おはようございます。マクガイヤーです。
『ライズ オブ ザ ローニン』が気になっているのですが、なんだか全然ゲームをプレイできそうな時間がありません。初夏で気持ちの良い天気になってきたせいか、最近すぐ眠くなっちゃうんですよね。
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
〇6月9日(日)19時~「『マッドマックス:フュリオサ』とジョージ・ミラーのデス・ロード」
5/31より『マッドマックス:フュリオサ』が公開されます。2015年に公開された『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の前日譚であり、フュリオサの若き日を描くスピンオフ映画であるそうです。どう考えても名作です。
そこで、ジョージ・ミラーの過去作を振り返りつつ、『マッドマックス』シリーズ全体を解説するような放送を行います。
ゲストとして編集者のしまさん(https://twitter.com/shimashima90pun)と友人のナオトさん(https://twitter.com/Triumph_march)をお迎えしてお送り致します。
〇6月24日(月)19時~「最近のマクガイヤー 2024年6月号」
お題
・時事ネタ
・『朽ちないサクラ』
・『バッドボーイズ RIDE OR DIE』
・『ザ・ウォッチャーズ』
・『極道恐怖大劇場 牛頭』
・『ULTRAMAN: RISING』
・『蛇の道特捜戦隊デカレンジャー 20th ファイヤーボール・ブースター』
・『チャレンジャーズ』
・『ユニコーン・ウォーズ』
・『告白 コンフェッション』
・『アトラス』
・『関心領域』
・『ミッシング』
・『トラペジウム』
・『胸騒ぎ』
・『鬼平犯科帳 血闘』
・『悪は存在しない』
・『無名』
その他、いつも通り最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
〇藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄の作品評論・解説本の通販をしています
当ブロマガの連載をまとめた藤子不二雄Ⓐ作品評論・解説本『本当はFより面白い藤子不二雄Ⓐの話~~童貞と変身と文学青年~~』の通販をしております。
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また、売り切れになっていた『大長編ドラえもん』解説本『大長編ドラえもん徹底解説〜科学と冒険小説と創世記からよむ藤子・F・不二雄〜』ですが、この度電子書籍としてpdfファイルを販売することになりました。
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合わせてお楽しみ下さい。
さて、本日のブロマガですが、映画『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション(以下デデデデ)』を観て世界認識が冷笑的だという一連のツイート、じゃなかったポスト(https://togetter.com/li/2374021)をみて、納得すると共に、それでも浅野いにおの漫画家としての来歴から考えると段々マシになってるし、映画は共同作業故にちょっとオトナになってるんだよなー、と思ってしまいました。
ニコ生でも言及しましたが、以下にまとめとして書かせて下さい。
●『デデデデ』の冷笑的世界認識
3年前の8月31日、突如東京上空に巨大な円盤「母艦」が出現する、多くの死者が出ながらもアメリカ軍の新型爆弾「A」による攻撃で「母艦」は渋谷区上空で停止、時折母艦から出てくる「侵略者」を駆除する自衛隊による戦闘が日常となった東京で、主人公である小山門出は中川凰蘭(おんたん)は親友たちと共に高校生活を謳歌していた――というのが『デデデデ』のあらすじです。
『デデデデ』では一貫して、この世界に絶対的な善悪やイデオロギーは無く、「絶対」があるとすればそれは身近な誰かとの関係性だったり、日常にある小さな幸せだったり、というのが繰り返し描かれます。
例えば、門出の母親は「A線」による汚染を恐れマスクとゴーグルを決して外さず門出と対立していますが、再婚予定の男性である高畠を交えた三人での団欒が、一瞬であるけれど確かに発生した幸せな瞬間として描かれます。
例えば、高校生時代に主人公たちを含んだ仲良し5人グループを恋愛で抜け出したキホちゃんですが、彼氏である小比類巻くんは「ネットde真実」に目覚め、破局して出戻ってきます。そんなキホちゃんを主人公の一人であるおんたんは後ろから優しく抱きしめます。
いずれも非日常の中の日常の大切さを描くものですが、素直に受け入れられないシーンがあるのです。
大学に進学した主人公たちは、石川県から上京した竹本ふたばと仲良くなります。皆でオカルト研究会に入るのですが、意識の高いふたばちゃんは「侵略者」を「駆除」という名の虐殺から守ろうと活動する団体「SHIP」(イカ派)に参加します。
