まりさるの☆ウェーぶろぐ

【参考資料】キルケゴールの「三つの実存段階」とニーチェの「精神の三様の変化」に関するノートを晒す回 ~ (ふろく)【ラブライブ!スーパースター!!】Liella!(リエラ)ちゃんについて少しばかり語る回

2021/01/31 14:40 投稿

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皆さん、こんにちわ(^o^)

前回の記事で「今は小説らしき作文を書いている」とか言いましたが、作品をこしらえている最中に副産物が出来たりするというのはよくある話で、今回の記事のネタはそれです。
例えるなら、豆腐を製造する過程でおからが出てくるようなものでしょう。

さて、過去の拙記事にキルケゴールの「三つの実存段階」とニーチェの「精神の三様の変化」というのを紹介したことがあったと思います。しかしそれらの具体的な内容については自分で書くのが面倒だったので、誰かの記事のリンク先を貼って丸投げにしていました(^^;

例えば、これらの過去記事がそれです(笑)

(2018年5月2日投稿)
【読書感想文】ヘルマン・ヘッセの『デミアン』(第5章)について語る回〈前編〉

(2019年11月17日投稿)
【雑談】【哲学談義】ここで今一度「自分の人生を見つめ直してみる」「イデアと実存について具体的に語ってみる」回

それで今回の拙記事では、キルケゴールとニーチェのそれぞれの説の具体的な内容について、
結局は書物からの抜粋だったりするわけですが、自分なりにまとめたものがあるので、それを晒しておこうと思います。
               
西洋哲学史では実存哲学の始祖といわれるキルケゴールですが、彼は人間の「自己」というのは「絶望」を契機に〈美的実存〉から〈倫理的実存〉へ、そして〈宗教的実存〉へと三段階の過程をたどるのだと主張しました。
               キルケゴール(1813~1855)

なお、この議論の説明については、白取春彦『この一冊で「哲学」がわかる!』(三笠書房)から抜粋しました。

           キルケゴール「三つの実存段階」

 そして、実存の自由を得ている人間がどのように「自己」に目覚めていくか
ということを、キルケゴールは三つの実存段階として呈示しています。

〈美的実存の段階〉

 行動や選択の理由が美や快楽になっている段階。

 いわゆる感覚的な生を生きているという状態です。
美貌の異性に憧れるのはもちろん、有名になろうとする努力、より多くの金銭を
得ようとする努力、物質的に豊かな生活を欲して条件に見合う異性と結婚しようとするのもこの段階です。

 一般にいわれている幸福を目指して努力精進すること、健康維持の追求さえ
含まれます。(多くの商品は、人間のこの美的快楽の追求をいちじるしく刺激するものです。)

 しかし、望むことを手中にしたところで、待っているのは深い倦怠です。
望むものを手にできない場合は激しい自己嫌悪に襲われます。
その挫折感が深まり、絶望に達したときのみ、人間は次の実存段階に進む契機を
与えられるのです。

〈倫理的実存の段階〉

 人間性の精神性に目覚め、倫理的に生きようとする段階。

 高い人格を持つためにこうなるべきであるとされている倫理的な人間像に自分を近づけていこうと行動する段階を指します。
これが極まると、自分の無力さに突き当たります。あるいは、自己はほとんど倫理的な完全に近づいているという傲慢の罪に陥ります。

 人間としての限界と無力さに突き当たって絶望の淵に足を滑らせたとき、
新しい段階へのステップが始まるのです。

〈宗教的実存の段階〉

 重なる絶望の果てに、自己を神にあずける段階。

 一般的な場合、自己否定によって、自己の罪を悔い改めます。
そして自己の内部に神的存在を受け入れるのですが、両者の実存のギャップのために、自己は再びひどい罪悪感にさいなまれることになります。

 こうして、人間は自分とはあまりにも異質である神の実存を受け入れるように
なります。罪ある自己が、神の清澄な実存の前に「単独者」として立たせられるのです。その足を支えるのは、理性を超えた不条理な「信仰」だけです。

