わりと頑張って書いたやつ

『メテオ』考 —— 滅びの美と美しき破滅 ——

2015/05/06 23:36 投稿

コメント:1

  • タグ:
  • VOCALOID
  • 音楽
  • オーケストラ

(これはじょんさんの名曲『メテオ』を管弦楽編曲した動画についての解説記事であり、『メテオ』という作品について熱く語った文章でもあります。編曲者はアカデミックな場で音楽教育を受けたことが無いため、記述などに誤りがある場合があります。お気づきの際はお知らせ下さい。)




——————————


 「メテオ」という言葉を目にしたとき、あなたはどのような光景を思い浮かべるだろうか。


 「メテオ(meteor)」は、流星或いは隕石を意味する言葉である。由来する物質は必ずしも同じとは限らないが、大気圏に突入した物質が光り輝いて消えるのが流星、消えずに地面に落ちてくる物体が隕石とのことである。自ら消滅する流星と我々を死滅させ得る隕石の二面性を持った「メテオ」には、常に滅びの香りが漂う。

 そんな言葉を冠したこの『メテオ』という作品は、至る所に「静」と「動」の相対する二つの要素がちりばめられている。「静」の中の「動」は静寂を際立たせ、「動」を「静」的に描くことで動作を印象づける。この作品の歌詞はその好例であろう。降り注ぐ星々と立ち尽くす人々の対比はもちろんのこと、それが詩的で繊細な言葉によって成されることで、まるで「星の降り注ぐ夜」の美しき破滅をコマ送りで見ているような気になる。

 この作品における「静」と「動」の二項対立が「メテオ」の二面性を意味している、とは一概には言えないのかもしれないが、ひとまずこの文章では主にこの「静」と「動」の対比に焦点を当てて解説していきたい。文中に(xx:xx)という表記が出てきた場合、は原曲動画の再生時間を、は編曲動画の再生時間を表す。


 なお、この曲の編成は以下のとおりである。

Piccolo 1
Flutes 2 ( 2nd = Picc. 2nd )
Oboes 2
English Horn 1
Clarinets 3 ( 3rd = Bass Cl. )
Bassoons 2
Contrabassoon 1

Horns 4
Trumpets 3
Trombones 3
Tuba 1

Percussions 5
1st : Small Metronome, Suspended Cymbal, Triangle
2nd : Large Metronome, Glockenspiel, Wind Chimes, Tamtam
3rd : Tubular Bells, Wind Chimes, Hi-hat Cymbals
4th : Timpani, Large Tom, Suspended Cymbal
5th : Bass Drum with Kick

Harps 2
Celesta 1
Piano 1

Strings ( 16-16-12-10-8, if possible )


——————————


 原曲の冒頭はピアノによる静かなソロで始まるが(00:04)、オーケストラ内の楽器に比べるとピアノも硬質な音である。編曲版では旋律をホルン(00:08)やオーボエ属(00:20)といった音の柔らかい楽器が担当し、和音はピアノよりもアタック音が鋭くなく儚い音が出るハープが担当することで、「静」の側面を強調している。

 ところで、この作品では「時計のつぶやき」を表現するために大小2種のメトロノームが使われている。原曲ではそれぞれおよそ44BPMと264BPM、編曲版では40BPMと240BPMが要求されるが、ゼンマイ式のメトロノームは大半が40から208までの目盛りしかない。もっとも、ゼンマイに頼らずとも手で振り子を左右に揺らすこともできる(一応は打楽器奏者の仕事としている)が、シンセサイザーを使うなど工夫の余地はある(原曲では小さいメトロノームの音を左右に振っているが、本物のメトロノームを用いて同じことをするのは難しい)。


 さて、いよいよ歌唱が入ってくるのであるが、今回の管弦楽編曲ではこれを省き、さまざまな楽器を当てることで補うことにした。上述のとおり詞もこの作品を特徴付けているし、そもそも歌声自体が極めて魅力的な楽器なのだが、声楽の代わりに器楽を当てることによって、使用できる音色の幅と音域が広がるという利点もある。

