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「人は50代、60代に何をなすべきか(鈴木健二著)」メモ

2016/09/04 19:00 投稿

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 著者はこの本が出版された時に75歳で、NHKを定年退職したあとは熊本県立劇場の館長を10年やって、さらに青森県立図書館の館長を5年やって、75歳で引退して無職となった時期と重なっているらしい。これは当時の青森県の平均寿命だったという。
 鈴木氏が言うには、40歳ならまだ40年生きると言えるけど、50歳ではもう50年生きるとは言い切れない、だから50歳は人生の半ばを過ぎたということで、社会的生命の折り返し点という事で残りをどうするか考えなければならない歳だという。

一般にサラリーマンが60歳定年で、定年後を「第二の人生」などと呼ぶ習慣ができているが、著者のこの本執筆当時の75歳の実感としては老後は75歳からで、それまでは老前ともいうべき時間だったという。老前がいつからはじまるかというと、これが50歳ぐらいらしい。
 著者はちょうど50を超えたところで腎臓を片方摘出する手術をしており、この時死を覚悟したということで、余計に50という年齢が節目に思える様子である。
 この入院時にベッドに仰向けになって字を書くという特技を身に付け、医療費にあてようとも思って横になって書いた本が「男が40代にやっておくべきこと」で、これが著者はじめてのベストセラーとなり、このシリーズが続く。
 「クイズ面白ゼミナール」の司会はこの手術後らしい。
 さらに50代終わりごろに書いた「気くばりのすすめ」が長者番付に載るほどの大ベストセラーとなったことも影響しているのだろう、著者は50歳(50代と言いかえてもいいだろう)は新しい自分を作ることができる年代だと書いている。
 「40代」は1980年、「気くばり」は1982年の出版らしいのでちょっと時期が合わない気もするが、本人はこの本の中ではそう書いている。
 入院前、退院復帰後は鈴木氏は超多忙な売れっ子アナウンサーだったから、副業である原稿書きは毎日の超過密スケジュールの中で、1分時間があれば乗り物の中や待ち時間、レストランで食事が出てくるまでの時間などに膝の上ででも書いたという。駅のベンチやバス停ででも書いたという。
 よく聞く話だけど、「忙しい」を自分を許す言い訳にしてしまうと、そこで終わってしまうということで、1分でも1秒でもやりたい事が今の仕事以外にあるなら、その1分をひねり出すべく工夫しなければいつまでも同じ、ということだろう。その工夫が人によっては仕事の効率化であったり、上手く手を抜くことであったり、極端な話転職したりも含まれるのかもしれない。
 著者は大病をして半年入院してその境地に至ったわけで、半年入院して医療費も払えただけ恵まれていたとも言えるけど。

 老後の夫婦のあり方について少し書かれているけど、そこは私には関係ないので省略。
 長としての心得なども書いてあるけどこれも省略。

 「六十の手習い」という言葉があるが、著者によれば平均寿命が50歳程度の人生50年の時代にできた言葉らしい。著者は老後(著者によれば75歳より後)を充実させるために、著者の造語であるらしい老前に入ったら(だいたい50歳を過ぎたら)新しい何かをはじめましょう、と説いている。今はだいぶ遅くなっているが、この時期は子供が独り立ちをする時期とも重なる。

 著者はだいたい50になったら、老後(75~)を自分にとって心地よく過ごすための準備期間、著者によれば老前と心得て、その間をどう過ごすか決めましょう、その際参考になるのは50年間積み上げてきた自分の過去ですよ、みたいなことを書いている。
 定年になってからどうするか考えると空白ができてもったいないから、定年前に考えましょうとも書いている。
 50までの自分を無理やりにでも肯定して、ここまで生きてきた素晴らしい存在だと明るい面を見て考えましょうとも。著者によれば生きるための必要条件はお金と健康と心だそうで、これを三つともよりよい状態に保つべく時間をかけて準備しましょうとも。