オカルト研とSHIPは大学生らしく合同で打ち上げを開催するのですが、会場である居酒屋で母艦を打ち落として「侵略者」を排斥しようとする「タコ派」のおじさんに絡まれます。SHIPが現実のSEALDsから、イカ派とタコ派が「クソリベ」と「ネトウヨ」から着想を得たアナロジー――というか、揶揄であることは明白です。
タコ派おじさんとSHIPメンバーたちは居酒屋で激しい政治的議論を交わします。ほとんど言い合いのようになってきたとき、おんたんは「喧嘩するなら僕がまとめた相手になってやりますよ!! そして全力で土下座してやる!!」と叫び、酒に酔って倒れることで場を収めるのです。
ここでのおんたんの振舞いは「酒に酔って倒れる」という照れ隠しのような笑いどころとして処理されますが、著者であるいにおの「政治的な議論なんて無意味で、なにをしてもどうにもならない」という諦観と冷笑的態度が反映されたものであるのは明白です。居酒屋で熱く政治的議論をする奴らなんてダサいしついていけない、という中二病マインドです。
この後、おんたんは「侵略者」の一人である大葉と知り合い、恋愛という強い関係性を結ぶことになります。居酒屋での政治的議論よりも立場や属性が異なる他者と強い関係性を結ぶことが大事――というのは立派な(政治的)考えであり、それを物語内でしっかり表現しているのは(大葉があまりにも都合の良いヒロインのような存在である、という欠点もありますが)『デデデデ』の賞賛されるべき点でしょう。
しかし一方で、(この時までは)それなりに紳士的に活動しているふたばちゃんを含むSHIPメンバーたちをそんなに揶揄的に描いて良いのかどうか、という疑問が浮かびます。おんたんたちは政治的なことに無関心を貫いていますが、政治的無関心が低投票率に繋がり、今の日本の政治的な問題に繋がり、ゆくゆくはロシアが抱えるような問題を日本も抱えるようになるのではないか。そんなことを考えてしまうのです。
●青年誌で3コマくらいで人物紹介的に行われるセックスは悪
特に、SHIPメンバー(とフリージャーナリストのケイト)たちに限って、シークエンスの冒頭2,3コマくらいで行われるセックス描写には、明らかに悪意に満ちています。
青年誌において、あるシークエンスもしくはシーンの冒頭2、3コマくらいで人物紹介的に行われる即物的セックスは、セックスを行っている二人が内面的繋がりではなく肉体的快楽のみを追求しているどうしようもない奴、という意味を持ってることが多いのですが、まさにそんな感じです。『アイアムアヒーロー』にも『闇金ウシジマくん』にも同じ表現がありました。普段とても真面目なことを喋っている相手でも、セックスの時はアヘ顔でダブルピースしていたりウンコしている猫みたいな顔してウンウン腰を振っていたりするのかと想像すると、笑ってしまうのと同じ意味合いです。
このセックスシーンが、「侵略者」の人権を守ろうとするSHIPメンバーが勢い余って3Dプリント銃を用いた武力行使をしようとする直前に描写されるのです。現実のSEALDsの発足に日本共産党が関わったことは事実ですが、50年代に武装闘争を放棄した日本共産党と、以後70年代まで続いた新左翼による武力闘争とはまったく別物です。ただこれは意図的に混同して誤解させようというような「政治的な」企みがあるわけではなく、「学生のやる運動なんて最後はこれでしょ」的諦観、「世の中はこんなもんでしょ」という冷笑的な中二マインドがいにおの中にあるからなのでしょう。
●ひろしの諦念、皆の諦念
おんたんや門出たちがとっている政治的無関心は、今の若者……だけではなく日本の多くの市民がとっている政治的無関心と一緒です。『デデデデ』がリアルなのは、このような床屋政談ならぬ居酒屋政談(時にネット政談)で、クソリベとネトウヨどちらにも与したくないという多くの市民のリアリティを反映しているからなのでしょう。同時に、そのような態度をとった結果「終末」を受け入れることになっても仕方が無いという諦念を反映してもいるのでしょう。
「もし何かが起きた時、俺たち凡人はそれを受け入れるしかないんだ。その時最後まで希望を失わないためにはどうしたらいいと思う? 誰かを守るんだ。その誰かを最後の最後まで守り抜け。その気持ちは何にも代えがたい強さになる」
――という、ひろしがおんたんに授ける言葉は、終末を前にした非日常の中の日常を生きる(受け入れる)知恵でありつつ、俺たち凡人には社会を変えられないんだという諦念でもあります。それは冷笑と紙一重のものです。
●原作より映画の方がオトナ
そう考えると、いにおの中二マインドが反映された原作よりも、沢山の人が関わった映画の方が成熟しています。少なくとも中学二年生よりはオトナです。
まず、原作にあるセックスシーンは映画版には出てきません。『後章』はPG12指定なのでレイティングの問題ではないはずで、上述したようなSHIPメンバーが極端な阿保にみえるのを忌避したのではないかと思います(後述する配信ドラマ版でしっかり出てきたら謝ります)。
また映画版の、特に『後章』では原作と異なる「原作者監修」オリジナルエンディングを迎えますが、門出でもおんたんでもなく大葉君が主人公のように振舞うことが強調されるため、より成熟した映画のようにみえます。
以下ネタバレ。
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