 譜例1は、歌唱部分の旋律を登場順に並べたものである(それぞれAメロ、Bメロ、サビということでいいのだろうか)。横向きの [ で区切られた音群(「反復音群」と呼ぶことにする)は類似したリズムあるいは音高の並びを持っており、矢印が引かれた音群(「ベクトル音群」と呼ぶことにする)は連続した上昇あるいは下降の動きを持っている。この譜例から、旋律が次第に増幅していく様子が見て取れる。



 Aメロ(譜例1-1, 00:27)では、長短の2つの音符によるリズムが反復音群を形成し(後述するが、譜例で表した音価は正確ではない)、ベクトル音群はほとんどない。Bメロ(譜例1-2, 01:09)になると反復音群を形成するリズムの音符が3つになり、ベクトル音群が多数現れる。そして、サビ(譜例1-3, 01:29)は曲中でも山場となる極めて美しい旋律であるが、cis-gis-fis-e-disという5つの音高の並びが反復音群となり、その音群には山型をなす昇降の大きな2つのベクトル音群が挟まれている。特筆すべきは上昇のベクトル音群(cis1-dis1-e1-gis1-cis2-dis2-e2)である。そもそも反復音群の中のgis-fis-e-dis(-cis)が下降のベクトル音群をなしており、これらに囲まれることによって上昇が強調されているのである。以上のことから、反復音群とベクトル音群が次第に増大していることが分かる。

 この部分については、オーケストラの持つ音域とダイナミックレンジの広さを活かす編曲をした。チェロのソロ(00:34)→チェロとヴァイオリンのデュオ(01:34)→ピアノ五重奏(01:46)→フルオーケストラのトゥッティ(02:10)というふうに音域と音量を上げていくことで、旋律の増幅傾向を強調したのである。特に山場の上昇ベクトル音群のうちcis-dis-e-gisは、伴奏をしているピアノでもこの音を鳴らして増強している。


 編曲版では最大まで音量を上げたのち再び静寂を取り戻し、原曲どおり冒頭と同じ旋律を奏でる(02:35)。ここでの編曲者なりのこだわりは、戻る瞬間のトライアングルである。この1音があることでむしろ静寂が引き立つように思うのだが、これも一つの「静」と「動」の対比であろう。

 その旋律も終わって、いよいよメトロノームの音のみになった後、その静寂の中から電子音が現れる(02:37)。その音は次第に大きくなり、キック音も加わって次の展開を予想させる。

 このブリッジについては、原曲のように左右に音を振ることが難しく、だからといってただ同じ音型を繰り返しただけではつまらなくなるので、譜例2のようにミニマル音楽的な手法をとった(浄書途中のため、総譜を用いた譜例には色々と不完全な部分があるので悪しからず)。ヴィオラのピチカートと(ダイナミックレンジの大きい)金管楽器のミュート音を核にして、徐々に他の弦楽器や木管楽器を加えていくことで次の展開に備えている。



 また、編曲版では原曲のキック音の代わりに、キックペダル式のバスドラムと大きなトムトムを重ねて使用している。前者はクローズ奏法(キック後にペダルを離さず、膜面にビーターを押し付けたままにする)、後者は膜面の中央を打つことでなるべく音の余韻を消そうとしているのだが、コンサートホール自体が残響をもたらすように作られているため、原曲のような切れのいいキック音は得られないだろう。このような演奏形態による空間的な相違は他の箇所でも問題になってくる。例えば、これまで何回か書いたように、音を気軽に左右へ振ることができない点もそうである。


 そんなこんなでブリッジ部分の盛り上がりが頂点に達すると(盛り上げ過ぎた編曲版では1小節の静まりののち)、ピアノの奏する5つの音によって一気に視界が開け、いよいよ本編ともいうべき部分の前奏に入る(02:55)。原曲ではこれまでのピアノ主体の背景に代わって電子音(この手の音楽に詳しくないので「電子音」の他の語彙を知らない)が登場し、その中で歌唱がたなびきながら消えていく。途中からピアノが16分音符であたかも流星のように装飾していき、電子音の同音連打とピアノの駆け上がるようなパッセージによる閃光に伴って歌唱が導入される。