※注)キリスト教で「罪」とは、人間が善悪や道徳を判断する「自由」を持っていることを指す。

     ――白取春彦『この一冊で「哲学」がわかる!』(三笠書房)より――

そう言えば、2月は「バレンタインデー」とかいう、われわれにとってはどうでもいいようなイベントがありますね。これは非リア充たちにとっては、1年のうちでクリスマスと並ぶ最高に最悪な受難の日とも言えそうですが、世俗化されたキリスト教というのは、恵まれない者や幸薄い人々にとんでもない仕打ちを与えては絶望へと追い込むようなマネをして、言語道断、まったくけしからんですね!(´-ω-`)

キルケゴールは、デンマーク王国のコペンハーゲン市民で、19世紀の当時の腐敗したキリスト教の国教会を痛烈に批判したことで、その方面で有名な人だったと、たしかそうだったと思います。

この時代は、政教分離の原則とかそういう近代的な概念は、人間的、あまりに人間的な人たちの間では存在しても、まだ社会一般に普及するまでには至らなかったのでしょう。興味のある方は調べてみるとよいでしょう(^ω^)

さて、「三つの実存段階」に従って「自己」が覚醒していくことによって、「私」の人生には一体どのような変化が起こるのか?

例えば、あの悩ましく恨めしいバレンタインデーに対する態度も、こんなふうになる('ω')ノ

〈美的実存の段階〉
おれもチョコほしい。かわいい彼女ほしい。おま〇こしたい。おっぱい!おっぱい!

〈倫理的実存の段階〉
2月14日は聖バレンタイン司祭の命日。彼は愛の殉教者であった。この日は司祭の慈愛の心を偲ぶとともに、煩悩にまみれた衆生どもの、愛と平和と調和を願わなければならぬ。

バレンタインデーの由来とは?聖バレンタインとは?なぜチョコを贈る?|今日も良いことがあるように

〈宗教的実存の段階〉
「神の前の単独者」の覚醒レベルにまで到達した「自己」の境地というのは、つまり・・・
    ぼく:「ねえ、女神様。世間ではバレンタインデーだってよ。チョコおくれ。」
    のぞみ:「チョコ? それより、この子らとニンジン食べよし。これあげるわ。」

こうした「自己」の覚醒も、何か重たいものが底の方へと沈んでいった後の上澄みのような、そういった境地まで極めてしまうと、「ごちうさ」のメグちゃんの奥ゆかしい可愛いらしさに開眼するのは、もはや時間の問題。(←いったい何を極めようとしているんだ!?)

それで、虚構の世界と親しくなると、それはすなわち現実逃避ということになるのだろうか? 
できれば、それは現実世界との和解を促す契機となるべきだ。そのように思います。

「現実世界とか、まるでクソの塊。リア充爆発しろ。」から「バレンタインデーも、まんざら悪いものでもないな。」と思えるようになれたのは、たぶんこのMVのおかげ。(^ω^)
    

はい、次。(・ω・)ノ

ニーチェは、彼の代表作である『ツァラトゥストラ』の中で「精神の三様の変化」というのを唱えました。これは人間の精神が「駱駝→獅子→小児」へと変化を遂げるというものです。
                ニーチェ(1844~1900)

内容の理解が少しでも容易になるようにと、こっちの方で少し手を加えてはいますが、ツァラトゥストラ(ゾロアスター)となったニーチェは、次のようなことを語ったのでした。

