あざみと学ぼう。歴史ッ!!のコーナーで〜す♫
その82 義に生きた男
こんばんわあざみです。
この歴史をまなぼう☆では、魔界には欠かせないファクターである“歴史”を一緒に薊と学んでいこうではないか!!というブログです。
魔界での歴史上の武将たちのその生き様や、心意気、はたまたどうして死んだのかといういわゆる歴史を紹介し、魔界をさらに楽しんじゃおうという気持ちをもって筆をとらせていただいている次第です!
そんじゃま〜はじめます。
陶隆房がついに決起。
エ◯チだってしたのにふざけんなっ!!!エ◯チだってしたのにふざけんなっ!!!エ◯チだってしたのにふざけんなっ!!!・・・・
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静まりかえった大寧寺。
大内義隆に味方したのは、側近の冷泉隆豊(れいぜいたかとよ)を含む、わずか2000人ほど・・・一方の隆房には、武闘派中心に1万人ものメンバーが味方します。
この数字を見ても、理由はどうあれ、もはや、家臣たちの心は義隆から離れていた事がわかります。
陶軍が大寧寺を包囲すると
ザッザザッ。。
「ぐぎぎぃ。許さんぞ。許さんぞおおお隆房ぁぁぁあああ。」
大寧寺の闘いがはじまりました。
うおおおおおおおおおおおおおおおお
わああああああああああああああああああああああああ
闘いのなか。義隆は一万の兵を目の当たりにして早々に諦めてしまいます。
「つーか無理っしょ。」
「もはやここまでぇぇえええん。」
「あぎいいいいいいいいいいいい。ほるびぃぃ。」
「殿。逝くのはや。」
ザシュッ!!
冷泉隆豊は義隆の介錯を務めた後。
「やむをえまい。」
「我は最期の時まで大内軍の将。冷泉隆豊なり。」
自身も陶軍の中に突撃していく。最後まで義隆に従った重臣の冷泉隆豊の最期は壮絶なものだったと伝えられ、攻め寄せる敵兵が恐れを成すまで戦い、火をかけた経蔵に入って辞世を詠んだ後に十文字に割腹、内蔵を天井に投げつけたり、その腸を敵めがけて投げつけたと伝わっている。
(死に方が凄まじすぎる!!)
また、隆豊が籠もった経蔵に続く坂道は冷泉坂と呼ばれており。
魔界での冷泉隆豊役の宮本裕向選手の出身は広島で山口県にある大寧寺の冷泉坂の話を聞いてあの冷泉坂ですか!!?と言っており、わりと冷泉坂を出入りしていたそうです。
もしかしたら宮本さんは本当に冷泉の生まれ変わりかもしれませんね!
つづく。
それではまた明日のこの時間にお会いしましょう。
今宵はここまでに致しとう御座います。
あざみ
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