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【第385号】今後のDC映画はどうなるのか?

2023/06/21 07:00 投稿

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  • Dr.マクガイヤー
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マクガイヤーチャンネル 第385号 2023/6/21
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おはようございます。マクガイヤーです。

先週末は『ザ・フラッシュ』『アクロス・ザ・スパイダーバース』という大作映画が同日公開だったのですが、時間調整で『忌怪島』も観てしまったので大忙しでした。



マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。



〇6月25日(日)19時~「『水星の魔女』は「ガンダム」なのか?」

Season2が放送中の『機動戦士ガンダム 水星の魔女』が佳境を迎えています。

テレビの『ガンダム』シリーズ初となる女性主人公、更に学園が舞台ということで、いったいどんなアニメになるのか放送前から話題を呼んでいた本作ですが、ほぼ『少女革命ウテナ』な第一話を経て、ここにきて「ガンダム」としかいえない展開を迎えています。一方で、Season2になっても「学園もの」であることは放棄していなかったりもします。

そこで、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』を「ガンダム」や「学園もの」の観点から解説するような放送を行います。

ゲストとしてアニメ監督の安藤正臣さん(https://twitter.com/miozin35)と虹野ういろうさん(https://twitter.com/Willow2nd)をお迎えしてお送り致します。



〇7月10日(月)19時~「『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』とノスタルジーの果て」

6月30日より映画『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』が公開されます。

『インディ・ジョーンズ』シリーズの第5作目で、監督はこれまでの4作とは異なりジェームズ・マンゴールドであり、共同脚本も務めるそうです。これまで監督を務めてきたスピルバーグはプロデューサーに回り、製作総指揮を務めていたルーカスは降板しました。

『インディ』シリーズといえば80年代を代表する冒険活劇映画ですが、ルーカスとスピルバーグが少年・学生時代に愛した昼興行の連続活劇とパルプ・マガジン、ジャン=ポール・ベルモンドの『リオの男』『カトマンズの男』などを現代に復活させようとした映画でした。ノスタルジー溢れる題材を現代的に解釈することが一つの魅力だった、といっても良いかもしれません。

そんな映画シリーズを、学生の頃に観たであろうジェームズ・マンゴールドが監督することに、様々な事柄を感じてしまいます。

そこで、『運命のダイヤル』を含めたシリーズ全体を解説するような放送を行います。

ゲストとして編集者のしまさん(https://twitter.com/shimashima90pun)をお迎えしてお送り致します。



〇7月24日(月)19時~「『君たちはどう生きるか』と宮崎駿の生き方」

7月14日よりアニメーション映画『君たちはどう生きるか』が公開されます。

『風立ちぬ』で長編映画の制作から引退したはずの宮崎駿が「引退しながら作った」長編映画です。

本作、ほとんどプロモーションが行われていないのですが、プロデューサーの鈴木敏夫によれば「宮崎駿の自伝」になるそうです。また、吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』からタイトルだけ取っているのですが、直接の原作とはならず、物語そのものは冒険活劇ファンタジーとなるそうです。

宮崎駿の前作『風立ちぬ』が堀辰雄の同名小説からタイトルだけ借用し、堀越二郎をモデルとした架空の航空技術者を主人公とした話をやりつつ、実質的には宮崎駿の自伝だったことを強烈に連想させられてしまいます。

そこで、『君たちはどう生きるか』を宮崎駿のフィルモグラフィーを紐解きつつ解説するような放送を行います。

ゲストとして漫画家の山田玲司先生(https://twitter.com/yamadareiji)をお迎えしてお送り致します。



〇藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄の作品評論・解説本の通販をしています

当ブロマガの連載をまとめた藤子不二雄Ⓐ作品評論・解説本『本当はFより面白い藤子不二雄Ⓐの話~~童貞と変身と文学青年~~』の通販をしております。

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また、売り切れになっていた『大長編ドラえもん』解説本『大長編ドラえもん徹底解説〜科学と冒険小説と創世記からよむ藤子・F・不二雄〜』ですが、この度電子書籍としてpdfファイルを販売することになりました。

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合わせてお楽しみ下さい。





さて、本日のブロマガですが、いい機会なので今後ののDC映画について予想や希望のようなものを書かせて下さい。



『ザ・フラッシュ』で仕切りなおされたのか?

これまでDCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)として公開されてきたDCのスーパーヒーロー映画ですが、今年の1月、新たに「DCスタジオ」の共同会長兼CEO、つまりはクリエイティブ面でのリーダーとなったジェームズ・ガンにより、「DCユニバース」としてリブートされることが発表されました。

その契機となるのがマルチバースを扱う映画『ザ・フラッシュ』で、原作となる『フラッシュポイント』がNEW52へのリブートの節目、というか世界観の仕切り直しとなったように、旧マルチバースの破壊と再生が描かれ、新しい構造のマルチバースが誕生する……のかと思ったら、そうでもありませんでした。

まだ旧DCEU体制で企画された映画として『ブルービートル』と『アクアマン・アンド・ザ・ロスト・キングダム』が残されているのでなんともいえないのですが、このままいくと「DCユニバース」のフラッシュはエズラ・ミラーのままで、バットマンのスーツには○○がつくことになるのですが、少なくとも後者はそのままなわけがないと思うのですよ。