           ニーチェ「精神の三様の変化」

 わたしは君たちに精神の三様の変化について語ろう。すなわち、どのようにして精神が駱駝となり、駱駝が獅子となり、獅子が小児となるかについて述べよう。

(ⅰ)
 畏敬を宿している、強力で、重荷に堪える精神は、数多くの重いものに遭遇
する。そしてこの強靭な精神は、重いもの、最も重いものを要求する。

 何が重くて、担うのに骨が折れるか、それをこの重荷に堪える精神はたずねる。そして駱駝のようにひざまずいて、十分に重荷を積まれることを望む。

 最も重いものは何か、英雄たちよ、と、この重荷に堪える精神はたずねる。
わたしはそれを自分の身に担って、わたしの強さを喜びたいのだ。

               (中略)

 すべてこれらの最も重いことを、重荷に堪える精神は、重荷を負って砂漠へと
急ぐ駱駝のように、おのれの身に担う。そうしてかれはかれの砂漠へ急ぐ。

(ⅱ)
 しかし、孤独の極みの砂漠のなかで、第二の変化が起こる。
そのとき精神は獅子となる。精神は自由をわがものにしようとし、
自分自身が選んだ砂漠の主になろうとする。

 その砂漠でかれはかれを最後に支配した者を呼び出す。
かれはその最後の支配者、かれの神の敵となろうとする。
勝利を得ようと、かれはこの巨大な龍と角逐する。

 精神がもはや主と認めず神と呼ぼうとしない巨大な龍とは、何であろうか。
「汝なすべし」それがその巨大な龍の名である。
しかし獅子の精神は言う、「われ欲す」と。

「汝なすべし」が、その精神の行く手をさえぎっている。金色にきらめく有鱗動物であって、その一枚一枚の鱗に、「汝なすべし」が金色に輝いている。

 千年にわたったもろもろの価値が、それらの鱗に輝いている。
それゆえ、あらゆる龍のうちの最も強力なこの龍は言う。
「諸事物のあらゆる価値――それはわたしの身に輝いている」と。

「いっさいの価値はすでに創られた。そして創られたいっさいの価値――それはわたしである。まことに、『われ欲す』は、あってはならない」そう龍は言う。


 わたしの兄弟たちよ。何のために精神の獅子が必要になるのか。
なぜ重荷を担う、諦念と畏敬の念にみちた駱駝では不十分なのか。

 新しい諸価値を創造すること――それはまだ獅子にもできない。
しかし新しい創造を目ざして自由をわがものにすること――これは獅子の力でなければできないのだ。

 自由をわがものとし、義務に対してさえ聖なる「否」をいうこと、
わたしの兄弟たちよ、そのためには、獅子が必要なのだ。

 新しい諸価値を立てる権利をみずからのために獲得すること――これは重荷に
堪える敬虔な精神にとっては身の毛もよだつ行為である。まことに、それはかれにとっては強奪であり、強奪を常とする猛獣の行うことである。

 精神はかつて、「汝なすべし」を、自分の奉ずる最も神聖なものとして愛していた。いまかれはこの最も神聖なもののなかにも、迷妄と恣意を見いださざるをえない。そして自分が愛していたものからの自由を強奪しなければならない。
この強奪のために獅子を必要とするのだ。

(ⅲ)
 しかし思え、わたしの兄弟たちよ。獅子さえ行うことができなかったのに、
小児の身で行うことができるものがある。それは何であろう。
なぜ強奪する獅子が、さらに小児にならなければならないのだろう。

 小児は無垢である、忘却である。新しい開始、遊戯、おのれの力で回る車輪、
始原の運動、「然り」という聖なる発語である。

 そうだ、わたしの兄弟たちよ。創造という遊戯のためには、「然り」という
聖なる発語が必要である。そのとき精神はおのれの意欲を意欲する。
世界を離れて、おのれの世界を獲得する。 


 精神の三様の変化をわたしは君たちに述べた。
どのようにして精神が駱駝になり、駱駝が獅子になり、獅子が小児になったかを
述べた。

      ――ニーチェ 手塚富雄 訳『ツァラトゥストラ』(中央公論新社)――

(既存の諸価値に対して)従順な「駱駝」の精神は、やがてそれらに反抗する「獅子」となり、獅子の過程を経たのち、新たな価値の創造者としての「小児」へと変化していくという、この一連の流れは、古典文献学の学者から在野の哲学者へと転向したニーチェ自身の生涯の遍歴を言い表したようにも思われます。

