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マクガイヤーチャンネル 第144号 2017/11/8
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おはようございます、マクガイヤーです。

もう11月、今年ももうすぐ終わりです。

いろいろとやり残していることがあり、忙しいのですが、面白そうな映画も次々と公開されていて、時間の調整が難しいですね。



マクガイヤーチャンネルの今後の予定は以下のようになっております。


○11月11日(土)20時~

「ハルクとソーとアメコミ翻訳の現場」

11月3日より『マイティ・ソー バトルロイヤル』が公開されます。

本作はマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)期待の新作であり、『シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア』『ロード・オブ・ザ・リング』をモチーフにしたニュージーランド航空の機内安全ビデオを撮ったタイカ・ワイティティ監督のアドリブ演出やコメディセンスが発揮された傑作であるとの評判です。

一方で、『マイティ・ソー バトルロイヤル』は最近邦訳が発表された『プラネットハルク』が大きな影響を与えているとも言われています。


そこで、『プラネットハルク』の邦訳も担当されたアメコミ翻訳者の御代しおりさん(https://twitter.com/watagashiori)をお招きして、ハルクとソーの魅力に迫りつつ、アメコミ翻訳の実際についてお聞きします。




○11月18日(土)20時~

「ジャスティス・リーグのひみつ」

11月23日よりDCエクステンデッドユニバース(DCEU)の新作であり、期待の大作映画でもある『ジャスティス・リーグ』が公開されます。

しかしこのDCEU、前作である『ワンダーウーマン』はヒットしたものの。ライバルであるMCUに比べて勢いがありません。それどころか、テレビドラマやカートゥーンでのDCコミックス映像化作品に比べても元気がありません。

そこでこれまでのDCコミック諸作品を振り返りつつ、映画『ジャスティスリーグ』やDCEUの今後について占いたいと思います。

果たしてグリーンランタンや、マーシャン・マンハンターや、はたまたブノワビーストは出るのか?

ブースター・ゴールドやプラスティックマンの登場まで、暗い夜と光線技アクションシーンの我慢を強いられるのか?

ジョス・ウェドンは独占禁止法に違反しないのか

……等々、ジャック・カービーやニューゴッズの話題も交えつつ、様々なトピックで盛り上がりたいと思います。




Facebookにてグループを作っています。

観覧をご希望の際はこちらに参加をお願いします。

https://www.facebook.com/groups/1719467311709301

(Facebookでの活動履歴が少ない場合は参加を認証しない場合があります)




さて、今回のブロマガですが、科学で映画を楽しむ法 第5回として書いている「『大長編ドラえもん』と科学」『のび太の創世日記』についての後編です。

(基本的に、藤子・F・不二雄が100%コントロールしていると思しき原作漫画版についての解説になります)。


前回から引き続きお読み下さい)

●藤子・F・不二雄と「創世記」テーマ

それは、「創世記」テーマに対するこだわりです。

宇宙や地球のはじまり、生命や人間や文明の誕生……そういったものをテーマとした作品が多いのです。手塚治虫にとっての『ファウスト』や、石森章太郎にとっての「新人類」のように、藤子・F・不二雄は「創世記」を何度もテーマとしているのです。藤子・F・不二雄自身も、創世記をライフワークだと公言しています。

旧約聖書の創世記を持ち出しつつSF的視点から語ることが多い(というかほとんど)のは、映画とSFに造詣が深いことが関係しているのでしょう。


たとえば、これまで解説してきた『大長編ドラ』の中だけでも、『鉄人兵団』『竜の騎士』『アニマル惑星』で科学技術による知的生命体と文明の創世が描かれています。『鉄人兵団』ではしずかちゃんが「神さま」に直接会ってお願いし、『竜の騎士』ではドラえもんが「神さま」と呼ばれるほど積極的に関与しています。


