたとのことで、著者が勤務した響、神島が共にソ連に行ったというのも何かの縁だろうか。響は向こうで一人ぼっちじゃなかったんだな。
 駆逐艦や潜水艦内の日常や、戦後の機雷処理や復員任務などについても書かれており、貴重な記録だと思う。艦これ提督の方の参考になれば。

「家路につけなかった者たちよ。私が心に刻まなければ、だれがきみらを記憶するだろう」
という言葉(米国バージニア州クアンティコにある米海兵隊記念碑に刻まれている詩文)で
締めくくられている。


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