彼は28歳の時に『悲劇の誕生』を発表しましたが、このために彼は古典文献学の学会を破門になり、そしてそれが「哲学者ニーチェ」の始まりでした。

キルケゴールは、19世紀の前半にキリスト教を徹底的に批判した、その方面での有名人だったわけですが、後半ではニーチェがその役となったようで、話によれば『ツァラトゥストラ』は聖書のパロディなのだそうです。

また伝記によれば、ニーチェは44歳の時に発狂して55歳で没するまでの間、彼は廃人となって人生を過ごしたということです。

哲学者としてのニーチェの業績がそろそろ世にも認められ始めたのは、彼がすでに廃人として余生を送っている頃になってからのことだったそうです。

そして先述したキルケゴールですが、生前はコペンハーゲン市の一部の間で変人として名の通っていた彼でしたが、実存哲学の第一人者・西洋哲学史には欠かすことのできない存在として彼の名が国外にまで知れ渡ったのは、彼の死後になってからのことでした。

・・・そこで、ひと言。('ω')ノ

「天才」とは、富や地位や名声の問題ではなく、己の生きざまに関わる問題なのだ。

もっとも、ニーチェには重度の眼病があって、そのために障害年金を受けながら生活していた年金生活者で、また、キルケゴールは彼の人生の最期になるまで、父の莫大な遺産に寄食していたわけではありますが。。。

ここでわれわれが銘記しておくべきことは、こうした後世に偉大な業績を遺してくれた人生の偉大な教師たちも、彼らの著作では食って行けなかった。天才はつらいよ。(´・ω・)

それはさておき、ここでもう一つ付け加えると、ヤスパースはキルケゴールとニーチェの両者の影響を強く受けた哲学者だそうです。彼はそこから独自の神秘的な哲学の体系を展開していったのでした。
               ヤスパース(1883~1969)

ヤスパース哲学の重要な概念に「限界状況」というのがあります。これもどこかの過去記事で紹介したことがあったと思いますが、人類には大切なことなので、ここでもう一度、おさらいしておきましょう。

限界状況 - Wikipedia

 限界状況とは、具体的には、自分はいずれ死ななければならない(死)とか、
思い悩むことから逃れられない(苦悩)とか、自分は闘わなければならない
(闘争)とか、あるいは、意識的にも無意識的にもを犯すことから免れない
(罪責、原罪)ということである。

 これらの状況は普通の状況と異なり、変化することがなく、意志努力によって変えることのできない、人間存在にとって巨大な壁となって立ちふさがる状況であり、人はただそれに衝突し、挫折するほかない。
 それは時代や民族、あるいはどのような個人にとっても免れることのない点で
普遍的である。

 限界状況の典型例が「自己の死」である。
人は、それに突き当たることによって、各人がそれまで意識していた自己自身の
存在に対する確実性の挫折を自覚させられる。

 ヤスパースによれば、人は普段は気晴らしなどにふけることによって、
実はすでに前提として限界状況のうちにあるのだということを忘れてしまっているとしている。
 そして、壁に突き当たって挫折する経験は、人をして頼るべきもののない孤独絶望とに突き落としてしまう。
 しかし、このように限界状況に直面したときにこそ「実存的まじわり」や
超越者との出会い」によって、人は実存に目覚めるのであると主張した。

                   ――Wikipedia「限界状況」より――

ところで、自分は「今は小説らしき作文を書いている」わけですが、自分が作品で描きたいとするのは、ありふれた絶望の果てに体験された「超越者との出会い」であり、そして「実存的交わり」を通じて紡ぎだされる「重たいものが底の方へと沈んでいった後の上澄み」のような世界であって、この無垢の生成はつまり・・・