レギュラー版『ドラえもん』では、「地球製造法」以外にも「のら犬「イチ」の国」、「ガラパ星からきた男」などで科学技術による生命進化が描かれています。

前者は後年『のび太ワンニャン時空伝』の元作品となりました。

後者は、昆虫が進化して知的生命体となるところに『のび太の創世日記』との共通点があります(一方で、『のび太の創世日記』ではほとんど使用していないタイム・マシンを何回も使用し、タイムパラドックスが大きなテーマの一つとなっています)。


SF短編でも、その名もずばり『創世日記』『神さまごっこ』、『うちの石炭紀』と何度もネタにしています。

『創世日記』は『天地創造システム』を手渡された中学生が主人公ですが、タイムパラドックスを含めて『大長編ドラ』と多くの共通点を持っています。

『神さまごっこ』は世界観の構造やオチも含めて、『のび太の創世日記』の裏バージョンとも呼べる短編です。

『うちの石炭紀』では、ハチではなくゴキブリが知性化し、人間以上の科学力を身につけ、核実験まで行います。身の危険を感じた主人公がゴキブリ文明を滅ぼそうとするその時、

「他の生物をふみにじって栄えようという発想は人間だけのものだ

最高の知性体であるわれわれはそんなことしない」

……と言い放たれ、宇宙へエクソダスするのが大いなる皮肉です。


●藤子・F・不二雄と「箱庭」テーマ

更に、藤子・F・不二雄作品では、作中に箱庭的小宇宙や隔離された世界や箱庭(ジオラマ)そのものが登場し、そこを思いのままにクラフトし、自分だけの「王国」を作るという展開が頻出します。


これまで解説してきた『大長編ドラ』の中だけでも、『竜の騎士』では岩細工セットによる大空洞の秘密基地化、『日本誕生』では7万年前の日本でのユートピア建設、『雲の王国』ではその名の通り雲の王国建設が描かれています。

レギュラー版『ドラえもん』では、『水加工用ふりかけ』『のび太の鉄道模型』『はこ庭スキー場』『箱庭フレーム』『箱庭で松たけがり』……と、あまりにも多すぎて全てを挙げられません。そもそもドラえもんのひみつ道具を使って現実という名の「箱庭」を「改造」し、子供たちだけの「王国」で楽しむことが『ドラえもん』の本質であるといえるかもしれません。


その中でも、藤子・F・不二雄の本気度を感じてしまうのは『超リアル・ジオラマ大作戦』です。

ここに登場するスネ夫の従兄の大学生スネ吉は「プラモデルの天才」「ラジコン作りの天才」としてたびたび登場するキャラクターです。

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彼が「ジオラマに欠かせない三感(質感 量感 距離感)」をキーワードに、ウェザリングの大切さ、ジオラマにおける遠近法技法、果ては写真撮影時のレンズ・絞り・光量・シャッタースピードまでを2ページにわたって延々とスネ夫に講義するのです。わずか11ページの短編なのに!

このくだりは「スネ吉兄さんのジオラマ講座」として有名で、藤子・F・不二雄の趣味が模型製作であったこと、中でも鉄道模型には新築の家の納戸のNゲージのレイアウトを敷設するほどハマっていたことと合わせて語られがちです。

ここで注目したいのは、F作品における模型製作は、一つの模型を精密に作るのではなく、周囲の世界観合わせての創作であることです。ウェザリングも、ジオラマも、写真撮影も、全ては「自分だけの小宇宙の創造」を実現させるための行為です。

ここには単なる趣味以上の熱さ、生涯をかけてとりくむライフワークのようなこだわりが感じられます。スネ夫に熱く講義するスネ吉の姿に、アシスタントに穏やかながらも熱く指示する藤子・F・不二雄の姿を重ね合わせてしまいます。

そういえば『鉄人兵団』のミクロスを作ったのもスネ吉でした。


SF短編も同様です。

SF短編には未来のカメラセールスマン「ヨドバ氏」という未来科学の粋を集めた様々なカメラを売りつける――まるで大人のドラえもんのような短編シリーズがあるのですが、その中でも『コラージュ・カメラ』『ミニチュア製造カメラ』では、いい年こいた大人(それも後者は初老)が、思わずジオラマ製作に熱くなる姿が描かれます。