 私が就職した頃の世間の風潮はまだ終身雇用が常識という時代だったので、早く定年になってそれ以降をどう過ごすか、とか、あるいは今は死語となった脱サラをしていかにうまくリアイアするか、みたいな人生設計をよく聞いた。今は終身雇用崩壊でみんなが派遣社員の時代になってしまったが、永遠に仕事を続けるのは特別な人を除けばできないので、なおさら老後のことはもっと真剣に若いうちから考えなければいけなくなったのかもしれない。


 著者が言うには、定年後に子会社や出先機関に横滑ったり天下ったりした人と、定年を機に心機一転して全く新しい仕事についた人とを比べると、前者の方が短命だそうだ。
 それまでの仕事や(定年で縁が切れる程度の)人間関係を失った方が、気持ちが若くなるのかもしれない。
  著者は老前の過ごし方が人生を左右するのは男女とも同じであり、定年を機にボランティアや通学をはじめる女性を紹介した後に、夫を看取るまで世話をしてやろうと考えるのも一種のボランティア、無償奉仕だろうと書いている。こういう女性のご主人は、奥さんより先に死なないとそのあとがつらそうだ。

 老後に向って、老化は一年中休むことなく続いていると書き、著者の場合は物忘れ、度忘れにとまどったことを書いている。

 著者は台本通りに番組を進行しないで有名だったとのことで、番組に関する資料も私費で買い集めて自分なりに消化して収録にのぞんだという。他人からもらった資料は事実の半分で、残り半分は自分で集める、という信念があったという。他人と同じ情報なら、他人と同じ仕事しかできないし、得た情報からさらに自分で情報を生み出さないと、とも。
 一つの情報でものごとを判断しない、情報を集約する際に想像で補った言葉を使ってしまうと情報をゆがめてしまうとも書いている。

 戦時中の正しい情報が全く無かった時代と異なり、今は情報はあふれているけどどれが本当かわからない。ものごとを考える時には当たり前のようではあるが、常に自分を出発点にして自分はどうか、自分ならどうするか、自分はこうしてみたいと、まず自分から考え始めることだとも書いている。その自分を出発点や判断基準としてゆるがぬものにするのが著者の言う老前の期間らしい。

 著者はこの時期にすべきものとしては読書だと書いている。自分で研究テーマを持って読もうとも書いているし、これまで興味のなかった分野について読もうとも書いている。

 基本的に著者の経験を書いている本なので、どうしよう、と迷っている人にこうすればいい、と指針を与えるタイプの本ではなく、基本的にはサラリーマン、あるいはサラリーマンの奥さんに対して、60歳で定年なら50を過ぎたら定年後どう過ごすか考えましょう、大事なのは「お金」「健康」「心」なのでこれが足りなくならないように心がけましょう、お金と健康はもう年をとるとそうそう増やせないのでせめて減らさないようにしましょう、でも心の財産はいくつになっても増やせますよ、死ぬ時にいい思い出がたくさんあったほうが楽しいでしょう、私の場合はこうやってきたのでまあ満足しています、みたいな感じ。
 そのあたりを、著者の自慢ばかり書いている、と感じて反発を覚える人もいるかもしれないけど、まあ他人の人生はわからないから自分の事を書けば多かれ少なかれそうなっちゃうのはしかたないし当然だろう。

 本人としては定年後にやった仕事の方が自分としては誇らしいのだが、世間からはその定年後の仕事は全く認知されず、未だにNHKの鈴木としか認知されないことなんかも書いている。

 現実には50代で亡くなってしまう方も、あるいは老後の人生設計などたたないほど困窮したり、災害のダメージから立ち直れなかったり、身体に病気や障害を抱えたり、という方も大勢いるのだろうけど、幸いにしてまだそうなっていないんであれば、いい思い出が増えるように心がけて損はないだろう。みたいに思った。


 

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