●常に脱構築をし続けてきたジェームズ・ガン

それでは、今後の「DCユニバース」でどのような映画が作られるかというと、製作を主導していくジェームズ・ガンのクリエイターとしての個性を考える必要があります。


MCUにおけるケヴィン・ファイギと同じ立場、と書くと分かり易いですが、ガンの場合は幾つかの作品の脚本も書けば『スーパーマン:レガシー』の監督もするそうなので、より内容面に深く関わることになるのでしょう。


ジェームズ・ガンのスーパーヒーロー映画といえば、町山さんがゲスト出演してくれたニコ生でも話題になりましたが、常に脱構築をしてきたわけです。

敵はオジマンディアスのようないけすかない富裕層か、強権的な父親的人物。主人公はだいたい社会的な負け犬で、同じような負け犬や、負け続けてきたが故に精神的におかしくなった、しかし愛すべき仲間たちとチームアップし、口に出すのも憚られるようなジョークと、笑って良いのか悲しむべきなのか分からないブラックジョーク的シチュエーションを経て、なんとかかんとか目的を果たしてヒーローとなる――というものです。『MIS II メン・イン・スパイダー2』から、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』、DCEUで監督した『ザ・スーサイド・スクワッド』『ピースメーカー』まで、ほとんど同じ構造を持っています。スーパーヒーローものではありませんが、負け犬達がチームアップするという意味では『スクービー・ドゥー』『ドーン・オブ・ザ・デッド』も含まれるかもしれません。

ガンが手掛けたスーパーヒーロー作品の中で、もう一つバリエーションがあるとすれば、作品全体が既存のスーパーヒーロー映画のアンチテーゼとなっているものです。

つまり『スーパーマン』の悪意ある語り直しである『ブライト・バーン』のことなのですが、製作のみであるせいか、スーパーヒーローというジャンルに対するガンの悪意が素直に出ている感じです。

また、『スーパー!』『バットマン』的な自警団ヒーローの悪意ある語り直しです。興行的には失敗作でしたが、仮に成功していたとしても、本作を観ているはずのケヴィン・ファイギがジェームズ・ガンをMCUの監督としてフックアップしたのは、ロバート・ダウニー・Jrを『アイアンマン』の主演に選んだのと同じくらいのリスクがある賭けだったと言って良いでしょう。

この賭けに勝ったからこそ、いまがあるわけですが。



●「ゴッズ・アンド・モンスターズ」とは?

現在、「DCユニバース」の第一章として発表されているのは以下の作品群です。


・『クリーチャー・コマンドーズ』アニメシリーズ

・『ウォラー』ドラマシリーズ

・『スーパーマン:レガシー』映画

・『ランタンズ』ドラマシリーズ

・『ザ・オーソリティ』映画

・『パラダイス・ロスト』ドラマシリーズ

・『ブレイブ・アンド・ボールド』映画

・『ブースターゴールド』ドラマシリーズ

・『スーパーガール:ウーマン・オブ・トゥモロー』映画

・『スワンプシング』映画


MCUでいうところの「フェイズ1」に相当するものだと思われるのですが、これらには「ゴッズ・アンド・モンスターズ(Gods and Monsters)」という章題がついています。直訳すれば「神々と怪物たち」になります。両方とも複数形であるところに注目したいところで、たとえばギリシャ神話などの、多神教でのそれらを表現する場合などに使われてきました。

DCとマーベルのスーパーヒーローの違いとして、「DCは神話・マーベルは民話」というようなことが良くいわれています。

違う表現で言い換えれば、DCには(良き隣人としてのヒーローを創造してきた)スタン・リーがおらず、マーベルには(神話的ヒーローである)スーパーマンがいない(脱構築されたスーパーマンばかり)、ということなのではないかと自分は考えます。


故に、「ゴッズ・アンド・モンスターズ」はマーベルに比べて「神話的」と評されることの多いDCのスーパーヒーローとヴィランたちを表すのに適当と思える言葉なのですが、この言葉を使ったDCのアニメ作品が既にあるのです。

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永年DCのアニメ作品に関わってきたブルース・W・ティムが製作と脚本に参加した作品なのですが、パラレルワールドでのジャスティス・リーグの誕生を扱っています。

驚くべきはそのメンバー構成で、スーパーマンは(遺伝子的に)ゾッド将軍の息子、バットマンは吸血鬼であるマンバット、ワンダーウーマンはアマゾネスではなく、ジャック・カービーが創ったDCの新しい神話世界であるニューゴッズのキャラの一人ベッカ――という、捻った構成です。

つまり、出自がどうであれ(神であれ怪物であれ)、善き精神さえ持っていればヒーローになれるという話なのですが、ゾッド将軍の息子なので暴力的なスーパーマンや、夜な夜な人の血を吸うバットマンは、わりとショックだったりします。


ジェームズ・ガンが本作を知らないわけが無く、それでもこの言葉を章題に持ってきた理由は、ガンはガンなりの方法で「出自がどうであれ、善き精神さえ持っていれば(スーパー)ヒーローになれる」という話をやろうと考えている証左なのではないかと思うのです。

これは、結局スーパーヒーローにはなれなかった『スーパー!』や『ブライトバーン』とは真逆です。

また、誰も知らないキャラクター故にどんな形で描いても文句が出なかった『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』や『ザ・スーサイド・スクワッド』とは、似ているようで異なるコンセプトです。スーパーマンやバットマン(やワンダーウーマン)はこれまで何度も映像化されてきただけでなく、映画もテレビも知らない人にも知名度がある、それこそギリシャ神話の中の神々と同じくらい有名なキャラクターなのですから。



それでは、簡単に個別の作品についての個人的な希望混じりの予想を記していきます。

 

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