 気づいた方も多いとは思うが、原曲でピアノを用いている箇所でも、編曲版では他の楽器を用いる場合がある。これは、編曲者が天の邪鬼であることも原因の一つであるが、電子音楽の中でのピアノの音とオーケストラの中でのピアノの音では性格が違うことも大きく関わっている(詳述するとさらに長くなるので、この違いは直感で掴んでいただきたい)。原曲どおりピアノの音を用いる場合でも、オーケストラと一緒に鳴らすときには木管楽器を重ねるようにしている。こうすることで木管楽器はピアノの鋭いアタックを、ピアノは木管楽器の柔らかい響きを得ることができる。この編曲では後者の目的で、また、音量を補強するためにもこの方法をとっている。


 前奏が終わり、再び譜例1の旋律が順に歌われる(形式を考えると前回が1番、今回が2番ということになるだろう)。背景では1番と同じようにピアノが伴奏をしているが、コーラスが抜けて新たにキック、ハイハット、そして電子音が加わる。したがって、一聴するだけで1番が「静」の音楽であり、2番が「動」の音楽であることが分かるだろう。ここで登場するキックはもちろんリズムを刻むものであり、電子音には主に(a)副旋律を奏でるもの、(b)より複雑なリズムを刻むもの(譜例3)及び(c)ベースとなるものがある。この中で、(b)と(c)にのリズムついて考える。



 (b)のリズムは16分音符を単位として作られており、これを聴く者は16分音符で区切りながら聴きたくなるだろう。ところが、この曲は16分音符単位だと500BPM前後になり、これではあまりに速すぎて認識しづらい。したがって、それに準ずる8分音符を意識することになる。また、(c)はキックが刻む3拍子のそれぞれ裏拍で鳴らされており、これも聴く者に8分音符を意識させることとなる。なお、(b)は前奏とサビに現れるが、(c)はBメロ(電子的な楽音は全て鳴り止み、山場の前に静寂を作っている)以外は常に鳴らされている。

 歌唱の旋律について同じように考える。Aメロ(03:38)は反復音群が1小節(4分音符3拍)であり、長短2つの音符からなる。譜例1-1では便宜上2.5拍+0.5拍としたが、よく聴いてみると長い音符はより長く、短い音符はより短く聞こえる。この反復音群には他に8分音符はおろか4分音符もなく、結果としてこの旋律は8分音符単位でとらえられることを拒絶し、聴く者にはむしろ反復音群1小節を1拍として認識されるのである。

 ピアノは伴奏として歌唱に寄り添い、キックとハイハットは電子音と共に8分音符のリズムを刻む。以上のことをまとめると、この箇所には、1小節単位で流れる歌唱の旋律と8分音符単位で刻まれる電子音のリズムが共存していることになる。この2つの対比によって、歌唱の旋律は浮遊感を増し、電子音のリズムは躍動感を増す。本作品における「静」と「動」の対比の極致である。

 Bメロ(04:19)に関しては、静寂を取り戻してサビに備える部分なので考えないことにするが、当のサビ(04:39)に関しては反復音群の長さも一定せず、リズムを1小節単位でとるには複雑である。(b)がAメロでなくサビのみに現れるのは、1小節単位でとりにくい歌唱の旋律に対して、(c)より複雑な(b)を加えることで歌唱と電子音のリズムの対比を保とうとするためでもあろう。


 サビの余韻も冷めることなくそのまま「外灯のストロボと〜」の部分(言わばCメロか)に入る(05:21)。2番では静まり返ったBメロがサビの前におかれていたが、このCメロの静寂はその後に続くサビの繰り返しへの予備となる。それでもなおサビと同じ旋律がピアノで奏でられ続けているのだから、それほどの反復に耐えられるこの旋律がいかに魅力的であるかが分かる。これには、Cメロ自体が質素なものであることも関わっているのだろう。