        完璧で純粋なセカイが欲しい 綺麗なものしかない場所
           ありえない? ありえます! きっとある


    
「Perfect SEKAI」のMVについては、前回の記事でも語ったところですが、特にこの楽曲の詞については、自分がこれまでの拙記事でとりとめもなくつらつらとしたためて続けてきたよしなし事を象徴的な文言に抽象化・結晶化させ、昇華させてくれたようにも思われました。

今回はまた、畑先生に対する同志愛と敬愛の念を殊更に強くせずにはいられない。(^^)b

自分は基本的に孤独な人間で、ぼっちの非リア充、空虚な儚い生命、さいみしい存在、……。

そんな自分が「ラブライブ!」に出会ったのは2014年の夏ごろでした。それ以来、この作品は自分の日常の中にすっかり溶け込んで、いつもそばにいてくれる存在となり、励ましや慰めや希望を与え続けてくれたのでした。

そして驚くべきことに、この作品は、自分が人生で最大の関心事としていることについても、一緒になって考えてくれているようなのでした。今回もまた然り。

これまでに「ラブライブ!」さんには、深いよろこびを伴った驚きが体の底から湧き上がってきては体中にみなぎるような、そんな体験を何度かさせてもらって、「こんな救いようのないオレの人生ではあったが、とりあえず生きててよかったな。」と、しみじみとした感慨を覚えることもあったりして、少しは自分の人生を愛することができるようになれました。

これは全く有り難いことです。深く感謝します。(´ω`)

自分の人生を愛せるようになって、世界が親しいものに思えてくる。

「ラブライブ!シリーズ」が作品のコンセプトとして掲げている「みんなで叶える物語」と、そして「ラブライブ!スーパースター!!」で新たに加わった「私を叶える物語」の究極の目標というのは、たぶんこういうところにあって、それはまた、およそ人類における友愛と平和と自由の原理であるようにも思います。

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それでは「付録」のコーナーです(^o^)

LoveLive! Days ラブライブ!総合マガジンVol.05 2020スタート!! スペシャル号」の誌上で「ラブライブ!新シリーズプロジェクト始動!!」の発表がなされてから、今でちょうど1年になる頃だと思います。
    
その間にキャラクターやタイトル、学校名、グループ名、キャストなどの作品世界の基本設定の決定内容が徐々に公表されていって、デビューシングルのリリースの告知となりました。

そして年が明け、ここに来てようやく、生放送でLiella!(リエラ)ちゃんのキャストメンバーが集結した姿をわれわれも拝むことができる運びとなって、同時に記念すべきデビューシングル『始まりは君の空』の試聴動画も公開されました。おめでとうございます(^^♪
    
    
  作詞の方は、引き続き畑亜貴大先生が担当されているようで、ひとまず安堵。(´ω`)
Liella!ちゃんのデビュー曲の衣装は、何やらモコモコさんな感じのジャケットを羽織っておられるようですが、今回のプロジェクトのメンバーにはネイティブの熱烈に圧倒的好看な中国娘も在籍されており、これは「北京やハルピンでもライブができるぞ!」みたいなポテンシャルをアピールされているのでしょうか!?

ところで「ラブライブ!サンシャイン!!」では、これまでにAqoursちゃんの3rdライブツアーと派生ユニットのCYaRon!ちゃん1stライブでそれぞれ福岡公演が開催されました。どういうわけか、大規模な主要なライブではわざわざ福岡まで来てくれました。後者のライブは開催地が小倉だったわけですが、こちらとしてはそれでなおさら、ありがとうございます(^^)v

あの時は、博多公演と小倉公演のどちらの会場も、中国、台湾、韓国の各方面から来られたと思われるファンの方たちがそれなりに参加されていました。おつかれさまです( ^^) _旦~~

実は、そこでは運営当局による隠密にして綿密なマーケティング調査が行われ、調査の結果、新プロジェクトのメンバーに唐 可可ちゃん???――カワイイ(⋈◍>◡<◍)。✧♥♥♥