●「箱庭」内のキャラクターには魂がある

特に注目してしまうのは、『四畳半SL旅行』『山寺グラフィティ』の二編です。

『四畳半SL旅行』には、鉄道模型のレイアウトを趣味とする少年が登場します。お話は、少年の幼馴染である少女の視点で描かれるのですが、彼女による少年の性格評からお話がはじまります。


「なにかひとつのことに熱中すると見さかいがなくなってしまう」

「思い込みの激しさは異常なほどで

空想と現実の区別さえつかなくなるほどだ」

「あの目……魂がどっかへいっちゃって

ぬけがらが歩いてるみたい」


あまりに完成度の高いレイアウトを作り上げた少年は、ミニチュアの世界の中に入り込みたいと願い、自分の写真と8ミリカメラを使ったアニメーション映画を作ることに熱中します。その熱中ぶりに、幼馴染の少女は、少年がレイアウトに吸い込まれる幻影すらみてしまいます。

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そして、熱中しすぎた少年の思いが、遂に空想と現実の壁を破るのですが、それは魂が囚われたようなものだった……というオチには、藤子・F・不二雄が自身をみつめる際の冷ややかでブラックな視点をも感じ取ってしまいます。


『山寺グラフィティ』の主人公は、山形の田舎出身の青年です。イラストレーターを目指して上京した青年は、それなりに夢を実現させたのですが、ある時、死んだ幼馴染が成長した姿となったような女性をみかけます。無口で主人公以外の誰にも認知されない彼女は、幼馴染が行きたがっていた女学院に通い、いつしか主人公の部屋に通うようになります。彼女はやはり幽霊だったのですが……という、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』を26年前に36ページでやっていた、という超絶的な話です。

注目したいのは幼馴染が成長していた理由です。主人公とその幼馴染が暮らしていた土地の山には「死者の魂が生前とかわりなく生き続ける」という仏教伝来以前からの土俗信仰があり、赤ん坊が亡くなれば成長に合わせて七五三の晴れ着やランドセルを納める……というように、亡くなった人の成長に合わせて様々な品物を奉納して供養するという風習がありました。

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幼馴染の父親は、食器ひとそろい、女学院の入学案内、東京行きの電車の切符、東京名所絵葉書といっしょに、なんとミニチュア家具を山に納めていたのです。それも、主人公と幼馴染が恋心を通わせた洞窟に。

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そもそものきっかけとして、主人公はその洞窟で家具と共に成長した幼馴染の姿を幻視しさえします。その時、幼馴染はミニチュア家具と同じスケールとなっているのです。


本作は幽霊譚でありながら合理性のあるオチがつき、しかもそれは読者の心を打つものとなっています。藤子・F・不二雄SF短編のベストに選ぶ人も多いです。


この二作のオチから受ける読後感は正反対ですが、共通点もあります。

それは、「箱庭」内のキャラクターには魂があり、そこで生活し、時には成長さえしているという、明確な世界観です。



●藤子・F・不二雄にとっての「箱庭」と漫画世界

そう考えると、藤子・F・不二雄が「創世記」や「箱庭」テーマにこだわり、手を変え品を変え何度も描き続けている理由が分かります。

「世界の創世をテーマとしている」と聞くと、世界の全てを思うままにコントロールしたいという欲望のようなものを頭に思い浮かべる方もおられるかもしれません。

また、「箱庭がテーマ」と聞くと、箱庭的世界への逃避願望を思い浮かべる方もいるかもしれません。

しかし、実際読めば分かると思うのですが、F作品から権力や支配への欲望を感じることはありません(権力に取り付かれたのび太やジャイアンは必ず痛い目をみるオチがつきます)。箱庭的世界への逃避願望は、それなりにありますが、一方でその箱庭世界への責任や覚悟のようなものがあります(代わりに、後述するような、過去をやりなおしたいという欲望と、でもそれは絶対に無理なのだろうという諦念がありますが)。