 しかし、そのCメロこそが管弦楽編曲における難所となるのである。歌詞を取ると上下の2音を往復する旋律だけが残ってしまい、これに楽器をあてるだけだと単調になってしまう。そこで、ヴァイオリンの1部と2部のそれぞれ16人の奏者を8-2-2-2-2に分け、最初の8人は主旋律を、次の2パートは原曲でも聞こえてくる歌唱のエコーを、最後の2パートは旋律の音価を倍にしてタイミングをずらしたものを演奏する(譜例4-1)。10パートがそれぞれ違う旋律を奏でることになるが、最後には1つの旋律(とそのオクターブ上下)に収束する(譜例4-2)。



 この部分の後半から曲の終わりにかけて、再び上述の(b)が現れるのだが、原曲ではこれまでと違って左右で異なるリズムが聴こえている。編曲版では、左のリズムをオーボエ族、右のリズムをクラリネット族が担当することで区別し、ヴィオラのピチカートでアタックを補強した。適切な楽器配置をすれば、ある程度のステレオ効果も見込めるだろう。

 しかし、ここでもオーケストラの空間的な特徴から来る問題がある。大人数が集まるため、どうしても端から端までの距離が広くなってしまう。仮にその距離を17mとして、音の速さを340m/sとするならば、端から端まで音が伝わるのに0.05秒かかることになる。これはこの曲であれば32分音符より少し短いくらいだから、あまりステレオ効果を優先しすぎるとアンサンブルが崩壊する恐れもある。


 さて、クライマックスでは半音ずつ上昇しながらサビが4回繰り返される(g moll (06:02) → gis moll (06:23) → gis moll (06:44) → a moll (07:05))が、後半の2回は歌唱を断片化することで単調になる(特に3回目は2回目と同じ調であることに留意したい)ことを防いでいる。また、後半の2回とそれに続く歌唱にはエコーがついているが、編曲版でも(聞き取りづらいが)ヴァイオリンでしっかりとつけている。

 この編曲版では音楽が盛り上がるたびにシンバルのロールを入れているが、最後の最後、4回目のサビの後だけはそれにタムタムを加えている(08:40)。動画ではそこまで変わらないように聴こえるが、実際に聴くと耳が壊れるかと思うほど大きな音が出る楽器である(シンバルだけでも相当だが)。シンパルのロールの鮮烈な音が流星の閃光だとするならば、タムタムのロールの轟音は隕石の衝撃である。もちろん音楽的なバランスを考えてのこともあるのだが、編曲者なりの洒落みたいなものだと思ってほしい。


 その隕石の衝撃に次いで、嘆きのような、祈りのような、あるいは目の前の光景に見とれているかのような溜息を思わせる歌唱が木霊しながら消えていく(07:24)。再び流星のようなピアノのパッセージが現れ、最後にはメトロノームの音だけが残る。

 かつて地球に隕石が激突し、その破片がまとまって現在の月になったという説があるが、もしかすると隕石の衝突によって、新たなメテオとなる星の欠片が産まれることがあるかもしれない。正確にリズムを刻むメトロノームは、絶えることのない時間の流れの象徴である。たとえ全てが滅びようとも、時が動き続けている限り、必ず何かが産声を上げる瞬間が来る。そんな「幸せな朝」を夢見ることができるからこそ、滅びは美しいのである。

コメント

佐竹 信義
No.1 (2016/04/03 01:46)
学問的な音楽は何一つ理解できませんでしたが、非常に面白い記事でした。緻密に計算された8分間を冗長に感じさせない。むしろ流星のあっと言う間に過ぎていく原曲の良さを、何一つ損なわず、2分の延長も管弦楽の良さを最大限に引き出した産物。音楽を形作る計算も、形式的で、重く冷たいものではなく、温かみのある色豊かな旋律に変えています。
静と動の繰り返しは儚げで、文学的です。ふと、古代から受け継がれる「あはれ」の精神を思いました。対極的な両者を緻密に織り交ぜ、作曲、編曲する技術はとても素晴らしいものです。
この素敵な世界観を作り出した作者と編曲者に感謝したいです。
コメントを書き込むにはログインしてください。

いまブロマガで人気の記事