         「中国娘の上海人、唐 可可(タン クゥクゥ)デス」


余談ですが、静岡県ほど盛んではなくても、福岡市と北九州市はテストマーケティングの聖地だという話を、過去にマーケティングの入門書的な学術書で読んだ覚えがあります。

          
   これも余談ですが、音楽で「La Femme Chinoise(中国女)」と言えば、これ(^^♪

「ラブライブ!シリーズ」運営当局のマーケティングセンスには、いつも甚だ感心させられるものがありますが、今回のLiella!ちゃんのデビューシングルもその例外ではなく、『始まりは君の空』のCDは「みんなで叶える物語盤」と「私を叶える物語盤」の2パターンで発売されるということでした。(゚д゚)!

このような販売方法を見るに及んで「また姑息な販促技を使いやがって、コノヤロー!」とか正直思ったわけですが、この点については、リリース記念イベントに加えてリリース記念オンラインイベントを開催することで「応募券使えよー♪」みたいなことをやって丸く収めているようですね。みんなはどの子と話してみたいですか?(^ω^)

さて、「ラブライブ!スーパースター!!」は、個人的には、作品世界の基本的な設定が徐々に公表されていくごとに、すでにどこか親しみを感じてしまうことになったわけですが、理由はたぶん、この過去記事(笑)

(2019年9月8日投稿)
諸般の事情あって、約6か月ぶりの投稿となりました(^^;・・・今回は、その間の出来事についての雑談や考えたことなどをまとめて語る回

この過去記事は6~7本分に相当する内容を1本に強引につなげたという、ただひたすら長いだけの訳の分からんものでした(笑)

そこでは【1】「某図書館に入居しているカフェのメニューに”焼きりんご”があった」とか言っては文学や哲学のネタを語ったり、【2】「中国人コスプレイヤーのリーユウちゃんが熱烈に圧倒的好看で、モエモエのエモで、ああヤバい♡」とか、【3】「ラブライブ!フェスではμ’s(ミューズ)の派生ユニットも復活させて、lily white(リリーホワイト)の『乙姫心で恋宮殿(おとひめはーとでらぶきゅうでん)』をライブで初披露してほしい!」とか、また何の臆面もなく無茶な要望を出したりしていました。。。(^^;

「ラブライブ!スーパースター!!」は、基本コンセプトが従来の「みんなで叶える物語」からさらに「私を叶える物語」が追加されましたが、それが両輪になると「あなたを叶える物語」も導出される「ありえない? ありえます! きっとある」の確率分布方程式(←意味不明)

【1】
まずは、かのんちゃんの好きな食べ物の筆頭が「焼きリンゴ」(^o^)

上の画像の吹き出しの箇所には、それぞれこんなことが書かれてあります(^^♪
・「お母さんはカフェを経営してる。
     お父さんは翻訳家で、いつも書斎にこもりきりなんだ。」
・「ペットは、コノハズクのマンマル。カフェのマスコットでみんなの人気者だよ。」
・「カフェの看板メニューは生クリームを添えた焼きリンゴ。うちの自慢の一品!」
・「おばあちゃんはスペイン人なんだ。おばあちゃんが作るパエリアが大好きなの!」
・「街を歩く時は、ヘッドホンをつけてることが多いかな。
     でも音楽を聴いていると、つい歌っちゃうんだよね。」
余談ですが、ここは私のかりそめの書斎です(ただし有料)
以上から、かのんちゃんには、どことなく「わが子」感があります。
そういう意味で、これからの成長をずっと見届けていたいようなキャラでもあります。

もし、この子でスケベなことを妄想したら、イノセントタブーの罪科に問われて、きっと天罰が下されることでしょう。。。

【2】

    
唐 可可(タン クゥクゥ)ちゃんのキャラ設定・・・上海人で日本語はペラペラではない。

この設定を見て「キャストはLiyuu(リーユウ)ちゃんだったらいいな」と思っていたら、本当にそうだったので、僕らの期待を裏切らない「ラブライブ!」さん大好き(⋈◍>◡<◍)。✧♡
しかし今回の、メンバーにネイティブの上海人が加わるという展開は、運営当局は何か目論見でもあるんですかね???