藤子・F・不二雄は、もし漫画家という職業が存在しなかったら、自分は社会不適合者であるという意味のことをあちこちで言っています。高校卒業後、製菓会社に就職するも、3日で退社したそうです。

これは、言い換えれば、漫画を描くことで生きていく覚悟を決めた、ということでもあります。


藤子不二雄Aの自伝的(とはいうものの創作も多い)漫画『まんが道』では、この時のことが圧倒的な迫力で描かれています。


「学校を卒業したら ぼくは進学も就職もせずにまんが一本にしぼるんだ!」

といっていた才野(という名のF)ですが、考えを改め、就職することにします。

しかし、1日で辞めてしまうのです(実際は3日だったのが作中では1日に短縮されているのがAスタイルです)。

その理由は、以下のようなものです。


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「人にはある職業につくのに 適性と不適性というものがあると思う!

おれの場合 サラリーマンには不適格なんだ!」

(中略)

「それに会社というのは大勢 人がいて

上役 同僚の人とうまくつきあっていかなきゃいけないだろ!」

「おれにはそれはできないんだ!」

「まんがとまるで関係のない会社へいって

いろんな人たちとうまくつきあっていく…

そんなこと2日とできないってことがわかったんだよ!

それよりは家で少しでもまんがを描こうと決心したんだ!

とにかくおれはあしたから会社へいくのはやめて

家でまんがに専念するよ!」

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この覚悟は、満賀(という名のA)を圧倒します。と同時に、新聞社の図案部でそれなりに上手くやっていけそうだと考えていた満賀を苦しめもするのです。


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「才野はくわしいことはいわなかったが、

今日の初出勤で、よっぽどイヤな目にあったにちがいなかった……

それでなくては、あの慎重でがまん強い才野が、

たった1日の出勤でこんな重大な決心をするわけがなかった!

そう! それは、考えれば考えるほど、重大な決心だった!

この就職難の時に、せっかく入った会社を1日でやめてしまうということは、

才野茂の一生の道を変えるかもしれないことだった!」

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これは、AによるFの人物評でもあるのでしょう。



心理療法の一つに、箱庭療法というものがあります。

一人の人間が社会と上手く折り合うためには、それなりのコミュニケーション能力が必要です。能力のない人間が社会にいきなり放り出されても、なにもできずに自らの世界に閉じこもることしかできません。

箱庭療法における箱庭は、それを創る患者のこころを反映した象徴的世界になります。患者は、箱庭という枠に守られることによって安心して自らの世界を開陳することができるのです。この箱庭世界を通じて自分自身やカウンセラーとやりとりを行い、自分自身でも気づかなかった「隠された自分」に気づいたり、コミュニケーション能力を獲得することで社会との折り合いをつけられるようになる……というのが箱庭療法です。


藤子・F・不二雄にとっての箱庭療法が漫画を描くことだった――というのは侮辱でしかありませんが、漫画を描くことで生きていくことを決めた社会不適合者にとっての最大の武器は、自らの心にある箱庭を育て、描くことだったのではないでしょうか。



●のび秀の地底旅行

だから、藤子・F・不二雄は漫画内のキャラクターが箱庭を作ることに敏感です。それは、自らが漫画を描くことのメタ的表現となるからです。「箱庭」内のキャラクターには魂がある、そう考えなければ漫画なんて描けないし、それは箱庭内のキャラクターが、更に箱庭を作る――入れ子構造となった場合も同様だからです。


『のび太の恐竜』のピー助や、『魔界大冒険』にて自らが産み出したパラレルワールド、『日本誕生』のペガ、ドラコ、グリに最後まで「責任を持つ」のも、それらに「魂」があると考えているからでしょう。


この意味で、『のび太の創世日記』の終盤の展開は重要です。