ここで勝手に想像を逞(たくま)しくすれば、「ラブライブ!」のコンテンツは日本の市場だけではすでに飽和状態にあって、ここで本格的に中国に進出して市場を拡大しようと、この度はわざわざプロジェクトの方から彼女を招聘(しょうへい)されたんですかね???

「ラブライブ!」のキャスティングはオーディションによって決定されていたと思いますが、リーユウちゃんは本コンテンツの将来を左右する存在として、特別な任務を帯びた革命烈士の燃えるロマン。僕たちの未来は君の双肩にかかっている!・・・そんなシナリオ!?

ぎこちない日本語がご愛嬌のLiyuuちゃんも、土俵が変われば、五星紅旗の大星のポジションで輝く存在になるであろうことが、容易に察せられるであります。がんばれ!りーちゃん(^o^)

【3】
葉月 恋ちゃんと結ヶ丘女子高等学校の設定エピソードには、lily whiteの「乙姫心で恋宮殿」の歌の内容と相通じるものを勝手に感じ取ったりして、そのため、恋ちゃんは個人的には最も気になるキャラだったりします。

では、どうしてそう思ったのか、根拠になりそうな物件を提示しておきましょう。('ω')ノ
    
   この画像のテキストの枠内には、およそ以下のような文言が記されております。
     お召しになられているお洋服にも、リリホワな雰囲気が漂っているようです。  
……いい風。

ここからの眺めは、時を重ねるごとに変わっていきますね。
古いビルが消えて、新しいビルができたり、
道行く人のファッションの流行が巡ったり。
街路樹の落とす影さえ、同じではない。

最近、この景色を観ていると、不思議な気持ちになります。

街はこんなに変化しているのに、
私だけが、ずっと同じところに……
まるで、自分で作ったタイムカプセルの中にいるようです。

孤独……、なのかもしれません。
それを孤高と呼べるほどには、まだ大人にもなりきれない。

だけど、それが私の選んだ生き方ですから。
変わっていくことと同じくらい、
大切なものを守り抜くことにだって、意味はあるはずでしょう?

あ……。あそこを歩いているのは、うちの学校の生徒たちですね。
ふふ。楽しそうな顔をして、
何を話しているのでしょうか。

――彼女たちの笑顔が、信じる強さをくれるのです。
私が守ろうとしているのは、
あの笑顔と……大切なものたちの未来だと。
この場面で恋ちゃんが語っている内容の趣旨というのは、端的に言ってしまえば「人の世は(すぐにすぐに)変わるけど 私の願いは(変わらないわ)」の乙姫心ですね(^_-)-☆

それで、ここが「伝説の宮殿」です。上のテキストを見ていると、この学校は恋ちゃん所有の不動産みたいな感じになっているので、ここはつまり「恋宮殿」であると言える。うむ。
画像内には「創立者のあいさつ」と「沿革」が掲載されています。ぼくも昔は一時期、仕事でこんな文書を書いていたことがあったんですよ(←ウソではない)
               創立者のあいさつ

 本校は、この地に長きにわたり、地元の子が勉学に励んだ、高等学校の後を受け、新たにスタートを切ることになった新設校です。地元に根ざした古き良き、学校の理念や精神を受け継ぎつつ、この時代に合った新たな学校として、歩みを進めていきます。
 インターネットが普及し人と人との結びつきが希薄になった現在、人と絆を深め、人を思いやる心を育み、その中でその人らしい夢を見つけ、未来に向かって羽ばたける場を作っていくということであります。勉学や運動に励むことはもちろんですが、それ以上に健やかな心、人の痛みを知る人間を育てて行くことを目標に、この地に根ざした、新たな学校を生徒と共に作り上げていきたいと思っております。
                 沿 革

 この町に、今年になって新しく誕生した新設校。
 前身はこの地に古くからあり、地元の生徒たちに愛された女子高等学校であり、生徒不足による廃校から数年、取り壊し寸前だった学校を地元の名士が買い取り、新たな高等学校として再スタートを切ることになった。
 今年開校のために、現在生徒は一学年のみ。最終的には、三学年、三百人から五百人程度の生徒数となる学校を目指している。

余計なお世話かもしれませんが、「創立者のあいさつ」の文章については「私たちが目指しているのは、インターネットが普及し……」みたいに手直しされるとよいでしょう。原稿の〆切に追われていたんですかね? おつかれさまです。(^ω^)

それはさておき、物語の舞台となる学校名は「創立者のあいさつ」の趣旨に十分適っていると言えそうな「結ヶ丘女子高等学校」に決定して、これはつまり「うず潮よりはげしく あなた揺さぶり結ばれたいの(もう離さない)」の、ここもまた「乙姫心で恋宮殿」(^^♪

葉月 恋ちゃんと掛けて、結ヶ丘女子高等学校と解く。その心は「乙姫心で恋宮殿」

こんな感じに適当なオチをつけたところで、このネタはこれくらいにしておいて、1月30日のLiella!(リエラ)ちゃんの初生放送では、葉月 恋ちゃん役:青山なぎささんの「女子アナ感」が視聴者にかなり好評だったみたいですね(⋈◍>◡<◍)。✧

オトコはみんな女子アナ大好きだよね。おれも大好き(^o^)

青山なぎさって人・・・:ぐら速 -声優まとめ速報-

【新ラブライブ声優】青山なぎささんの美しすぎる顔推し:Twitterアニメ実況民のブログ

上の記事によれば、彼女は「中央大学政策学部4年生」「日本一の大学サークル美人を決めるミスコンテスト『MISS CIRCLE CONTEST 2019』(ミスサークルコンテスト)準グランプリを獲得している」ということです。自然な流れで行けば、女子アナへの道だったはずですが、ここでまた何で声優なんかに???Σ(・ω・ノ)ノ!

Liyuuちゃんには「ラブライブ!」が中国で本格的な市場の拡大を実施するために親善大使を務めてもらうことで、中国での販路開拓を円滑に行うための日中友好の架け橋の役目になってもらうという特命任務がありました。(←いつの間にか勝手にそういうことになっている)

そうすると、おそらく、なぎさちゃんは国内に在住の女子アナ厨をラブライバー化することで内需の拡大を図るという、国内向けの特別任務があるものと思われます。(←たぶん)

なぎさちゃんには、テレ東の大江麻理子アナに勝るとも劣らない立派な女性声優さんになってもらいたいですね!(←話が支離滅裂www)
 ♥女子アナ厨をラブライブ!沼にめでたく誘導できるか? がんばれ!なぎさちゃん

国内外を問わず、世界を股に掛けて潜在的な需要を掘り起こし、魅力的な市場を創造していくことに弛(たゆ)まぬ努力を続け、――単なるファンの一人が勝手に考察するビジネスとしての「ラブライブ!」ですが、運営さんの有能さには、まったく頭が下がるばかりです(´ω`)

今回の記事はこれくらいにしておきます。次回はAZALEAの1stライブの感想を語るだろうと思います。それでは皆さん、ごきげんよう(^o^)丿

(2021年2月14日追記)
アゼさんの1stライブは、今回もコロナ禍のために中止となってしまいましたか、、、大変に残念です(ノД`)・゜・。
これは単純に開催のタイミングが悪かったと思われます。次のリトライは有り得るのかどうか分からないですが、何言っていいかも分からないので、とりあえず、みんながんばれ!

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